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「米百俵」のモデル小林虎三郎と河井継之助−戊辰戦争140年(完全版・1エントリにまとめました)

【書評十番勝負】

昨日、柔術分裂劇のことを書いている時にふと思い出したが、1868年に明治維新があり、それに伴う戊辰戦争も行われた。だから最後の五稜郭開場は一年後だが、多くの戊辰戦争は鳥羽伏見も会津も長岡も宇都宮も日光も上野も140周年なのだ。


それで、戊辰の戦で一番軍事的に激戦だったのは、風雲に乗って河井継之助が幕末に藩を単独で近代化、ガトリング砲などの最新兵器で武装し、ほぼ独立王国の様相を呈していた長岡藩などと新政府軍が戦った北越戦争

河合についてはこれで一気に有名になったですね。

峠 (上巻) (新潮文庫)

峠 (上巻) (新潮文庫)

峠 (中巻) (新潮文庫)

峠 (中巻) (新潮文庫)

峠 (下巻) (新潮文庫)

峠 (下巻) (新潮文庫)

ところが継之助は非常に地元の一部では、評判が悪いらしい。

http://www.jp.piko.to/V53-199610.html

…この戦いは今町戦争とか今町の戦いとか呼ばれ、同盟軍を三つに分け、正面から攻めてくる先鋒隊に政府軍が気をとられている間隙を突いて、残りのニ隊が脇から攻めるという戦略が成功を収めたため、河井継之助の軍事的才能を示すエピソードとして戦記にはよく引用されるものである。『峠』も、この今町の戦いには一章を割いている。
 でも、この戦いは地元の人間にとってはとんでもない災難だった。同盟軍は新政府軍を敗走させた後に、新政府軍側についた新発田藩の領地ということもあって、この町に対してお決まりの暴行・略奪の限りを行ったあげく、火を放って町を焼き尽くしてしまったのだ。私の祖先で、武士でなかった(戸籍を見ると、先祖代々雑業にたずさわる、と書かれてあった)n代目高井三平(わが高井家ではかつて長男は代々こう名乗っていた)は大八車などを引きながらただただ逃げ回るばかりであったであろう。
 そのようなわけで、この戦いの精神的・物理的両面にわたる傷跡は長く今町に残ることになったのである。第二次世界大戦前までは、この町で戦争といえば日清日露でなく北越であったそうだし、工事で穴を掘れば、当時殺された武士達の骨が出てくるし、どこそこの旧家の土蔵の壁には当時の鉄砲の玉が残っているという話も何度か聞いたことがある。郷土史が好きな父からはこの戦争で史料が焼かれたため郷土史がわからなくなっているという嘆きを幼い頃から幾度も聞かされた。
 もちろん河井継之助は大悪人の扱いである。『峠』を原作に、一エピソードであれ、この越後での戦争をおそらく初めて映像化した作品であるNHK大河ドラマ花神」も放映当時“はながみ”(“かしん”と読むのが正しい)と読んで揶揄していたほどなのだ・・・


そりゃそうで、「戦は百敗しようと最後の一戦を勝てばいい」と劉邦の時代から言われていたことです。
どんなに善戦しようが鋭い戦術をみせようが、相手に大損害を与えようが最後に負けて占領され、武家も庶民もその後は困窮のきわみだったのだもの。リアル負け組だ。


文芸春秋の元名物編集者で、今は歴史探偵を名乗り多くの研究書を書いている半藤一利もこの方面の出身で、司馬に直接文句を言ったこともあるとか。

というか司馬遼太郎も「峠」のプロトタイプとして中篇「英雄児」を書いており、それは最後のオチが「英雄児というのも、時期を間違えればとんだ災難のようである」という感じの皮肉な視点で描かれていた。いかなる心境の変化があったのか、あらためて英雄物語として書いたのが「峠」というわけ。


この中篇はどうも二つの収録文庫があるようだ。司馬ならこういうことしても許されるんだね(笑)

新装版 王城の護衛者 (講談社文庫)

新装版 王城の護衛者 (講談社文庫)


馬上少年過ぐ (新潮文庫)

馬上少年過ぐ (新潮文庫)

「王城の護衛者」は幕末ものでまとまっており、また表題作が司馬屈指の名作なのでそっちをおすすめしておく。


ええと話がなかなか進まないですね。とりあえず要約しよう。
・今年は戊辰戦争140周年
・なかでも一番の激戦が長岡藩vs政府軍
・長岡藩をそれほどの強国にしたのが河井継之助
・ところが地元では「無謀な戦争のせいで故郷がぼろぼろになった」と、悪い評判も多い。


んで。
実は地元には、河井継之助とちょうど対比的に称せられる偉人がいたわけです。
それが小林虎三郎
のちに山本有三が戯曲「米百俵」で描き、小泉純一郎が2001年の演説で引用し、あらためて話題になった…が、まだまだ知名度が高いとは言いがたい。

だが英雄・河井継之助との対比で俄然興味深くなる。
河井が改革し、小林が守る。河井が華々しく政府軍との先頭の陣頭に立てば、小林は藩主を最後まで護衛する。河井が奮戦の末、長岡を焼け野原にすれば、小林はその復興の指揮を執る・・・・


そんな小林の評伝が、以前から司馬を敬愛しつつも、「私が興味を引かれるのはなぜか司馬さんがスルーする人物だ」と語っていた松本健一

われに万古の心あり―幕末藩士 小林虎三郎

われに万古の心あり―幕末藩士 小林虎三郎

です。あれれ、これは新潮社版だな?1997年に、この本はちくま学芸文庫に収録されています、念のため。


========ここから次の日に書いたエントリ==================


きのうの続きだ。

・今年は戊辰戦争140周年
・なかでも一番の激戦が長岡藩vs政府軍
・長岡藩をそれほどの強国にしたのが河井継之助
・ところが地元では「無謀な戦争のせいで故郷がぼろぼろになった」と、悪い評判も多い。


そんな河井継之助に、終生のライバルがいた。それが小林虎三郎
面倒なんで経歴はウィキペディアの「小林虎三郎」へ。


ま、面白いのはだ、ラノベあたりに出てきそうなライバル関係だなと。



・とある古い小王国に生まれた二人の、俊才にして理想主義者。
・一人は伝統を破壊し、旧体制に革命を起こそうと権謀術数も辞さず、権力の内部に飛び込んで実権を握り、理想の元に改革を行う。
・もう一人はその伝統を愛し、生まれついての病身もあって表舞台には立てず、閑居しながら弟子を育てつつ、風雲に巻き込まれていく王国の行く末を案じる。
・二人の理想主義者は、その思想の違いから時に対立する。
・そして激動の中、王国は武力で倍する大帝国の侵攻を受ける。一人はこの日のあるを予感し、ひそかに備えていた数々の秘密兵器と新戦術を繰り出し、敵の大軍を何度も撃破する。軍の先陣に立ち、銃で撃たれた負傷を押して戦い続ける。
・一人は、ライバルから「国王と王子の護衛をしてくれ。何があっても離れるな」と依頼を受け、敗戦で脱出する王の逃避行に同行する。
・そして、一人は最後まで戦い華々しく戦死を遂げる。もう一人は、紆余曲折を経て敗戦後の国王一族の助命に成功、そして荒廃した祖国をライバルから託され、徒手空拳で再建に乗り出す……



と。いやあ、イラストレーターが若い美形キャラクターに二人を描いてくれさえすればラノベっぽくならないか、これ。まあもともと実在の歴史物語をファンタジーに翻案するというのは・・・やれそうでそう簡単にはできないもんですけどね。まあ、キャラが立っていることは認めてくれるでしょう。継之助はいうに及ばず、非常に地味な存在ともいえる虎三郎も。


あと、何度かこのブログで書いたけど、エンターテインメントでも実話でもいいんだけれども、自分や他人が感動したり好む話やキャラクターというのを、固有名詞をや固有の時間、地理を取り除く「因数分解」を行うと、星占いや心理テスト以上にその人の「個性」や「思想」が分かると思う。
あとは、まかり間違って自分がフィクションを書くときの参考にもなる。ここまでやると主観的にはパクリなんだけど、法的にも客観的にもパクリじゃなくなるから(笑)
上は、その一例ですね。


当然、司馬遼太郎もこの対比には注目していて、「峠」には小林虎三郎は一回しか出てこないが、それが全司馬作品の中でも指折りの名場面だ。
私は司馬が亡くなった当時、まだスキャナーもブログもないからコピーや切り張りをして、没一週間で追悼雑誌として「司馬遼太郎名場面集」を作ったことがある。まだちょっと残っているから、何かの機会にでも紹介できるかもしれないが、「峠」からの引用はこの虎三郎の場面だ。


前段を紹介すると、この場面では小林と河井は完全な対立関係にあり、小林は閑居しながらも河井の藩政改革を批判している。河井もそんな虎三郎を苦々しく思っていたが、あるとき小林の家が火事になる。
河井は敬意半分、懐柔の下心半分で、小林にたくさんの生活物資を援助する。


はて、これを仇敵の俺からもらってくれるか・・・と思った河井だったが、意外なことに小林は大感激、なんども礼を述べて涙をこぼした。河井はそれに失望と拍子抜け半分、懐柔に成功したとの安心感半分だったが・・・

ここからだ、さあ居住まいをただしてお読み下さい。

小林虎三郎はやがて膝をただし、
「これほどの財物を頂戴してもおかえしできる力がない。なにもないのだ」
顔に、赤誠があらわれていた。
「ただ、足下のものの考え方、施政、人の使い方に大きな誤りがある。それを申し述べて、この御厚情に対する恩礼としたい」
と言い、その刻限から夕刻にいたるまでの長時間、継之助のやりかたをいちいちあげて痛論し、間違っていると叫び、さらに欠陥をえぐり、その欠陥の基礎になる考え方にまで刺すような論評を加えた。
その激しさ、痛烈さは、気の弱いものなら卒倒するほどであったろう。


(中略・・・河井はその批判に全面的に納得しなかったが、帰宅して知人の小山良運に言う)


「人間の偉さってものはね、良運さん、わかったよ」
とすわるなり、いきなり言った。
「なんだ、だしぬけに」
「病翁(※虎三郎の号)のことだ、あいつのことだ。」
(略)
その批判たるや、かならずしも継之助にとって的を射たものばかりではなく、学者らしい迂遠なところも多い。しかし多少得るものもあり、継之助は大いに物を考える上で刺激を受けた。
それはいい。そういうことよりも小林虎三郎のそういう態度である。仇敵といってもいい継之助から窮迫中に物を恵まれてもいささかの卑しさも見せず、「これはお礼である」といって赤心を面にあらわしつつ鋭く継之助の欠陥をついてきた。
「どうだ、この卑しさのなさは」

 
このくだり、多くの人が引用していると思ったが、ちょっと検索した限りでは見つからない。
この機会に紹介するのも、多少は価値のあることだろう。


さて最後に、虎三郎の漢詩を紹介したいのだが・・・時間があるかどうか。

三回にわけて描いたら、あとでまとめておこう

小林虎三郎漢詩

九重幼冲無所知 姦邪窺隙逞其私
用兵固非不得已 其奈生霊塗炭悲
反者非反賊非賊 名言嚇愚識者嗤
若使当年邵雍在
挙頭亦応嘆児戯


これが最初に書いた「虎三郎の反戦歌」
ざっと要約。つい七五調になるが。


「幼き天子を盾にとり 邪臣が私意をほしいまま
兵を挙げるに理由なし 民を戦火に晒すだけ
賊と撃つとて賊いずこ (「名言」の一行はよく分からん)
もしも(宋の学者)邵雍、今在らば
まさに児戯よと 嘆くはず」

久知世事易炎涼
忽至斯間感転長
豈料少年釣遊処
一朝化戦争場


世の中変わると知ってはいたが
いやはや 今見てよくわかる
あそこは僕らの釣りの場所
一夜でそこが戦場に

異言朝野尚紛然
士庶迷方可憐
吾恥曲学斯世
欲以沈☆終剰年(☆は倫がサンズイ)


デマと流言 世は騒然
みんなうろうろ おろかもの
思想を曲げて 迎合できぬ
ならば黙って 世を去るか

最後のは明治維新後、文明開化の波の中で皮肉ったものだ



どうも井伏鱒二的に調子よい七五調にはできないので、最後に松本健一が表題に取った代表作はふつうの書き下し文で。
こrは分かりやすいし

http://www.e-net.city.nagaoka.niigata.jp/museum/kyushidouikou/shi/069_074.html

清夜吟


天有万古月
我有万古心
清夜高楼上
憑欄聊開襟
天上万古月
照我万古心


<読み下し文>
天に万古の月あり
我に万古の心あり
清夜高楼の上
欄によっていささか襟を開く
天上万古の月
我が万古の心を照らす

【追記】松本健一は、こういう本も出している

小林虎三郎―「米百俵」の思想 (学研M文庫)

小林虎三郎―「米百俵」の思想 (学研M文庫)