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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

安倍首相「上司の慶事より部下の弔事」は良いのだが。−−そこから発展して。

佐々淳行が諸君!に連載していた時評集「インテリジェンス・アイ」を読んでいる。

佐藤優や手嶋龍一とは、お互いどんな評価をしているのかな。

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

では「日本は相手のスパイを防ぐ、公安の面では世界有数の実力ですよ」と評価しているから、間接的には褒めているのだろうか。


で、同書には
小泉首相の『涙』が警官を奮いたたせた」
「老戦士を発奮させた女闘士の『蔭の偉功』」

という、警官や軍人(自衛官)の名誉を論じた2本の論文がある。


最初の論文は、自分が原作の

突入せよ!「あさま山荘」事件 [DVD]

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の試写会で小泉純一郎が涙を流しているのを見たという、ちょっと自慢が入っている話(ついでだが、この原作本は面白いものの、映画は涙を呼ぶような出来だったかなあ・・・)。
だが、ここからこう話が発展する。

これをみた私は、勇を鼓してこれまでの総理が殉職警察官慰霊祭に一人も出席したことがない旨を告げ、今年度の式典への御出席を懇望した。小泉総理は「私は必ず行きます」と約束をし、そしてその約束は果たされたのだ。


冒頭に戻ると、小泉首相(当時)が出席したのは平成14年12月4日に行われた「全国殉職警察職員・警察協力殉難者慰霊祭」だそうで。これは警官の殉職者を「合祀する」(形式自体は無宗教)のだが、このときの小泉出席が、半世紀にわたる同行事の中で初めての首相来訪だったという。


今までの例によると、1992年のカンボジアPKOで国連ボランティアの中田厚仁さん、文民警察PKO高田晴行警視がポルポト派によって殉職したとき、葬儀も公葬も総理大臣(宮沢喜一)は欠席したという。


だから、安倍晋三首相が弔問に訪れたこと自体は、それなりに評価に値するというか、やらないよりはやったほうがいいのだろう。ただし、そこでの在り方が名前を間違えるというお粗末さで、「ぶちこわしだ!」となっちゃったのは何ともかんとも。
ブログをこうやって書いてる時だって名前を書き間違えることはよくあるし、実際に個人的な交流があるわけでもないから、間違えることはあるだろう。
だが、間違ったらそりゃ、それが馬鹿にされたり怒られたりするるのもそりゃ当然だ。

以前、安倍首相は支持率低下に関し「コップの水が半分しかない、と考えるか半分もある、と考えるかだ」と述べてたが、これも「弔問したけど名前を間違えた」か、「名前を間違ったけど弔問した」ととるかだよな(笑)。

こっちのほうが重要。死者の名誉と政治、国について

ところで、もうすこし重要な話を。
こういう、偉い人が弔問や葬儀を訪れる、というのは偽善性は免れまい。上にも書いたように、全然生前の彼らをそういう人が知っていたわけでもないのだから。

でも、じゃあ弔問とかしないほうがいいのか、という話になると。


個人的には、良くも悪くも政治家とか行政府の長とかが、慶弔の席に出てきたり電報が来たりしたらうれしー、ってな発想は全くゼロ、皆無だし、勲章はウメ星のくんしょうとかブル連隊長から授与される勲章ならちょっとほしいのだが、日本国から勲章をいただきたいなんてなことを考えたことは無い。

なのだが、特に警察や自衛隊など、公務員やその家族がそれを名誉と考えたとしてもごく自然だ。

佐々はこう書いている。(188P)

危険な仕事には、命令により『行かされる者』と後にいて部下を『行かせる者』がいる。
『行かせる者』が『行かされる者』への「感情移入」の思いやりに欠けている国は、滅びる。

佐々はエリート警察官僚だから「行かせる者」だろ、という批判も出てくるだろうが、著書の記述が嘘じゃないなら、70年代の対左翼暴力団闘争をはじめとして、実際に肉体的な危険に直面したことはひとつや二つではなく、少なくともブログ筆者をはじめ大抵の言論人は黙るしかない。


で、なんどかここにも書いた思想的問題「行かせる者」と「行く者」につながる。

一つ参考資料として、東京新聞こちら特報部」のこの記事を紹介しよう。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070110/mng_____tokuho__000.shtml

私たちの「美しい国へ」 <7>
非国民の精神
■フォークシンガー加川良


 「歌い手は歌い手。政治的な発言はするべきじゃないと思ってます」

 待ち合わせた東京都世田谷区下北沢のカフェで、歌手・加川良は、そう話した。底抜けの笑顔だが、決然とした口調で、自分への戒めは固い。優しい関西なまりの抑揚でわずかに漏らしたのが、こんな言葉だった。

 「ただし、あの歌は死ぬまで歌わなきゃと思ってます。若いころはただのしゃれでした。面白い言葉を歌にしただけ。しかし、いつまでも無責任でいられる年でもないですから」

あの歌とは加川が作詞作曲したデビュー作「教訓1」という歌である。

(略)

◇教訓1

歌詞
http://www.kasi-time.com/item-13538.html

(歌詞の一部は現在、ライブで歌っている内容による)

安倍をからかうエントリのつもりが、長くなっちゃった上に話が大きくなっちゃたな。

一応、ここで問いかけておこう。
たとえば佐高信氏が例によって、カンボジアで中田、高田両氏が殉職されたときに、よりによってこの歌を引用していた。さすが、何も考えていない(考える力が無い)馬鹿だけある。
そういうひとはほっておくとして。


今回の殉職警官が「いのちはひとつ、人生は一回だ」といって「青くなって逃げ出し」「隠れた」らどうなったのか?


銀河英雄伝説」前半の、ヨブ・トリューニヒト対ジェシカ・エドワーズもこれに関係している。

http://members.jcom.home.ne.jp/sturm/osusume/gine1.htmlから孫引く。

「国防委員長、わたしはジェシカ・エドワーズと申します。

アスターテ会戦で戦死した第六艦隊幕僚ジャン・ロベール・ラップの婚約者です。

いいえ、婚約者でした。」

「それは・・・それはお気の毒でした、お嬢さん、しかし・・・」

「いたわっていただく必要はありません。委員長、わたしの婚約者は祖国を守って

崇高な死を遂げたのですから。」

「そうですか、いや、あなたはまさに銃後の婦女子の鑑ともいうべき人だ。

あなたの賞賛すべき精神は必ず厚く報われるでしょう。」

「ありがとうございます。わたしはただ、委員長にひとつ質問を聞いていただきたくて参ったのです。」

「ほう、それはどんな質問でしょう、私が答えられるような質問だといいのだが・・・」

「あなたはいま、どこにいます?」

「は、なんですと?」

「わたしの婚約者は祖国を守るために戦場に赴いて、現在はこの世のどこにもいません。

委員長、あなたはどこにいます?死を賛美なさるあなたはどこにいます?」

「お嬢さん・・・」

「あなたのご家族はどこにいます?

わたしは婚約者を犠牲に捧げました。国民に犠牲の必要を説くあなたのご家族はどこにいます?

あなたの演説には一点の非もありません。でもご自分がそれを実行なさっているの?」


なんどか紹介したけど、それについては以前別のHNで書いた文章がある。

反銀英伝・思想批判編
1−A
お前が戦争に行け論(1)

http://tanautsu.la.coocan.jp/the-best01_03_01_a.html



文章は冗長で少し推敲したい気はあるけど、内容はまあなかなかいいこと言ってる(自画自賛)。これが佐高信の批判への反批判や、「教訓Ⅰ」の限界を示していることになっていると思う(自画自賛。佐高並みだな)ので、これをそのまま読んでいただくことにして、くどくどは繰り返さない。

(また、「教訓1」の、気の抜けた独特の味わいがあるコミック・ソングとしての価値はいささかも揺るがないのも勿論だ)

ただ、佐高的論法や「おまえが行け」論は粉砕したとしても、じゃあどうすればいいのか、という答えは無い。無いとそもそも思っていたからこれは確信犯的だったのだが、一応、「行かされる側」に足を突っ込んでいる佐々淳行氏が、そのとりあえずの「解」として打ち出したのが、

『行かせる側は、行く者に「感情移入」をしてくれ。そして名誉を勲章などで報いてくれ』
というものだった。最初に上げた2タイトルのうち後者”女闘士の『蔭の偉功』”は、2003年に第一線の自衛隊、警察、消防、法務、海上保安庁などに従事する職員に勲章を与える「危険業務従事者叙勲」制度とその創立に奮闘した女性の話である。

佐々はこう書く。

車椅子に乗り、あるいは老妻の介護に疲れ「せめて命のあるうちに老妻ともども勲六等でいいから叙勲を受け、そして皇居に参内して天皇の拝謁を受けたい」と誠に悲痛な陳情を続けていた・・・・・・勲章なんてどうでもいいと斜に構え、官尊民卑の栄転制度などやめてしまえと叫ぶインテリは実に多い。・・・・・・だが永年危険職種に身をおいて安月給で命がけの仕事をし、今や年金だけを頼りにまもなく必ずやってくるお迎え(死)を老妻を介護しながらひたすら待ち続けていた老戦士たちへの冷遇に、筆者は永年怒りの声を上げてきた。
この危険業種の特別枠創設に、心ある人々は水面下の努力を尽くしてきたが、その実現に最も功労のあったのは、女性国家公安員だった、岩男寿美子氏その人である。

ん、とするとトリューニヒトの行為は、その内心が偽善か本心からの感動、感情移入かは別として(上の森達也氏の話と同じで、究極的には分かるまい)、行為自体は正しかったことになるな。


いいんじゃろうか。

付記1

くしくも今の朝のニュースで、1992年に警察官が刃物で刺殺された事件が時効を迎えたと伝えている。

付記2

佐々淳行の本に関しては、指摘すべきことがあと一つある。これはまたおって(・∀・)/

付記3

以前の関連エントリ
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20040627#p1
■[時事][映画]「華氏911」異論--というか銀英伝的「息子を行かせろ論」について。

付記4

この問題を本格的に考え始めたのは、浅羽通明メールマガジン流行神」でこのテーマが論じられたことがきっかけだった。ぜひ幻冬舎からの選集には、この回を載せて欲しいものだ。