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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

なぜ、佐高信氏はあんなに愚かなのだろう?(その1)

有名ブログで、「佐高信」氏のことが取り上げられていた。
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50665153.html
かの、大きな人気とアクセス数を誇る先方に呈しては不遜ではあるが、佐高信氏の愚かな論説の分析に関しては少々負けるわけにはいきません。「噂の真相」初登場のころから、彼はあの雑誌の中でもダントツに間抜けな文章を書く人間だ、と注目していたのだから。


・・・つうか、コメント欄に書こうとしたら、字数が多くなりすぎた(笑)。
以下、同サイトに投稿を予定していた文章。だから、リンク先を最初に読んでもらわないと意味が通じません。

わたしは昔,別のHNで「佐高信氏批判」というのを某所に何回か書いたことがあるぐらいで(今は消失。自分でも、ログを半分程度しか保存していない)、佐高信氏の無知と没論理、そしてご都合主義ぶりはいささか存じております。



だから、あっさりと、こんなふうに声高にテロをがなっている彼が、以前はこういうことを臆面もなく書いていた・・・と提示できるんですが(笑)
  ↓

強盗・放火・拷問・殺人の坂口弘死刑囚
(リンチ殺人など、連合赤軍事件に関連して死刑確定)
に対し、佐高氏が書いた文章。

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「彼を『狂気の人』として排斥する人もいるだろう。しかし、その歌を読んでなお、そう 非 難 す る人は少 な い のではないか。
むしろ、 病 ん で い る の は 時 代 であり、 社 会 であり、何よりも 日 本 である」
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・・・書評誌・読書人1993年12.17号。
呉智英の佐高批判論文を収録した「危険な思想家」からの孫引き。

他にも「人生のうた」では坂口弘を「政治犯」と呼んでいるのですよ、このおばかさんは。殺人犯でしょ、彼は。
そんな論法なら、今度の加藤亭放火犯・堀込容疑者を「政治犯」と呼んでいいんですか?って(笑)

どっちにしても、小泉首相がたとえば佐高氏みたいな発言をしたらどうなるか火を見るより明らかでしょう。

自身がこれだけの暴言を吐いておきながら、同じ口でシンポジウムなんか平気で出席できるんだから対したもんだよねえ。
さすがに元総会屋さんは違うわ。

もっと佐高氏へのツッコミネタはやまほどあるので、折に触れ復刻も含めて自分のブログでも書きたいと思います。

実は、またこれに関連しつつ、またそれとは少し別の形で再び佐高信批判を書こうと思って、資料を準備していていつでも書ける状態でした。何しろツッコミどころは無限(笑)

今後も、上に書いたように、以前の文章の再録も含めて「佐高信批判」はUPするつもりです。
あまり大言壮語はしないほうだと思いますが、これに関してはいささかご期待頂ければさいわい。



好評につき、もうひとつ再掲載。

ここに、テロ・暴力への強い批判や怒りがあるだろうか?

月刊サタカ」といわれる佐高氏だから、彼が現在(99,11月)連載しているコラムに眼を通すのも一苦労である。

「uwasano」さんのHP
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/5845/

などを参考にすると、

佐高信政経外科」(サンデー毎日連載)
「辛口・佐高信の他画他賛」(夕刊フジ連載)
風速計」(『週刊金曜日』連載、複数執筆者の1人)
「この国の会社」(同上)
「タレント文化人筆刀両断!」(「噂の真相」連載)
佐高信の葬送譜」(「世界」連載)

などが主なコラムとして挙げられる、まあどれも内容は似たりよったりなのだが(笑)、このうち読んでおいて面白いのは世界の「葬送譜」だ。
というのは、これは他のコラムと異なり基本的に”自分の陣営”の(故)人を褒めちぎるのがコンセプトなのだが、北朝鮮なみにムリな褒め方をするため、他のコラムと比べると矛盾がボロボロ……。

また前振り長い。その具体例を早速挙げることにする。

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他誌のコラムと比べるまでも無かった。月が違うだけで評価が180度変わっている(笑)。

第24回「太田薫(かつての総評指導者)」の回で、太田氏がかつて都知事選に立ったとき、右翼から投石を受け負傷した話を紹介し、中山千夏の『右翼に脅されて恐いけれども、あの人達に守られて選挙をする側でなくて本当によかった』という言葉を紹介、「対立候補鈴木俊一をかついでいたのは自民党公明党、そして民社党である。多分、山岸や鷲尾が、もし、都知事選に立つとしたら、石を投げられる側ではないだろう」と続けている。「もし」で話をすすめるのは彼のオハコだから、取りあえずここでは見逃す(笑)。


さて、太田の「葬送譜」と比較するのは、第35回「高沢寅男」。
ここでは高沢が学生時代の話を紹介している。
「1951年の春に『スパイ・リンチ事件』が起こる。(略)高沢は現日本共産党委員長不破哲三とともに、共産党からスパイの嫌疑をかけられ、査問を受ける。このとき、不破はリンチされるが高沢は全く手を下されなかった。それについて安東は『彼の男性的でおおらかな人柄も、無意識の裡にリンチを差し控えさせたのではあるまいか』と推測している」
と、高沢に好意的なコメントを引用して結果的に高沢を褒めちぎっている。

……不破さん、かわいそうではないか(笑)。
太田氏と山岸、鷲尾氏や鈴木俊一氏の比較を「石を投げられる側」「投げられない側」という形で行い、後者を貶めるのなら、不破は「リンチを受ける側」、高沢は「リンチを受けない側」として、不破の硬骨ぶりを称えなさいな。

あるいは、「鈴木の男性的でおおらかな人柄が無意識のうちに投石をさし控えさせた」という解釈もできるやろ(笑)。



(ちなみに、右翼の妨害の有無を人物論にするという点では、この連載での「住井すゑ」の回も同様だ。児玉誉士夫がでてくる。)

つまり、「暴力的な妨害を受けた」「妨害を受けなかった」どちらにしても、彼は自分の都合の良いように解釈し、褒めたい相手には善のレッテルとして、貶したい相手には悪のラベルとして使用するのだ。
まことに総会屋的(比喩)といわねばなるまい。こういう矛盾が、佐高氏の議論のばかばかしさであるのだ。

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また、右翼」などの暴力や脅迫を受けることそれ自体が正しさの証明であり、他に勝っていることの証明であるという彼の単純な発想法も、非常に問題である
(これは猪瀬直樹の「ミカドの肖像」評価や、呉智英からの批判を受けたときに「私は脅迫を何度もされている。呉智英にはそんな事はあるまい」という反論?をしていることからも分かる。ただ、いわゆる暴力右翼の問題点の一つは、こういう単純な発想のお方に付け入る隙を与えてしまう所であり、徹底した取締りを望みたいところだ)

この発想がそもそも、いかに馬鹿げたものであるかについてもスペースを割く必要があるだろう。


あとひとつ。高沢といえば社会党内部のバリバリのレーニンスターリン主義者としてソ連を徹底的に美化し、社会主義国の実像を歪めつづけた、土井たか子の側近である。そういう事を、カラクチらしく「筆刀両断(ププ)」するかと思いきや、”過ちを率直に見とめる誠実さ”などとそれまで美化の材料にする。
これと井上成美、瀬島龍三らへの佐高評価と合わせて、さらに矛盾を指摘したい。

しかし、彼の文は本題以外にツッコミどころが多すぎるので脱線しやすく困る。