佐高信批判の総本山を自認していた当ブログも、ついにその中心地が完全に移動したと言わざるを得ない。
http://ameblo.jp/sataka/entry-10053003900.html
「義理をつくると切っ先が鈍るという理由で1つの会社の主催する講演の依頼は受けないことにしている」 と公言されていたあなたが北海道のある証券会社主催のそれでこの23日に講演しているのを知ったときはちょっと驚きました。
札幌・投資普及講演会
■内容 「いま、日本を読む」
講師: 評論家 佐高 信氏
「証券投資を取り巻く環境と地場証券の役割」たとえば2004年の高知新聞100周年記念事業の講演会で
「あのバブルの最中に、『こんなばかな状況が続くことはない』と、断固として融資をやらせなかった珍しい人がいます。」5年前、私が札幌に行った時、私に会いたいというので会った。なかなかの人だった。(略)
「竹中平蔵は速く忘れたいが、武井氏のことは忘れてはならない。」と最大級の賛辞を送っておられます。(略)
武井さんの略歴が書かれています。転載しますとたけい・まさなお 1925年(大正14年)生まれ。陸軍予科士官学校を経て、旧満州(現中国東北地方)へ(略)
なぜ、私がこういうことにこだわるのか、それは北海道の自衛隊がイラクに送られるときにこんな激励集会があったからです。
「イラク派遣自衛隊を激励する道民の集い」
講師:志方俊之 (帝京大学教授 元北部方面総監)
自衛隊の方に安全千羽鶴贈呈します。
また、普段自衛隊のPKO活動などのパネル展も同会場で実施されます。
(略)
佐高さんは同じ年、この一週間前に日比谷で「自衛隊はイラクへ行くな!」1.11集会の発起人としてがんばっていらっしゃいましたね・・・
あはは。
しかし、この事実関係、登場人物含めて全く分からず、このリンク先のエントリが無ければまた、こういう矛盾は闇に葬られたでありましょう。脱帽せざるを得ない。
紹介せず、何も新知識を出さないのもなんなので、ちょっとこちらでも付け加えよう
過去の文章の部分的な引用なので、あとで全部再掲載するかもしれないし、単独では意味がつながりにくいが・・・
※元の文から少し改変
、右→左の例を挙げよう。、
「社民党の高沢寅男、彼は陸士さまですよ陸士(61期)。どのくらいエリートかといえば、のらくろも赫赫たる武勲を挙げ曹長に出世してはじめて入学できたというくらいの軍国エリートである。いくら暗黒の戦前戦中(笑)とはいえ、むりやり陸士に入ったって人はいません。志願しないと、つーか志願し受験競争を潜りぬけ始めて入れる。
つまり高沢は、自発的に「アジア侵略のお先棒」を担ごうとした男なのである(笑)。
・・・とすると、のちにバリバリのスターリン主義者として大活躍した彼は現在の陣営に忠誠を誓うために、ヒステリックに昔の陣営を叩」いていたのだろうか?ねえ佐高さん。註:佐高が谷沢永一や藤岡信勝、長谷川慶一郎、西部邁・・・を叩くときのワンパターンな手法として「やつは元左翼。以前の思想を叩くのは、今の陣営への忠誠を使うためのヒステリックな行動だ」というのがあり、それへのカウンターパンチとして書いた。佐高は高沢寅男(昔は社会党最左派のレーニン・スターリン肯定派。のちに土井たか子の最側近になった)を、「葬送譜」という本の中で賞賛している。
おれもぼちぼち、たまった佐高ネタを片付けないと。