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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

なぜ日本の携帯電話は、ハード面での競争力がないのか?

とはいえ、他の地域では着実に「大競争時代」が進んでいる。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1
朝日新聞社説 「番号持ち運び 「携帯」をもっと安く 」

・・・販売店に巨額の奨励金をつぎ込み、電話機を「1円」「0円」まで下げて売るのも当たり前になっている。そんな出血サービスをしても、後から基本料金や通話料などで回収できたからだ。

 安ければ安いほどいい、と言いたいところだが、ここに問題があった。値引きの原資となる奨励金の負担は重い。電話機1台当たりで4万円ほど、全契約者が毎月払う料金の4分の1が投じられているとの推計もある。

 新機種を買う人に、同じ電話機を長く使っている人が補助金を出しているようなもので、不公平だ。通話やメールなどに本当はいくら払っているのか分かりにくい料金体系を続けていては、いずれ利用者から見放されるだろう。

 こうした商法の副作用も無視できない。必要もない機能まで詰め込み、コストがかさんだ機種でも、店頭での価格は安いために使われる。これがあだとなって、日本のメーカーは低価格の電話機づくりが苦手になった。

 巨大な海外市場は北欧や韓国などのメーカーに奪われてしまい、日本勢は狭い国内市場で共倒れしかねない。

個人的には、こういう玩物喪志(意味違う)、技術の可能性だけ追求できるだけ追求しちゃうというのはたいへん好ましい方向性なのだが、実際、自分もその多機能を使っているかといえば使ってないしな(笑)。精密多機能が単純・シンプルなものに敗れるといえば、例の「カラシニコフ、世界を制す」につながるものがある。
よく考えたら、携帯電話は他に電気器具が何もないような田舎、途上国でも欠かせないインフラなのだ。

たとえば、「ゼンマイ付き電池不要携帯電話」なんかを国策・日の丸携帯電話として、援助物資にするというのはどうでしょうか。いや、今あるかとか、ゼンマイで必要な電圧電流をまかなえるかは知りませんぜ。
ただ、「ゼンマイで聞けるラジオ」は、災害時や途上国の中で重宝がられている。 電池の入手ってけっこうたいへんだもんな。