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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

かつて「カメラを持ってる」がマレビトの特権だった時代。携帯スマホはやはり、世界を変えたのだろう。






【メモ】沢木耕太郎深夜特急」トルコで「俺達を撮って!」と言われる場面

チャイハネの前の通りは、突如、記念撮影の会場になってしまった。しかし、トラブゾンの人々のカメラ好き、記念写真好きには桁外れのところがあり、撮っても撮ってもきりがない。それもそのはずで、ひとりの男を撮ると、ちょっと待ってくれと言い残してどこかの路地の奥に走っていき、しばらくして戻ってくるとその腕には赤ん坊が抱かれていたりする。

そんで、写真出来たら、ここに送ってくれよ!という住所のメモ書きが殺到して、とても送りきれないので、どうせ同じ町なんだからってことでだれだったか、一か所にまとめて送ることにした…という話になってたはず。



いま、どこの発展途上国でも携帯は必需品に近くなり、世界共通で生産されてるもんだから当然どこにもカメラがついてて、メールがついてて、SNSにもつながる。
その結果として「おお、この旅行者はカメラを持ってる!めったにない機会だ、俺を撮って写真を送ってくれよ!!」なんてやり取りも、おそらくは激減したでありましょう。
それは、旅行の時に必ずカメラを持って行けた国の民からは、わずらわしさが無くなったことでもあり、ちやほやされたり現地の人と交流する機会がなくなって、寂しいことでもあるんでしょうね。
日本国内でも、そもそも「カメラを持ち歩いている」というのが、実に稀なシチュエーションだったのに、携帯にレンズをつけて付加機能とすることで、「カメラは持っているのが普通」という、コペルニクス的転回が発生した。
これはたしか日本発の文化というかアイデアだと聞いている。
まあ、その発祥のリードを保てなくて現在に至る(笑)…だが、それはむしろ自然なことなのかもしれない。



そして、池内恵氏が言うように、携帯とSNSが普及したときに「ほぼ無料で英語で途上国と先進国が繋がった。ここで日本社会は遅れをとった」という話も重要だろう。
言論や思想を語る”士大夫”は、どの国にも一定の割合でいるはずだが、メディアやコミュニケーションツールを持たない途上国の士大夫は、その経綸や才幹を示す機会がなく、「野に遺賢あり」を地で言っていた。
パソコン通信やインターネットが流行りだしても「パソコンはおいくらするのよ」「電話回線、ここで満足に通じると思うか?」な世界だった。
しかし、携帯電話が普及していけば……どの国であっても、その言論が傾聴に値する人の声は届き、広がる。中東やアフリカからの発信なら、むしろその視点の斬新さが注目を浴びるかもしれない。
さらにいうと、ネットでの言論・表現をマネタイズする…例えば広告なりアフェリエイトは、貨幣価値の差ゆえに、あちらでは「ネットからの収入で食う」がより簡単になる、という指摘を以前佐々木俊尚氏がしてたかも。


このへんは英語での話なので、やっぱりちょっと実感がないけど、国際問題(中東)の専門家である池内氏が
「英語で、ほぼ無料で途上国と先進国がつながった」
「日本は遅れをとった」
と指摘しているのは重要なのだろう。携帯とは、そうやって社会を変えていったツールなのだ。日本が「iモード」でやはりそれを世界的に一時リードしつつ、そっちの方角に進化したことで「携帯でダイレクトに普通のインターネットにつなげる」という進化が遅れ、いまのようになった…という、やや単純化した構図を聞いているが、それも含めて運命なのかもしれない。