http://www.epochtimes.jp/jp/2005/11/html/d14088.html
ウクライナ人団体、NYT紙にデュランティー氏のピューリツァ賞受賞取消を要求
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【大紀元日本11月25日】ウクライナ人抗議集団が18日、マンハッタンのニューヨーク・タイムズ本社前に集まり、1932―33年の間に発生したウクライナのジェノサイド事件を隠蔽したことで、同社の元モスクワ駐在員ウォルター・デュランティー氏のピューリツァ賞(1932年)を取り消すよう求めた。
旧ソビエト政権のスターリン時代、1932−33年の間モスクワ当局が意図的にウクライナの1,000万人近くを餓死させた際、デュランティー氏はその事実を隠蔽工作したとされている。同氏はニューヨーク・タイムズのモスクワ支局勤務中、ソビエト当局と強い癒着を形成した。当時、ソビエトはウクライナへの支配力を強めるため国内統制を行った。同氏の虚偽の報道は海外の公論を戦略的に欺くために大いに役立った経緯がある。
同氏は、1933年11月15日号で「飢饉や飢餓などなく、将来も全く無いだろう」と報じ、同年8月24日号では「飢饉等の報道があったとすれば、それは誇張か悪意のある宣伝」と報じた。同氏はさらにウクライナの真実に触れようとする外国人記者たちを「全くの嘘つき」と攻撃した。英国外務省のガレス・ジョーンズ氏がウクライナの惨状を報告したところ、デュランティー氏らに袋叩きに遭ったという。
オレンジ革命後のウクライナでは、ビクトル・ユーシェンコ大統領が当時のソビエト当局によるジェノサイドを記念する『虐殺記念館』を建造しようとしており、ウクライナの人々はジェノサイドを誘発した嘘を記憶にとどめるために、そこにピューリツァ賞メダルを掛けたいとしている。ニューヨーク・タイムズ本社前で抗議するマルコ・サパロン氏は「私の父は、ソビエト当局の飢餓統制で二人の弟を失い、今も悲しみに沈んでいる」「ウクライナはより自由で民主的になった。ユーシェンコ大統領は二度とこのような悲劇が起こらないようにと記念館を設立しようとしている。そこに掛けられるべきは、ピューリツァ賞のメダルです」と述べた。
(05/11/25 10:58)
この面白い記事を伝えたのは「大紀元」なるサイト。自社紹介は
http://www.epochtimes.jp/djy/about_djysb.html#5
で、やや抽象的だ。もともとは中国系メディアで、たしかに中国の記事が多く見える。
台湾の独立派系新聞?と思ったが、「世界30ヶ国に広がるネットワーク」「ニューヨークに本部を置く報道社」という点で、直感的な推測としては「法輪功」系メディアではないか、と考える。違ってたらスマン。
まあ、個々の記事が有益なら、それは構わんだろう。「潮」の記事にも有用なものはある。
関係ないが「大紀元」の日本支社は秋葉原にあるんだと。
国際都市・秋葉原を舞台にした情報スリラー小説がそろそろ作られそうだ。
で、この記事の話だ。
「賞」というものは、柔軟にその後の判断で取り消したりするほうが権威を高めるのか、その時はその時の判断として、過ちも歴史の一つとして残すのがいいのか、これは一般論として永遠の課題。K-1の判定のことではない(笑)。
小生は、基本的には後者の立場で、そういう意味からウォルター・デュランティの賞取り消しには反対だ(実際、11/21にそういう結論が出たという)。
だが、それとはべつに、デュランティー氏のアホバカマヌケな報道を、永遠にどこかで晒し者にするという趣旨には賛成だ。NYタイムズも、賞とはべつに、そちらのほうを協力してはどうだろうか。
このへんの問題は、同時代の英国にもあった。詳しくは
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・・・西側のソ連体制擁護論者が、すさまじい被害をもたらした政策を積極的に弁護し、消極的に黙認し、あるいはソ連当局の政策に対する批判や飢餓と軍事抑圧に関する事実報道を直接・間接に抑圧することに終始した事実は残る。
そのためソ連当局が国際世論の圧力に譲歩して政策を転換したり、弾圧を緩和したりする必要を弱める事になったといってもそれほど大きな誤りはないと思う。
少なくとも、西側の無分別なお追従やおためごかしが、スターリン体制とは異なった路線を求めるソ連内部の勢力に精神的な打撃を与え、国内的孤立感をいっそう深める役割を果たしたとはいえる・・・(189P)
水谷氏は丸山真男論をのちに書いていて、それは「ラスキと〜」の続編としての色彩もあるという。
http://d.hatena.ne.jp/katzmak/20050103
そして日本でも、冷戦終結・ソ連崩壊の直後、1980年代の末から90年代初頭、もう一度デュランティーと同様の、日本知識人の言動を再検証する動きが活発になり、諸君!なんかは「最後の審判」と銘打っていた(笑)。
その集大成ともいえる
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なんて本も出たのだが、私見ではまだまだ足りなかった、不十分だった。
ホロコーストや空襲、戦争に関する博物館があるのなら、この種の社会主義幻想にまみれた言論の残骸を記念する、常設の展示館や、もしくは期間限定の巡回展などをどこかが主催してみればどうだろうか、だ。
正直、デュランティーに関する記事を読んで、日本の某氏や某氏や某氏の顔を思い浮かべたのは私だけではあるまい(笑)。
まあ、ただデュランティ氏はソ連に、性的なスキャンダルで脅迫されていたとの説もあり、それはそれで同情すべき話だ。もちろん、世界への訴えをもみ消された当時のウクライナ国民のほうはもっと同情されるべきなのだが。
さらに余談。
英国、米国で「赤い30年代」があり、日本で「赤い70年代」があったとして、今韓国で起きている「赤い00年代」は何やろか(笑)。
あと少ししたら、今同地の知識人が書いている北朝鮮への美化論は、大恥かくことはもう必然なのに。いいのか。