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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

8月9日…「ソ連中立条約違反の日」を、プーチンのウクライナ侵攻後初めて迎える夏。

8月9日は、長崎原爆の記念日です。
この式典において行政の「弔意の強制」という問題が存在することは、この前の記事で書いたので繰り返さない。


そして8月9日といえばもう一つの記念日である。

いわゆる半袖、いや「反ソデー」、その後「反ロデー」になったんだっけかな。

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1945年のこの日、ソビエト連邦は日ソ中立条約を破棄して対日参戦を敢行。また、大日本帝国の傀儡である満州国へ侵攻した(長崎市への原子爆弾投下と同日)。
満9年の1954年、日本の右翼・民族派は、これらソ連の一連の行動を弾劾すべく、大日本愛国党主催の「滅共反ソ国民大会」が新橋駅前で開かれた。福田素顕は資金調達、赤尾敏は演説会、荒原朴水[注 1]はデモと、それぞれ役割を分担した[1]。大会終了後、約40人がソビエト連邦代表部に移動して抗議活動を行い、更には鉄門を破って侵入、警察官を負傷させる事件が発生した。この事件で荒原・福田進・及川秀雄の3人が起訴され、有罪判決(荒原に懲役4月・執行猶予2年、福田に罰金2万円)を受けた[2][1][注 2]。右翼はこの事件を「義挙」とし、以降毎年この8月9日を「反ソ連デー」として位置づけ、ロシア大使館近辺で街宣活動を行うようになった。


果たして今続いてるのかどうか。
昭和の御世においては、東京中に(だと思う)「8月9日は反ソデー」のビラが、日本愛国党によって貼られ…今思うとあの行動力と言うか動員力はいったいなんだったんだろう。

それによって変な知名度はありました。

いま、かつての名物党首、「銀座のドン・キホーテ」こと赤尾敏の姪が参政党から出馬してちょっとだけ話題になったが、愛国党自体は協力関係を持ちつつ分派しているそうな。


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いや、それはどうでもいいんだが…

ことし、2022年の反ソデー、反ロデーは、「プーチンウクライナ侵攻後、初の反ロデー」、となるのですな。


いや、今の反ロデーも、愛国党的な界隈が中心になってやってるんだったら、それはそれでさすがに一般的な支持は得られないだろう。ある意味それは安全弁である。


ただ、日ソ中立条約を破って満州になだれ込み、軍人だけでなく民間人にも多大な略奪暴行を行った…という点への批判自体は正当なもので(関東軍の狼狽や、不十分な抵抗、あるいはそもそも満州に日本移民がたくさんいること自体の不当性を問うこととはまた別だ)ある。

ウクライナジョージアで、日本と SNS で交流してる大使館などの層は、無駄に日本人の琴線に触れるキーワードを散りばめる才能がある(笑)。

「ロシアのウクライナ侵攻」を目撃したあとの日本社会は、そしてそれに関わる国際社会は「8月9日」に際し、昨年までと同じスタンスで迎えられるだろうか。