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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

アマチュア研究家列伝


さきほど(註;初出のこの文章には前が少しある。)は漫画家やイラストレーターといった「業界」の人々が作り上げていった「学問」を見てみたわけだが、他にも異業種の人々がほんの息抜きに書いたものにはなかなか侮れない佳作が多い。考えてみれば徒然草以来、備忘録じみたシロートの文章こそ文化に貢献するものなのだろう(この雑誌を除く)。
さて、メディア・芸能界以外のまっとうな社会人が書いた(体験談以外で)エッセイで私が一番好きなのは倉田卓次「裁判官の書斎」シリーズだ。タイトルまんまに、裁判官が仕事の合間に読んだ本や、専門の法律を含めた森羅万象に関するあれこれを書いたものである。

凄いのは内容もさることながら、そのジャンルの広さと深さ。専門的な法律書藤子不二雄SFなどがさも当然のように目次に並んでいる。それもごく的確に要点をつかみ、古今の例と比較し、誰もが得心のいく結論を出すのである。職業がらというべきだろうか(笑)。
しかし判決文のような無味乾燥な文章ではなく、しっとりした味わいに満ちた文章であるからさらに凄いのだ(なぜ判決文は無味乾燥なものになるのか、にも一章を割き解説がある。こういう素朴な疑問というのも面白い)。

しかし文章の味や読書ジャンルの幅広さを超えてこのシリーズを傑作にしているのは、その好奇心と私がよく云う「問題設定能力」の面白さなのである。著者の職場、裁判所に置かれている「正義の女神」像はなぜ目隠しをしているのか。「老人と海」翻訳本に出てくる魚の種類には誤訳があるのではないか。

最後にちょいと種明かしをしてしまうが、彼が凄いのは当然といえば当然で、あるSF小説……三島由紀夫が激賞し、石森章太郎が漫画化した「日本SFのベスト10に確実に入るが、同時にその枠内に収めてしまうことを躊躇する」と評論家に云わしめた「******」の作者ではないかと目されているのである。ならアッタリマエか。(註:と思ったら、この度その本当の作者が正式に名乗り出た。どうも別人みたい。)

そしてさらにわけの分からんやつを紹介させてもらう。
串間努。「昭和B級文化研究家」である。……「なんだそら」という読者の声が聞こえてくるが、簡単にいうと、学校や放課後に流行ったガキの遊びや、給食、体育着などにまつわる研究をするひとだそうだ。ますますわからんね。しょうがないので法政大学講師・見えない大学本舗主催浅羽通明氏に解説してもらう。

この講義録は法政大学社会学部第二部(市ヶ谷校舎)毎週金曜日に行われているものを再録しています。
第25回:「まぼろし小学校」のOBたちへ
  −もしくは「社会史」の主体としての私たち(97 1/10)

串間努という人の書いた『まぼろし小学校』という本が、去年の終わりぐらいに小学館から出ました。で、これはどういう本かと言うと、副題が「昭和B級文化の記録」というようなタイトルで、前書きの所をかいつまんで読んでみますと、この著者はですね、自称「日曜研究家」、休日になると頼まれもしないのに図書館でいろいろなことを調べるのでこんなあだ名がついている、……なんと言うか、まぁ「趣味の人」ですね。で、その趣味の人の串間という人が、「ある時、尿道結石の疑いで僕は病院に行き、尿検査をした、トイレで紙コップの底にある同心円を見ている時、ふとこんな考えが頭をもたげた。そういえば、小学校の時の検尿は、紙を折ってコップを作ったよな? ……」
いきなりシモネタですが、「ふと、昔の記憶がよみがえってきた、病気になった心細さもあってかいみじみと回想モードになると、次々といろんなことが思い浮かんでくる、なぜ学校の手荒い場は『レモン石鹸』なのか? 給食の揚げパンは誰が発明したのかどうか? 何てなことが、いろいろと思い浮かんできた……」小学校の時の思い出が思い浮かんできたわけです、でも、この思い出ってのは、でも、友達とケンカしたとか仲直りしたとか、初恋がどうのとか、そんなようないわゆる思い出とは違うんですよね、もっと「思い出」と言うよりも「記憶」ですね、デテールの記憶ですね。そういうものが思い浮かんできた。で、「ユリイカ(そうだ)!」……この「ユリイカ」ってのは「我、発見せり」って意味です……「そうだ、わかった、小学校の中にも文化があるんだ、ということに思い至った僕は、普通の人なら酒の場のバカ話で終わるような話を本腰を入れて研究することに決定した」
 というふうにして「趣味の人」の彼は、小学校の文化というものを研究しようとするんだけど、図書館で幾ら本を調べてもそれについての情報はほとんど得られなかった、ということです。給食の揚げパンの話の経緯とか、検便の容器の変遷についての本なんてのは一切ない、で、子供たちの遊びについても「花いちもんめ」とか、そういう昔からある遊びは研究書があるけど、「昭和40年代の休み時間の遊びについては一行もさかれていなかった」ということですね。そこで、彼はそういうふうな揚げパンがどうのとか、検便の容器がどうの、ってのは、そういうことを委託して学校に納入していた業者っていうものを追跡して行って調べ始めます。で、もう一つは、主にパソコン通信を使って、アンケートを日本中にバラ撒きます、自分の小学校時代の思い出とか、これこれこういう風な、例えば給食とか、遊びとか、そういうものについてどういう記憶がありますか? ということをアンケート形式で集めています。で、そういうふうにして、膨大な情報を集めて、マニアックに集めて行って何が見えてくるか、ということを、ひたすら趣味的にやった、その成果の本なんです。
 で、そういうふうな本ってのは、今までなかったわけではないし、誰かがやっても全然おかしくはないです。でも、これは、そういうふうなものの中でかなり充実してるだけじゃなくて、そこから一歩出ようとしてる、一歩踏み出てるところがある、そこまで考えると、一種なんて言いますかねぇ、まぁ「社会史」或いは「歴史」といったものと私たち普通の人たちとの関わり合いですね、「普通の人」ってのは専門の歴史研究家とか学者とかじゃない、ってことです、ってことについて、あるヒントか何かが見えるんじゃないか・・・


この講義もここから面白くなっていくのだが、ページの都合上ひとまず戻る。
こういうことを調べているのが串間努ですが、そんなこんなで(どんな?)この「まぼろし小学校」なかなか面白い読み物に仕上がっている。
「コックリさん」が地域ごとに「ラブ様」とか「キューピッドさん」果ては「星の王子様」(?)とかに変わっていたりとか、また替え歌などが地方や時代で変わっていくさまがよく分かる。
ソーダー村の村長さんが、ソーダ飲んで死んだソーダ(なんだよこれ)
♪キンピラゴボウと梅干し そいつがおれの弁当(近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」の節で)
♪猿、ゴリラ。チンパンジー…(「クワイ河マーチ」の節で)

レインボーマンなんか元ネタだれも知らないだろうに、替え歌だけは20年近く生きつづけているらしい(笑)。
他にも、いまや“生ける伝説”となっている「象が踏んでも壊れない」筆箱の制作秘話、宣伝CM撮影の苦労、「壊れないなら、買い替えてもらえん」という役員の懸念などを押しきってヒットさせた話や、「給食で一番嬉しい」と子供たちから絶大なる支持を得たココア粉末『ミルメーク』(牛乳に入れて飲む。今上天皇もおのみあそばされたとか!)の社長インタビューは一瞬「メタルカラーの時代」か「プレジデント」を思い起こさせるが、間髪入れず子供たちの「僕らは壊した」「ビンに粉をいきなり入れたら溢れた」という証言が(笑)。
かようにまじめな論考とフマジメなガキの思い出が混在しているのが、いい味出してる。

ところでこのアマチュア研究家は、アマチュア出版者でありアマチュア流通業者でもあるらしい。つまり本を作ったら、自分で担いで本屋と交渉、置いてもらうのだそうだ。今でこそ一定の評価を受けている「日曜研究家」シリーズだが、最初はもう本屋の態度と来たら……。
この人情紙のごとき書店員と著者との掛け合いが、研究以上に楽しいと評判を一部で取っている。うむ。