自ら武壇八極拳の追求を目指し、弟子たちにも指導し、互いに実戦的な追求も行う、一種の実験団体を主宰。なにを、どのように練習し、どのような強さを目指していたのか?弟子たちのみが知る武術家としての姿を記録にとどめるべく、当時のさまざまな教えを再現した。八極拳と秘伝―武術家・松田隆智の教え 拝師弟子だった著者のみが知る「素顔」と「技」 (BUDO‐RABOOKS)
- 作者: 山田英司,松田門下生OB有志,フルコム
- 出版社/メーカー: 東邦出版
- 発売日: 2014/03/01
- メディア: 単行本
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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
山田英司
1955年、東京都生まれ。私立開成高校卒。早稲田大学教育学部中退。月刊『フルコンタクトKARATE』、月刊『格闘Kマガジン』、月刊『BUDO‐RA』などを創刊させ、“やる側”の編集長として、格闘技界では有名。現在は、『BUDO‐RA BOOKS』の編集長を務めるほか、数多くの格闘技イベントの企画、プロモーションに携わっている。武術は小学校の剣道から始まり、中学時代から中国武術を学び、大学では日本拳法部に所属。1975年、早大に日本初の中国武術のクラブ「東洋古武道研究会」(後に中国武術研究会に改名)を創設し、初代主将を務める。1982年から松田隆智氏より各種中国武術を学び、1986年に拝師弟子となる。拳功房を主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
松田氏と山田氏の関係は、以前松田氏が亡くなった時の追悼記事で書いたことがある。
「拳法」を日本の文化とした男…「拳児」原作者、松田隆智氏逝去
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130725/p1
大槻ケンヂ・山田編集長が語った松田隆智エピソード
「中国拳法」と松田氏について語るとき
「どこまで<事実>なんだ?」「『計測可能』ですか?」「ぶっちゃけ、話盛ってない??」という話は避けて通れない・・・いや避けてもいいんだけどね。山田編集長・・・下の名前忘れちゃった(笑)、「ザンス山田」、かつてのフルコンタクト空手の編集長・・・あ、山田英司氏だ!
あの人は「拳児」に出ている。台湾で戦った悪役だ(笑)。田英海、だっけかな・・・名前にも反映されているでしょ。
漫画家は仲がいい人ほど、逆に悪役として登場させやすいということはある。はじめの一歩の「マロン山田」、まんが道の「いじわるな同級生(実はA先生と親友だった!)」、パトレイバーでの出渕・河合がモデルのシャフト技術者など・・・
だが、山田氏はガチで関係が悪いために悪役扱いの登場となった(笑)
山田氏によると、要は悪役が主張する
「防具をつけてフルコンタクトで練習しよう」
とか
「ムエタイやボクシングも取り入れよう」
というのは、やまり松田氏から見れば危険思想だったらしい。しかし松田氏といえば一番、各種武道のいいところどりを薦めていたし、拳児の中高編では部活を利用してさまざまな武道、格闘技を拳児に体験させたから、そのへんとの整合性はよくわかんね。
山田氏が言うには、自分がモデルの田英海と、蟷螂拳マスターがスパーで戦う展開、あれは実際にあったことらしいが、結果は全然違ってたそうである(笑)
そんな関係の人だからこそ書ける思い出もあるのだろう。
そういう松田氏の思い出が中心なのか、八極拳自体の考察が中心なのかとかはわからないけど、紹介しておく。個人的には「漫画原作者・松田隆智」の「拳児」創作秘話などが書かれているとうれしいのだが。