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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

6/17朝日社説と愛国心

朝日新聞の社説をブログで評論するってのも、
いろんなとこでアリガチな気がするんだがね。

6/17■教育基本法――愛する国とはどんな国
(略)
 国を愛せ、と一方的に教えるだけで愛国心が育つはずがない。まして、戦前のような国家体制への郷愁にかられて、国を愛せ、伝統や文化を愛せ、というのならば、とても受け入れられない話だ。

 自分の国をどう愛するかは、人によってそれぞれ違う。国を思うからこそイラクへの自衛隊派遣に反対する人がいるし、逆に、賛成する人もいる。

(中略) 

 今の教育基本法が育てようとしているのは「平和な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、勤労と責任を重んじ、心身ともに健康な国民」である。戦後、この法律通りに教育行政がされていれば、愛国心を十分持った国民が育っていたのではないだろうか

引用した上段と下段が、自然につながるとしたらそれはよっぽど奇妙なことだ。

「国をどう愛するかは人によってそれぞれ違う」
ならば
「平和な国家及び社会の形成」「真理と正義を愛し」「勤労と責任を重んじ」るのは、万人が認める唯一の方式があるとでもいうのだろうか(笑)。現在の教育基本法マントラか何かで、超自然的魔力があるならともかく。


社説子が所論に説得力を持たせたいというならば、この教育基本法自体を「一方的に教えたって育たない」「とても受け入れられない」と排除するべきだった。


どうも、前提として教育に過大な負担を強いている。
もともと、この種の学校教育が愛国心だろうと平和を愛する心だろうと、真理であるはずがない。というか、真理であっては困るのだ。

学校で教えられる道徳も行儀作法も学問も、どれもその人間にとってはワンオブゼムであって、信じる義務も義理もない。
それでも、だからといって学校がなんの価値も与えないわけにはいかないから、公の立場、国、近代主義の立場からのイデオロギーを押し付ける。それが身に付こうと付かなかろうと、その程度のものでしかない。


「自然に身に付くものだ(からやる必要はない)」というのなら、いちいち少年事件が起こるたび、心の教育なんたらに頭を悩ませないことだ。この種の議論は、だいたい問題の回避に使うだけでな。



ところで、上の「愛国心は真理ではない」というのは
ナショナリズム擬制、という話につながる。

靖国神社がまさにいい例だが、反保守主義の一方の反撃に「靖国神社なんか、日本の本来の伝統に反するもので明治にでっち上げられた西洋の猿真似イデオロギー

「神前結婚式も学校唱歌も国旗国歌も、西洋の影響下に出来たもので本来の伝統ではない」などの主張がある。呉智英のデビュー作「封建主義者かく語りき」でも論じられていたね。

しかし良質の論客、たとえば「新しい教科書をつくる会」の中でも故坂本多加雄氏などは、このへんのことを既に織り込んだ議論を展開していた。
つまり「かのやうに」という森鴎外以来のスタンスを、自己の補強に使うという形。


えー、これが浅羽通明ナショナリズム」の内容に最終的にはつながるのだが後日。なんかこの本に関しては後日後日と論点を増やしてばかりで、サラ金のようにどんどん負債が増えていくよ。