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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

必修飛ばし問題で補習授業70時間(50時間?)


バビロン補習。


というネタを思いつきました。
思いついただけなんだが(笑)、ただ元ネタ 「バビロン捕囚」は

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%B3%E6%8D%95%E5%9B%9A

から「アヴィニョン捕囚」(教皇のバビロン捕囚)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%8D%95%E5%9B%9A

につながる(なぞらえられる)エピソードとして、西洋・中東史の連続性と、そこに通底する宗教性ということを感じさせて、高校の世界史教科書の中でもひときわ個人的には印象に残るキーワードでありました。

こういう余計なことを考える力を持つだけでも、世界史は学ぶ価値がある(本当か?)。


ただ、自分は高校のころ、何が必修科目かとか調べたことも無かったなー。いつ変更になったりしたのか、そのころも必修だったのか?
それはおいといても、面白いもので話を突き詰めていけば、とりあえず悪法も法なりで今回は処分、対策ありとしても


「そもそも、国家が『この教科(知識)は絶対に身につけて置くべきだ』と定められる」
ということに反対するという立場があっていい。国旗や国歌のセレモニーへの対応と絡めてもいいが。

「校長が、権限で何でも決めていいはず。裁量で世界史を学ばなくて何が悪い?」とかね。
また、優秀な理系技術者の大量養成という、日本のここ60年に及ぶ国家目標を最初に設定すれば「偏った知識で何が悪い。物理・化学は即座にフーコーで振りこれたり、アルコールをかもせたりできるが、日本とアメリカの戦争を知らない、専門バカでいいじゃないか」

ってのもありだろう。


「ふふふ、世界史履修者はりこうだ!成功するだろう。
しかしこの理系、自ら望んで(専門)バカになるのだから
しょせんどこまでいってもレールの二本、交わらんサ!
ではいつかどこかでな」


空手バカ一代(1) (講談社漫画文庫)

空手バカ一代(1) (講談社漫画文庫)


ことここにおいては、教養豊かなルネッサンス的ジェネラリストか、深く特化したスペシャリストか、日本の明日の若者はどちらになるべきか、という選択肢になる。と同時に、こういう選択は間違いなく「価値判断」を伴うものである。教育問題の議論はいつもナショナリズム教育の問題が一番沸騰するけど、そもそも「権力が価値判断を教える」ことの絶対的な不可能性・それでもあえてやるしかないという必然性に引き裂かれている。


この前、筑紫哲也の番組では教育基本法賛成・反対の討論があって、司会者もふくめて双方レベル低ーーい低調な討論になったが、東京都だかどっかの、生活態度評価か何かに「国を愛する心」みたいなのがあったのを問題視していたが、画面を見る限り「がまんづよさ」とか「思いやり」とかの項目があった記憶が。

例によって批判派は「国が、何をもって愛国心であると決めるのか」「国からの押し付けではないか」てなことを言っていたが、じつはこの「がまんづよさ」に関しても、国が何をもってがまんづよいと決めるのかって話では同じだよな(笑)賛成派は頭の回転が遅く思想も浅い八木秀次氏だから、そんなことを指摘するのは無理だったでしょうな。


この話は「リバータリアニズム」にも当然つながりますね。
それは今後つうか明日にでも。

ところでこれって「犯罪」だよね

おなじみ「愛川欽也パックイン・ジャーナル」でも田岡俊次氏が指摘していたのだが公文書を偽造していたのだから、各地で暇人だか正義感だか、もしくは「うちの息子は受験に役立たない授業もやっていた!不公平だ!」という人が、刑事告発を行ったら警察は受理せざるを得ないだろうし、今の報道から見る限り間違いなく有罪になるだろう、というのが氏の見立て。

ではあるが。佐竹高校校長の遺書

スーパーモーニングにて、直筆の遺書が映し出されていた。
いま、大急ぎで写してみる

お願い

一、生徒の調査書、成績表については、生徒に瑕疵はありません。
生徒に不利益にならない御処置をお願い申し上げます。


一、三年四組、五組の皆さんには迷惑を掛けますが、
学校から出される補習日程に従って補習を受けるようにお願いします。


右願い 一命を副えてお願い致します
高久裕一郎

われわれは、あえて「良識」の名の下に、自殺は逃げだとして校長を批判せねばならないのだろう。
良識というのは往々にして、いやなものだ。
円谷幸吉の遺書を思い浮かべたり。
http://www.tees.ne.jp/~syn/monostory/gorin/isyo.html