まず、朝日新聞の2010年6月15日の社説を紹介したい。
ザ・コーヴ中止―自由社会は見過ごせない
言論や表現の自由にとって、深刻な事態がまた起こった。
和歌山県太地町のイルカ漁を告発した米国のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の上映を予定していた東京、大阪の3映画館が中止を決めた。作品を「反日的」と糾弾する団体が「抗議活動」を予告したため、近隣への迷惑を考え「自粛」するという。
問題は、この映画の内容が妥当かどうか、質が高いかどうかとはまったく別のことだ。たとえ評価が割れたり、多くの人が反発したりする作品や意見であっても、それを発表する自由は保障する。それが表現や言論の自由であり、自由な社会の土台である。
「客に万一のことがあっては」という映画館の不安はわかる。しかし、こういう形での上映中止を、自由な民主主義社会が見過ごしてはいけない。
この映画は、太地町でのイルカ追い込み漁の様子を隠し撮りして作った。今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受けたが、地元などからは、その手法も含め強い批判が出ている。
同町と同町漁業組合は、登場する住民の肖像権を侵害し、虚偽の事項を事実のように示しているとして、配給元に上映中止を求めた。このため配給元は住民の顔にモザイクを入れたほか、町側の主張を作品の末尾に字幕として加える対応をした。
作品のクライマックスでは、漁師がイルカを殺し、海が赤く染まるシーンが映し出される。イルカ保護の観点から「残虐」行為として描こうとしたのは明らかだ。太地町のイルカ漁は長い伝統がある。もちろん合法だ。地元出身でなくとも、作品に抵抗を感じる日本人は少なくないかもしれない。
だが、イルカについてまったく異なった見方があることはわかる。何がどう違うのか。なぜアカデミー賞を受けるほど評価されたのか。
強い反発を覚えながら、自分と異なる価値観と向き合う。そして、自分はなぜこの作品に批判的なのかも考えてみる。それは自身の価値観を相対化したり、どんな偏見や誤解が異文化間の理解を阻んでいるのかを考えたりするきっかけになるだろう。
だからこそ、人々が多様な意見に接する機会を封じてはならないのだ。
同じような事態は一昨年、中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」をめぐっても生まれ、上映中止が相次いだ。
今回も上映中止の連鎖が懸念されるが、上映予定の全国の約20館には踏ん張ってほしい。万一、業務を妨害する行為があれば、警察は厳重に取り締まるべきだ。
上映の「自粛」が続くことは、日本が自由社会を自任するなら恥ずべき事態である。上映館を孤立させないよう声をあげていきたい。
この社説自体は、とくに間違いがあるとは思わないのだが、逆に賛同した人に、次の二点を社説子に成り代わって答えてもらう、というシミュレーションをしてもらいたい。
Q1:「万一、業務を妨害する行為があれば、警察は厳重に取り締まるべきだ」とありますが、業務を妨害しなければ抗議を認めるんですか?業務妨害ではない範囲の抗議で、結果「自粛」が生まれたら自由社会は恥じるべきですか?
Q2:今回の”自粛”の中には、「太地町漁協の弁護士が、立教大学に対して上映中止を求める内容証明郵便を送付」→「立教大学「ESD研究センター」の試写会がその抗議を受けて中止」という例もあります
( http://d.hatena.ne.jp/madogiwa2/20100603/p1 )この漁協と弁護士、それを受けた大学の行為も含めて批判されるべきだと思いますか?
察するに、上の社説での批判は、最後の「業務を妨害する行為」に限定しているのだろう、と思う。
ただ、社説が不足しているのはそこの切り分け、取り分けである。
なぜそうしないかというと、そこを切り分けると逆に「お墨付き」を他の部分には与えてしまうことになるからなのだろう。ねっ、ここが難しいところなんですよ。
社説が及び腰な部分をもうひとつ指摘しておきましょうか。
同町と同町漁業組合は、登場する住民の肖像権を侵害し、虚偽の事項を事実のように示しているとして、配給元に上映中止を求めた。このため配給元は住民の顔にモザイクを入れたほか、町側の主張を作品の末尾に字幕として加える対応をした。
うん、そうだ。
ただ、それで町は漁協は納得したかというとしてない。上映中止を求める姿勢は変わっていないのだ(確かそのはず)。
社説子は「モザイク処理や主張の字幕追加をすればそれで措置は十分だ。町と漁協は上映中止の要求を取り下げよ」と言っているのか、そうではないのか?そこをぼやかす「叙述トリック」(?)があるのだよワトソン君。
さらに続く。
「映された当人が撮影・上映は嫌だと言ってる。だからやめなさい」はどこまで通じるか。
http://www.mbs.jp/voice/special/201003/04_27664.shtml
去年9月…
<海外メディア>
「お水買いたい、できますか?」
<スーパー関係者>
「ダメダメ!」
<地元の人>
「隠し撮りや。あきれてものが言えない」
和歌山県太地町。
クジラの町として知られるこの漁師町に、去年夏、アメリカの環境保護団体の代表、リック・オバリー氏がメディアを連れて訪れ、町は騒然となりました。
(略)
<漁業関係者>
「(強引な撮影に対して)『撮るな』っていう、『写真撮るな』『妨害行為をするな』と口で言うだけで、何も対応出来ない」
映画は欧米を中心に公開され、太地町には「イルカ漁をやめろ」などという抗議が殺到し国際批判が高まりました。
http://www.shukenkaifuku.com/KoudouKatudou/2010/100605.html
という抗議団体の主張や活動を写真も含めてみると、「意に反した撮影・上映をされた」という部分への批判は前面に出ていないようなのだ。それは彼らが相変わらず頭が悪いからなのかと思ったが(笑)、考えてみればたしか、この団体も自らの抗議行動とかを撮影し、それをyoutubeとかにUPしているらしいのである(笑)。
いや、笑ってはいかんし、逆に「了承も受けずに撮影するとは何だ!」とも単純に言えばいいってもんじゃないね。上のリンクをもう一回読んでみて。
そもそも「ザ・コーヴ」の撮影のときも
「(強引な撮影に対して)『撮るな』っていう、『写真撮るな』『妨害行為をするな』と口で言うだけで、何も対応出来ない」
のが現状。少なくとも法律上の問題とかがあるかというと、無かった?みたいのです。
テレビ朝日とかの朝のワイドショーは?
最近おなじみの埋め草ネタに、違法駐車とか禁止地区でのバーベキューをか違法なゴミすてとかをカメラで追い回して「これ違法ですよね?」と追及するというのがあります。
いかにも視聴者のちっこい正義感と上から目線の道徳的優位さを満足させて、そういう人をつるし上げる快感を楽しむという、そういうシロモノなんですが、あれはいいんですかね。いいんでしょうね。
肖像権はモザイクかけているんでバッチリ(?)
それさえしておけば、当人が撮影や放送を了承しなくても流せるわけだす。
たぶんね。
でも、それはけしからん!となったら、疑惑の人士を直撃取材!とかもできないし、そもそも生中継もできない。
そういえば某温泉地から生中継をしたら、なぜかこそこそ顔を隠すカップルが多数いたとかいないとか(笑)
どーしたもんかね。
今回はローカルな「イルカ漁」の撮影だったが
外国人が見て不思議がいっぱいの
「アキバでフィギュアを買い込む日本人」
「プロレスや格闘技に熱狂する日本人」
「桜の花の下で酔っ払ってくだまく日本人」
「韓流スターをおっかけるおばちゃん」
とかも無断撮影・世界中で公開されるかもしれない。ザ・カーヴがあるなら、それもアリってことで・・・そういうことだよな?
げんしけんの荻上さんのようなひとがアキバを撮影されて、部室の窓から飛び降りたりしないだろうな。
ああ、これだこれだ。これを撮影した人はこの後のページで殴られるわけだが(笑)、ある意味それは自由なるジャーナリズムへの弾圧(笑)?
この「はてな検索」の質問にも注目
http://q.hatena.ne.jp/1276343565
撮影禁止とは書かれていないスポーツ大会やイベントなどでビデオカメラやデジタルカメラで許諾なしに撮影するのは法律または肖像権の違反でしょうか?責任者または管理者に許諾とらなけなければなりませんか?責任者または管理者が見つからないような大会、イベントは撮影はしないほうが賢明でしょうか?
これで、この回答の事実関係を知りたい。
どこかにソースあるかな?↓
ただ、撮影したからという理由のみで警察が逮捕したというと事例は聞きません。任意同行ならありますが。
数年前にお台場で会場外からビーチバレーを撮影していた人がいて警察沙汰になり、説諭はしたようですが、後にその説諭の行為自体が違反だったとしてその説諭した警察官が警視庁から注意の処分を食らっていますw
この事件自体は以前から気になっていたけど、そんなオチがついていたのかしら?