石井は、一計を案じた。
「おれは、押入れに入る。お前はやつに、たずねてみよ」
そう、同じ年の仲間に言い残すと、押入れの奥に入った。
やつ
とは、石井の付き人のことである。
この時代、大学の柔道部では有望選手にはそれぞれ、付き人がいた。
雑事は、すべてこの付き人が行う。給金があるわけでもなく、その大学の後輩だというだけである。
およそ北東アジアの、持病とも言うべき、年齢による序列の構築ーーーーーー石井本人が、その息苦しさに苦しめられ続けたその体制が、付き人制度を生んでいる。
後年、石井は柔道界を、火のついた家から着の身着のままで逃げ出すように転げ出たが、この時期、まだ付き人に疑問を呈するまでにはいたっていない。
それどころか、石井は、付き人の忠誠心を試そうとした。
「こいつ、おれにどこまでついてくるか」
それが、石井の関心事だった。
かといって、自分が押入れに隠れて、その場に付き人を呼んで、同級生に石井評を質問させるという、この周到かつ執拗な行為はどうであろう。
歴史の中で、石井に、吉田秀彦らが持っていたような、ひとつの明るさが感じられないのは、本人のこういった行動原理に、なんともいえないにがみを人々が感じたからであろう。ともあれ、同級生は、自分の役割にばかばかしさを感じつつも、たずねた。
「石井のことを、どう思うか」
付き人は押入れの石井に気づかず、答える。
「負ければ、いいのにーーーーーーー」
押入れの石井のみならず、尋ね役となった同級生も、戦慄した。
付き人は、せきを切ったように、その理由を説明した。いや、説明というより、糾弾と定義すべきであった。
それは石井の個人的行状ではなく、ものの見方、公的なふるまい、言動すべてを、迷い無く断罪した。
あまつさえ、石井の「柔道」そのものについても、駄目だしを迷い無く行い、大いに論難した。
「石井が勝つことは、石井の柔道が、正しいことになる」
付き人が石井の敗北を願うという、五輪前にはいわば、民族的裏切りを意味する行為を、迷い無く行うことができたのは、この強烈な正義に裏打ちされていた。つまるところ、付き人の主張は「石井という存在は、一個の危険思想である」ということである。
この無名の付き人は、柔道界の重鎮たちより、的確にものの本質を見抜いていた。
石井は、押入れをあけた。
その姿を見た、付き人の感想は残っていないが、おそらく天を龍が駆けるのを見るより驚いたであろう。
そして当然ながら、自分が日ごろは隠している石井評への対価としての、制裁を恐怖した。本来なら、これほど無礼なことをいえば殺されるであろう。
だが、付き人が放った言葉の刃は、石井に肉体的な負荷さえ与えていた。
石井は、そのまま数日寝込んだ。この男、豪快なようでふしぎにそんな繊細さがある。
だが、のちに石井がとった行動は、そこからさらに飛躍していた。
なんと、柔道をやめて総合格闘家になるという、一種明治維新に類似するような、文明の総入れ替えを行った際、この付き人に、一緒に柔道をやめさせ、そのまま格闘家である石井の付き人にさせた。
まことに奇妙人というほかない。このあたりの石井の心事になると、小説の筆は本来、とどきにくい。
あえて言うなら、石井という存在は、正気のままでは幻想であり、大うそに過ぎないが、それを狂気によって維持するとき、はじめて世を動かす実体になりうるということを、自分で知ったらしい。
いやあすごいな。
何がすごいって、書いた当人ですら司馬遼太郎風にした理由がまったく分からないのがすごい(笑)
こんなの、普通に要約すれば5行で終わるがな。1時間半ぐらいかけちゃったよ。
実際の様子は、あちこちの動画投稿サイトで見られるんじゃないでしょうか、たぶん。
ちなみに文章表現は、たまたま手元にあった
に多く依拠しています。ま、そういうわけで、自分は押入れに隠れて、普段親しい人のホンネを聞こうというのはあまりいい趣味ではありませんし、双方が不幸になります。
藤子・F・不二雄の「テレパ椎」という短編を読んでいればよかったのにね(笑)