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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

エモい記事要りますか?の西田亮介氏、某新聞内部で軋轢と怒られ発生する(どこかは知らない)











ナニコレ。…って話題自体が余り知られてないかもしれないから紹介する。その話を紹介してるわがブログ、本当にGJだよ。「『エモい記事』要りますか?」という、一石を投じ、反響の大きかった論考だった。


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その「エモい記事」いりますか 苦悩する新聞への苦言と変化への提言

Re:Ron連載「西田亮介のN次元考」第7回
 このところ、エピソード主体の「ナラティブで、エモい記事」を新聞の紙面で見かけることが少なくない。ナラティブとは物語や語りを意味する。要は、お涙ちょうだいの日常描写ものの記事のことである。朝日新聞だけではない。他の全国紙でも共通の現象だ。

 こうした記事について筆者は昨年、委員をつとめる毎日新聞社の「開かれた新聞委員会」で、「世の中が複雑になり、エピソードは一つの例に過ぎないだけに、それを読むことにどれだけの意味や理由があるのかと感じる」と批判的に発言をした。朝日新聞のコメントプラスでも3月20日、その必要性について疑問を…(略)

「ナラティブで、エモい記事」とは、具体的に言うと、データや根拠を前面に出すことなく、なにかを明確に批判するのでも賛同するわけでもない、一意にかつ直ちに「読む意味」が定まらない、記者目線のエピソード重視、ナラティブ重視の記事のことだ。

 実例を挙げるのははばかられるので控えるとして、たとえば、「わが町のちょっとイイ話」の類の記事であり、「地元で愛された店が閉店する」「学校教員の小話」「日々の記者の独白やエッセー」などを念頭においている。ただ、書かれたテキストをどう受け取るかは読者次第、そもそも好きに読めばいいし、厳密にカテゴライズするのも難しいので、批判もなかなか難しく、すこぶるタチが悪い。

 それでもあえて本稿ではこれを批判的に取り上げ、なぜそう考えるのか、論を深めたい。現代のメディア環境における新聞の役割に関わる重大な問題だと思うからである。



PVなどの「数字」は出ても…


 旧知の新聞社の知人によると、SNS上で、つまるところデジタル版において、この手のエピソード型、ナラティブ型の記事はよく「読まれる」らしい。よくクリックされ、PVなどの「数字」が出るというのだ。こうしたネット経由で読まれた記事は、事後的に紙面展開を模索したりすることもあるようだ。

 多くの新聞社でデジタル化が進み、執筆した記者本人が「いま、どれだけネット上で読まれているか」を知ることができる時代である。どことは書かないが、なかにはそうしたデータが記者の評価と結び付けられている社もあると聞く。

 記者にすれば、ネットの反応が気になって当然だし、それが「読まれる」記事を書くインセンティブになるのも分かる。とはいえ、新聞社の紙面とネットがシームレスにつながり過ぎている現状は、あまりに無批判過ぎるように見えて、好ましいあり方とは思えない。




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「コメントプラス」も多かった。こんなに多いの見たことねぇ

コメントプラスが多かった「エモい記事」批判


これ自体には、反響を受けて朝日新聞内のリロン編集部でこんな記事ができたとして「健全な反響、議論」が起き,昇華されたように見えた。

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情報社会論が専門の社会学者・西田亮介さん=写真=が、最近よく各紙で見かける、エピソードやナラティブ(物語)重視の「エモい記事」について論じた寄稿に、賛否や異論など様々な反応が寄せられている。〈3月29日配信「その『エモい記事』いりますか 苦悩する新聞への苦言と変化への提言」〉

 西田さんがやり玉にあげるのは「わが町のちょっとイイ話」の類いの、データや根拠を前面に出さず、何かを……(略)


この寄稿に朝日新聞デジタル上で識者らが寄せたコメントや読者からの反響の多さは想像を超えた。メディアの現状への社会の関心の高さを感じる。ネット時代の新聞のあり方は簡単に答えが出ない難題だ…(後略)

ところが、じつは
そこからどったんばったん大騒ぎ(死語)、というわけさ。