ラスト・レジェンドちばてつや先生の回想エッセイ「屋根うらの絵本かき」より。
はちゃめちゃキャラで発散 「ハリスの旋風」
「ちかいの魔球」の二宮光も「紫電改のタカ」の滝城太郎も、これまで描いてきた作品の主人公は、格好いい優等生ばかりだった。
もちろん「ヒーローはこうあるべし」と思って描いたのだが、そういう品行方正で真面目な 主人公ばかり描いていると、心の中が何となくむずがゆくなってくる。ところが脇役で欠点だらけの人間を描くとなぜかホッと……(略)「ハリスの旋風」は、それまで僕が抱えていた欲求不満を一気に発散させた作品といえる。
なにしろ主人公の石田国松ときたら、学校でケンカはするわ、宿題はやらないわ、早弁するわ、 本来なら典型的な「敵役」のキャラクターだ。
それにしても、あまりにもはちゃめちゃなので、短編ならおもしろがられるだろうが、長編 ではきっと愛想を尽かされ、あまり長くは続かないだろうなと思っていた。
(略)
当時、少年漫画にそういう荒唐無稽なヒーローはいなかったから、目立ったということも……人間くさい面を自分自身に重ね合わせて親しみを感じ……テレビ放映も始まるほど人気が出たので 「ああ、こういう主人公でもいいんだ」と確信する ことができた。
迷惑ばかりかけるが、憎めない。そんな国松のキャラは「おれは鉄兵」の上杉鉄兵、「のたり松太郎」の坂口松太郎にもつながっていった。
フーム…「ハリスの旋風」なんて、いまはアメリカの大統領候補を記事にする時にネタにしようと思ってもちょっと通じにくい微妙なラインだ。
いや、そんなに古いからこそ、
この作品は主人公のキャラクターが画期的で、それまでの悪役キャラを敢えて主人公にしたような「逆張り」「変化球」だった
という重要なことが完全に忘れ去られ、王道中の王道に見えてしまう。その王道の出発点だったのに!!
「ジャンルの再定義をできるのが天才、大谷翔平の様に」というらーめん再遊記の台詞を思い出す
「ジャンルの再定義を迫るのが天才だ」ってセリフ、どこで読んだったかなーとウニウニしてたんだけど、そうだ、らーめん再遊記だ。で、それを借用すると「ジャンルの定義を拡張するのが名作だ」という表現もできると思う。ので、ジャンルの定義をあまり狭めて固定化したくはないという気持ちはある。
— ホリケン/円卓P@GM2024春「H01」 (@horiken0) May 12, 2024
「真の天才とは、圧倒的なパワーによってジャンルの再定義を迫る存在のことだ(らーめん再遊記第10巻)」はまさに。二刀流は無理、ディープテックは無理、その中で「いや、実はこれはできるんだ」と再定義することのインパクト。せっかくの人生、そう使っていきたい。
— 清水信哉/エレファンテック (@shinyashimizu_j) May 3, 2024
同じようなことを、ちば先生は少女漫画界でもやっていて、主人公少女の「おてんば」な場面を描いたところ(めっちゃ微温的な、一コマの描写だったのに)それが大大反響を呼んだのだという。
こういうことが忘れ去られ、「天地開闢のころから少年漫画の主人公は元気いっぱいのハチャメチャボーイだったろ?」と思われたりするから、創作系譜論は怖い…
この本では「医者を主人公にした初の少年漫画」や、それとつのだじろう氏のかかわりなどについてもあって、過去に記事書いた。
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