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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「泥のように眠り…」「泥酔」の「泥」は、中国の空想上の生き物?「南海に住むと考えられた骨のないぐにゃぐにゃした虫。」


スライムとか、うっかり博士の大発明フラバァみたいな感じ?


2018年には「ねとらぼ」の記事にもなってたようですね。
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「泥酔」は中国の古典の中にしばしば見えます。元稹、李山甫の詩に「泥酔」という言葉そのものが使われていますし、杜甫李白たちの詩も、酔ったさまを泥に喩えています。このことから唐代には、広く使われていた表現であったと考えられます。ここでは、一例として李白の古詩「襄陽歌」を挙げます。

襄陽歌
落日欲没峴山西
倒著接籬花下迷
襄陽小児斉拍手
攔街争唱白銅鞮
傍人借問笑何事
笑殺山公醉似泥
襄陽のうた
峴山の西に夕日が沈んでゆこうとしている
逆さまに接籬をつけて 木に咲いた花の下をふらふらと行く
襄陽の子供たちはそろって手をたたき
通りを遮り 先を争い「白銅鞮」を歌う
何がそんなにおかしいのかと、側にいた人がたずねてみれば
「山公が泥のように酔っているのがとってもおかしい」と

 詩は、ここから李白の酒仙ぶりが発揮されるのですが、非常に長い詩なので、すべてを読んでいると字数を超過し、このコラムに与えられた課題からも逸脱してしまいます。ここでは、本題の「泥酔」について上に示した六句から見てゆきます。詩の全文をご覧になりたい方は、お手数ですが岩波文庫李白詩選』をご覧ください。
詩は、李白が酩酊しながら行く姿を詠んでいます。二句目の「逆さまに接籬をつけて」は、『世説新語』に由来する言葉で、山公(山簡、晋の人)が、酔いつぶれて馬に乗り、頭巾を逆さまにかぶったことにちなみます。四句目の「白銅鞮」は、南北朝時代の梁朝の歌謡の名前です。六句目の「山公」は、山簡のように酔いつぶれた李白自身を指します。そして、その酔ったさまが「泥のよう」と子どもがはやしています。

さて、この「泥」ですが、水と土の混合物ではありません。これについては、『異物志』という書物に「南海有蟲、無骨、名曰泥、在水則活、失水則酔、如一堆泥(南海に虫がいて、骨がなく、名を「泥」という。水の中で生き、水がなくなれば酔い、一山の泥のようである)」とあります。「泥」という虫のようにぐにゃりとしている様が、正体を失うほど、ひどく酒に酔ったさまを表すようになったのです。

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