泥のように眠るの『泥』は「どろ」じゃなくて「でい」という中国の空想上の生き物が元になってて、「泥酔」の『泥』も同じ意味だと知った時は満へぇ出したかった。 https://t.co/NC7E6sIgOc
— りょーくん@ (@sgcB0UvwCwnbn9Z) March 7, 2024
でい 【泥】
— 北大路真彦 (@aquaberrymarine) March 7, 2024
①どろ。ひじ。
②金銀の箔を粉状にすりつぶして,膠でといたもの。泥絵・塗り物などに使う。「泥にて葦手を書きたるは/栄花物語」
③南海に住むと考えられた骨のないぐにゃぐにゃした虫。
〈句項目〉
泥の如し
大辞林 第三版
スライムとか、うっかり博士の大発明フラバァみたいな感じ?
2018年には「ねとらぼ」の記事にもなってたようですね。
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「泥酔」は中国の古典の中にしばしば見えます。元稹、李山甫の詩に「泥酔」という言葉そのものが使われていますし、杜甫、李白たちの詩も、酔ったさまを泥に喩えています。このことから唐代には、広く使われていた表現であったと考えられます。ここでは、一例として李白の古詩「襄陽歌」を挙げます。
襄陽歌
落日欲没峴山西
倒著接籬花下迷
襄陽小児斉拍手
攔街争唱白銅鞮
傍人借問笑何事
笑殺山公醉似泥
襄陽のうた
峴山の西に夕日が沈んでゆこうとしている
逆さまに接籬をつけて 木に咲いた花の下をふらふらと行く
襄陽の子供たちはそろって手をたたき
通りを遮り 先を争い「白銅鞮」を歌う
何がそんなにおかしいのかと、側にいた人がたずねてみれば
「山公が泥のように酔っているのがとってもおかしい」と詩は、ここから李白の酒仙ぶりが発揮されるのですが、非常に長い詩なので、すべてを読んでいると字数を超過し、このコラムに与えられた課題からも逸脱してしまいます。ここでは、本題の「泥酔」について上に示した六句から見てゆきます。詩の全文をご覧になりたい方は、お手数ですが岩波文庫『李白詩選』をご覧ください。
詩は、李白が酩酊しながら行く姿を詠んでいます。二句目の「逆さまに接籬をつけて」は、『世説新語』に由来する言葉で、山公(山簡、晋の人)が、酔いつぶれて馬に乗り、頭巾を逆さまにかぶったことにちなみます。四句目の「白銅鞮」は、南北朝時代の梁朝の歌謡の名前です。六句目の「山公」は、山簡のように酔いつぶれた李白自身を指します。そして、その酔ったさまが「泥のよう」と子どもがはやしています。さて、この「泥」ですが、水と土の混合物ではありません。これについては、『異物志』という書物に「南海有蟲、無骨、名曰泥、在水則活、失水則酔、如一堆泥(南海に虫がいて、骨がなく、名を「泥」という。水の中で生き、水がなくなれば酔い、一山の泥のようである)」とあります。「泥」という虫のようにぐにゃりとしている様が、正体を失うほど、ひどく酒に酔ったさまを表すようになったのです。