【📝2分でおさらい】
— 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) February 20, 2023
第7回「#わしの家」
財政難の三河 ━━。
年貢を納めない寺に目をつけた
家康(#松本潤)は
空誓上人(#市川右團次)が
武士を敵と説く姿を目にし…
■ 再放送【2/25(土) 午後1:05 総合】
▼ 見逃し配信【2/26(日) 午後8:44 まで】https://t.co/rs8FwATyJE#どうする家康 pic.twitter.com/OiQH1QA4ub
#どうする家康
— NHK静岡放送局 (@nhk_shizuoka_) February 25, 2023
2/25
13:05 第7回「わしの家」再放送
13:50 「土スタ」ゲスト 酒井忠次役 #大森南朋 さん
NHK静岡の解説動画「たっぷり家康チャンネル」もご覧を!
なぜ家康(#松本潤 さん)は寺や民衆と対立?
家臣まで裏切り?
2/26 第8回「三河一揆でどうする!」の予習にも⬇https://t.co/eKqbOF9oUV
今回の大河ドラマのコンセプトを聞いた時に、最初に思ったのは「じゃあ三河一向一揆が描かれるのかな」だった。何しろたぶん、生涯一番のピンチはこのときだったろうからね。
ちなみに、「なんと孫六」「ああ播磨灘」のさだやす圭が、このテーマで戦国漫画を描いていることも紹介しておきたい。
この三河一向一揆に、かの鈴木孫市が傭兵として参加している……という奇想を挿入し、孫市vs家康という夢の対決をさせているのね。
全2巻で読みやすくもある。
連載中から紹介してたっけ
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さて、ここからが本題……。
あらためて思ったんだけどさ、向かうところ敵なし、ゲーム「信長の野望」でもしょっちゅう猛威を振るった一向一揆のスローガン
「進者往生極楽、退者無間地獄」
というのがある。
シンプルだよね。阿弥陀如来のために必死で闘う人間は往生して極楽に生まれ変わる。ビビッて逃げた不信心者は、無間地獄で鬼の責め苦を受ける……
…でもさ、阿弥陀如来のお慈悲は、戦場で恐れて逃げ出す様な心弱き凡夫凡婦のためにこそあるんじゃなかろうか?(部外者・異教徒の感想で恐縮ですが)
…私(司馬遼太郎)は、新聞社にいて、京都で大学と宗教を担当していた。あるとき司令部によびだされて、「本願寺は悪人こそ天国にゆけると鼓吹しているようだが、ほんとうか」
と、質問をうけた。私は、キリスト教の原理をもちだして悪人の説明をしようとしたが、そんな語学力がなく、自分の手持ちの単語だけで喋ろうとして、つい、
「すると、あなたは善人か」
と、反問した。これなら私の中学生英語で足りたのである。
「いかにも私は善人のつもりである」
係官が、非哲学的な顔つきで言った。要するに、善悪を小学校で教える道徳用語としてかれは理解しているのである。
このため、当方はあらためて親鸞の“善人”の定義を説明せざるをえなくなった……
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「これにて知るべし、何事も心にまかせたることならば、往生のために千人殺せと言わんに、すなわち殺すべし。
しかれども一人にてもかないぬべき業縁なきによりて害せざるなり。
わが心の善くて殺さぬにはあらず、また害せじと思うとも百人千人を殺すこともあるべし」と仰せの候いしは、
我らが心の善きをば善しと思い、 悪しきことをば悪しと思いて、願の不思議にて助けたまうということを知らざることを、仰せの候いしなり。」
「これで分かるだろう。何ごとも自分の思った通りにできるのなら、極楽参りの為に人を千人殺せと言われたら、素直に殺しに行くだろう。しかし一人も殺すことできないのは、そういう縁がそなたにないからだ。そなたの心が善いから殺さないのではない。 もしそなたにそういう縁がくれば、そんなことをしてはいけないと思っても、百人千人と殺すのだ」とおっしゃったのは、 善いことを思えるときは何とかなるように思い、悪ばかり思えるときは、これでは助からないのではないかと思って、弥陀の救いは、まったく阿弥陀仏の独りばたらきであることが知らされていないことを、教えてくだされたのです。」
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こんなことを考えたのは、最近話題のとあるエンターテイメント小説で、重要部分にこれにまつわる話が展開されていたからです。
著名な賞も、複数受賞しました。
ただ、普通じぶんはこういうのでネタバレを避ける、という意識は意図的に、逆に持たない、あまり気にしないようにしてるのだが…その作品の都合上、
書名がわからないようにリンクと、ちょびっとだけの画像を張っておく。嫌な人は自己責任で避けて。
最終的に一向一揆は、石山から門主・本願寺顕如が退去することによって織田と和議が結ばれ決着する。そして、その子本願寺教如はその和議に不満で、(最終的には彼も退去したが)徹底抗戦を唱え、結果的に教団は分裂した、という。
じゃあ、親子どっちかが往生極楽する一方で、もう片方無間地獄に落ちてるのだろうか?教義的に。
・・・・・などという問いは、その宗教がたとえばマニ教とか、三国志の太平道、五斗米道のように現在、実質的な影響力を失った宗教なら宗教学・民俗学的にいろいろ検討すればいいんだろう。だが、幸か不幸か浄土真宗、親鸞聖人の教えは21世紀の今日も、脈々と受け継がれ、宗教としていまだに”ナマモノ”である。
ならばカソリックが、一応は天動説、進化論、免罪符……そういったもろもろのことを現在進行形の「神学」として一応の回答を用意しているように!!
浄土真宗も戦国期に門主が唱えた「進者往生極楽、退者無間地獄」が現在の教義的にどう評価されるのか、について一応答えが出ていると思うんです。
縁なき衆生たる我々が知らないだけで。
「あれは間違いでした、一揆で進むか退くかは往生と何の関係もありません」
なのか
「いえいえ、あれこそ真の教え。確かに天魔信長と闘って力尽きた門徒は極楽に往生しているし、逃げた仏敵どもは牛頭馬頭に毎日毎晩責めさいなまれておるでしょう」
なのか。
詳しい人の解説を求む、としてこの拙文は終わりますが、
そのうえで、26日午後8時からのNHK「どうする家康」、一向一揆の回をお楽しみください。(了)