こういう本を読んだ。
大久保彦左衛門そのものというより、よく知らない「講談の歴史」「英雄豪傑のイメージの変換」みたいなことを知りたく、確かにその情報も有益だったのだが、それに付随して、2人の興味深い人物に、ほんのちょっとだけ記述があったのでメモしておく。
こちらと同じコンセプトです。
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馬場文耕
宝暦の頃取り締まりの網にかかり死罪獄門に処せられた講釈師。伊予の国出身で元は僧侶だったが、 時勢への批判精神が旺盛で、まだ決着のついていなかった美濃国群上藩38000石の金森騒動(群上一揆)を取り上げて勝手に白黒をつけたため幕府の忌憚に触れたのである。逮捕された後も奉行所の取り調べに対して堂々と論陣を張り少しも屈する色を見せなかったという。
松平定政
家康の異父弟松平定勝の子で、三河刈谷二万石というれっきとした 徳川一門の大名。
だが慶安四年、突然所領返上を申し出て、落飾して江戸市中を托鉢して回るという大名にあるまじき奇妙な行為を行った。彼の言い分はこうである。
「今や上下が等しく困窮しているのに救済の対策は少しも立てられていない。自分の領する2万国を、仮に5石ずつに分割すれば4000人を救うことができるわけだから、そのようにして世直しを実行してほしい」。
偶然か連動しているのか、その2週間後に由井正雪の乱が発生している。
松平定政は狂気乱心と認定され改易となった。
そしていま、ふと思いついて、「ついでに、ウィキペディアで検索してみよう。この2人、載っているかどうか勝負!」とアーキネーターみたいなことをやってみたら…負けました。
どちらも、存在を膨らませれば、時代小説や漫画にできそうな気がするんですが、もう既にあるのかもしれないな。
※のちにあの沢木耕太郎が、馬場文耕を主人公にした歴史小説 「暦のしずく」を執筆