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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【メモ】「推理小説」以前の推理ものや、日本の「ミステリー」創世記の風景(堀啓子「日本ミステリー小説史」より)

以前からミステリー小説、 SF 小説、あるいはゲームや漫画などの「黎明期」に関する本を読むのが好きでした。

こういうものが立ち上がる時期というのは、ドコモある種の共通した熱狂と情熱と、フロンティアスピリッツに満ち溢れている。
特にジャンルに対して偏見がありもともと権威や社会的地位がなかったものが、多くの試行錯誤の末に大衆的人気を博し社会の中に定着していくそんな様を見て行くのは、才能薄くそういうのを作る側に回らなかった人間にとっても、とても楽しい読み物であったりする。


そんな中で「ミステリーの歴史」は研究者も多く、そして少なくとも典型的なミステリーは文明開化とともに伝わった…と日本ではスタート地点がはっきりしていることもあり、そういう本も多く、質が高い。

その中でも非常に明快なまとめ方をしていて、新書サイズで気楽に読めるということもあって、堀啓子氏の中公新書「日本ミステリー小説史」はおすすめです。




※ちなみにこの書は話題の「科研費」から補助金が出て、その援助を得て執筆された、とのことである。こういとこにも科研費出てるのである。




本当の黎明期に限定してちょっとトピックを箇条書きしていきましょう

「モルグ街の殺人事件」などミステリー小説の歴史の前に描かれた、ちょっとした推理から謎を解く物語集

スフィンクスの問い(オイディプス王


ヴェニスの商人


・スザンナの冤罪(旧約聖書外典ダニエル書補遺)


アルキメデスの「ヘウレーカ」の逸話


セレンディップの3人の王子(この話は「セレンディピティ」という言葉を生んだ)


・ザディーグまたは運命(ヴォルテール著、「3人の王子」の影響大)


ディケンズ「バーナビー・ラッジ」
エドガーアランポーは「謎解き小説」 の先を越された腹いせか、それともオタク特有の語りすぎか、別の雑誌上で「この小説の事件のトリックはこうだ!」 という考察記事を発表してしまい、…正解で、ディケンズ にはいささか気の毒なことになった(笑)

このへんはポプラ社推理小説の読み方」にもあったと思うけど、固有名詞を忘れていたので、整理できてよかった。


ほかの雑記メモ

・ゴシック小説の命名者はイギリス初代首相ウォルポールの息子「ホレス・ウォルポール
・彼は18世紀にわざわざ中世風の館を作ったことで評判となり、多くの貴族がそれを真似して「あえて中世風の館を作る」がブームとなった。
・中世の古城を舞台にした「オトラント城奇譚」に「ゴシックストーリー」という副題をつけた。上記の「セレンデピティ」も彼の造語。


・モルグ街の殺人は明治20年に翻訳がなされた。

日本、東洋の「推理小説以前の推理もの」

・中国の宋代に裁判小説「トウ(堂の土が木)陰比事」があった。トウ陰は 立派な政治、お裁き、「比事」は比較で、似たシチュ、ストーリーを並べて対比列伝のようにして書いたからだそうだ。ここに大岡越前大岡裁き(子争い)ににたストーリーがある。
また「比事」は”裁判もの”という意味になり、次々と日本版「〇〇比事」が出版された。

北条時頼の時代の「青砥左衛門尉藤綱」が、名裁判官=名探偵の典型としてキャラ化された。

・また江戸時代の板倉重宗も、父親の勝重とともに公正な裁きで知られその逸話が「板倉政要」という本になり読まれた。

そして文明開化!日本ミステリー黎明期!いわば「すいり道」!!

・明治になって、ミステリー小説が輸入されてたちまちのうちに一世を風靡する、その前段階として新聞の中で犯罪記事が読まれ、中でも高橋お伝など、「毒婦もの」と呼ばれる女性犯罪実録がとても人気を呼んだ 。一応現実の事件の記録ではあるがかなり脚色され、黒い犯罪描写、逃亡劇のサスペンス、そして何より犯罪の隠蔽工作やそれを暴く論理など、ミステリー人気に繋がるめばえがそこにはあった。
「新編明治毒婦伝」なんて本も出たとか。


・そして新聞の天才としか言いようがない「萬朝報」創始者である黒岩涙香が登場する。
黒岩涙香以降の日本ミステリー(翻訳翻案)の大ブームは、つとに知られたところだから基本は略す。
新聞記事の企画として百人一首のルールを整理し五目並べという新ゲームも確立させたなどの功績もある。
最初に大ヒットした黒岩涙香の翻訳作品は「法廷の美人」で、近代裁判制度の啓蒙も目的としていたそうだ。



・ただ当時、最初のミステリーはどうも犯罪描写や恐怖怪奇などのほうが好まれたらしく、ロジックを楽しむと言うのには時間がかかったようだ。


・日本ミステリーは明治26年を一つのピークとする、と作者は定義している。その一方でそろそろ「推理小説など俗悪なものである。純文学こそ正しい」という一派が批判の矛先を向けてきた 。北村透谷、徳富蘇峰内田魯庵なども批判している
画像で引用したいと思う

日本ミステリー小説史 推理小説を巡る明治の文学論争

・その後明治30年代には家庭の子女が選んでも良いとされる準決で道徳的な「家庭小説」がブームになったりするので、時代変わっても議論の展開は変わらない(笑)


・ちなみに明治32年8月に日本政府は著作権を守る「ベルヌ条約」に正式加入。当然極めて影響は大きく、日本への新しい文明の輸入が閉ざされると悲憤慷慨する声も多かった。

自分がメモしておきたいのはこんなところ(これ以降は、他の研究者も多いので)だが、
特にメインとしてちょっと気になっていた部分を最後に残しておこう。
それは「鉄道小説」の登場である。


「鉄道小説」とは何か?

同書はこう言う

「鉄道小説とは元来、鉄道の駅などで廉価で販売されるものである。必然的に乗車の際に購入し車中で読み終えることが前提となっている。現代でも駅の売店で見かけるが、長さ、内容、値段すべてがライト感覚であることが望まれる。今なら週刊誌や漫画雑誌のように校舎の際には読み終え駅のゴミ箱に捨てられるのと同じである。読者に感動や教示を与えるというよりは、退屈しのぎのストーリーテリングというレベルがふさわしい。内容はミステリーとは限らない。だが読者の興味を引きやすく集中させやすいのはやはり謎解き型の小説である。そのため、鉄道小説は探偵小説と同義に捉えられることも多かった。

「…汽船、汽車、馬車中の好伴侶たらんことを期す。さればその値は及ばむ限り最低額となし、以て読過一番の後は途上に棄却していささかの遺憾なからしめんとす」

いや、ちょっと驚いたのは明治20年ですでに本や雑誌は「読み捨て」できたんですね。

というのは自分はまさにこの明治時代の人間にも及ばず、いったん買った本はどんなに愚策と思っても 基本的には蔵書として保存し「読み捨てる」 なんて思わなかった。

その後馬齢を重ねて、とりあえず物理的に保存できなくなったので、今ようやく「本を読み捨てる」ということに慣れようと精神の改造途中だったんですよ。なもので、明治の時代から「読み捨て本」があったということに必要以上に驚きました。


もともと江戸時代は、基本的に本は貴重品だった,,,,,,。
明治に近代印刷術が導入されたら、出版物もものによっては読み捨てるぐらいの値段になったのだろうか。
とはいえあの当時だったらやっぱり印刷、活字選定、製本などなど工程はまだ複雑だったと思うのだけどねえ。製紙技術だって…これも和紙を作ってた江戸の職人芸から、近代的な紙の大量生産が可能だったのかな?

この辺の「本の値段」(新聞の値段)は、もっと専門的に論じてる本もあれば、サイトを検索すれば色々出てくると思うので今後の課題としつつ「明治時代にすでに、鉄道の旅で読み捨てにする小説本が出ていた」ということをメモしておこうと思います。