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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

クイズ、西部劇、格闘技…「ジャンル」は無くなっても、案外気づかれない。

最近、そういう話題を連続で見たので、古い話題と合わせて備忘録がわりに。

視聴者参加クイズ

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たしかに。
今さらそういうのが見たいかといえば別に見たくない話ではあるが、じゃあ昭和の時代はなぜに揺るがぬ一ジャンルだったのか。クイズ番組そのものに限界があるのか、「回答者にもお馴染みの芸能人や笑いを取れる芸人を置けば、2倍面白くなる」というメソッドが標準になったからなのか……
視聴者参加クイズの名残は、「ちびまるこちゃん」や「こち亀」に残るのだろうか。



ボクシング、プロレス、総合格闘技



自分の生まれるはるか前、1960年代ぐらい…テレビが始まってまだ間がないころは「毎週ボクシング中継が地上波(そのころBSと区別する「地上波」なんて言葉もある訳ないが)のゴールデンで流れていた」のだそうだ。
「有名選手の世界戦が組まれた時は、特番で放送されること『も』ある」がデフォルトだった時代しかしらず、まったく想像がつかないが……ただ、テレビ創成期はテレビの技術的な許容度も低く、その中では6メートル四方のリングにカメラを向けておけば番組が成立するボクシングは、野球やサッカーより放送しやすいスポーツ・コンテンツだったそうだ(もちろん、アングルなども今より単純だった)。これは50年代のアメリカンプロレスが隆盛だった時代に通じる話でもある。そうそう、まさにプロレスも「毎週、複数の番組がゴールデンで中継されていた」ことを今では想像しにくいコンテンツだな。
この「以前はボクシングが毎週のレギュラー番組だった時代」は、キックボクシング登場の前史として、この本でも詳しく描かれている。


そこから、言わずもがなだけど総合格闘技MMA)じゃ。2003年大晦日に3番組が放送されたとか、大晦日で紅白を視聴率で上回った民放番組とか、爪痕がまだ残っているから「かつては総合格闘技が人気番組でした」の記憶をまだ喚起できるけど、忘れられるよねー。

で、その一方でアレなのは、「だけどプロレスは2団体から100団体に増えた。総合格闘技はジムが日本中にでき、世界最高峰の舞台(UFC)の最も売れっ子は、スポーツ長者番付で世界屈指の選手になっている。なのに衰退かい?」という問いもできるということ。ほかの、「滅びた」ジャンルもそういうふうに視点を変えれば衰退って何のことですか、なのかもしれないね。ボクシングだって、チャンピオンの数とクオリティ的に「日本のボクシングはまさに黄金期」というひともいる。


時代劇・西部劇

時代劇の地上波新番組は、今いくつぐらい残っているかな?「土方のスマホ」を時代劇扱いするのもアレだし。NHKはけっこう「意識的に」時代劇を残しておこうとするんだが、それを報じる番組紹介とかで「時代劇の灯を消すな!とかかかれると「意識的に『無くすな!』と思うこと自体が衰退の証拠だよなあ」と思ったり。

西部劇については,過去のこのまとめなー。
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衰退したというより、「昔はこのコンテンツが天下を取っていた」ことを、遡ってお勉強して学ぶような感覚だな。
上のまとめの中心で語っている芦辺拓氏は「昔の『なろう』的、『俺TUEEE』的コンテンツとして、遊び人の侍とかが活躍する『明朗時代劇』というジャンルがあった」ともよく語っている。
その言葉で検索してみるか。

うん、最近では作られないねえ


歌番組

このジャンルは、俺のふわっとしたイメージでは「歌番組が衰退→復活させよう!と、けっこう意図的意識的に作り手が努力→なんとか、やや復活した」というイメージがあるけど、違うのかな。
まあ、どっちにしろ…人気の時代も不人気の時代も見ていないのでわからない。




椎名誠など、源氏鶏太など

この前「昭和軽薄体」がラーメン評論家に関連して話題になったらしい(詳細未把握、すまん)が、そこから飛び火して

なんかこの話題で椎名誠のなまえをはじめて知ったひともいるみたいですけど、いや凄かったですよ。
立てば小説座ればエッセイ、歩く姿はドキュメンタリと、なにか所作すればたちまちコンテンツになるいきおいだった。
それが完全に忘却のかなたに追いやられてる現況のほうがむしろ信じられないくらいで。

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いやいやテン年代も多数の対談本を出してる!
それに、ドキュメンタリーは基本、氏の体力任せに結構ハードな未踏の地を生かせるのが多いから、年齢との兼ね合いもあり!77歳じゃできなくて当然!
もう後は印税とか、旧作のアンソロジー再編集とかだけで充分に生きていける勝ち組!!!

・・・・・なんだろうけど、それをひっくるめて、ああそういえば露出減ってんなー、と、「言われて気づく」ぐらいには存在感を小さくしているのはまことにもっとも。
どういうのが一番「現役感」を保つことができるんだろうね。そんな現役感を自分で持ちたいと思っているかもわからないが。


そういう、「忘れられた作家」が話題になる時によく名前が出てくる有名作家(矛盾だ……)が「源氏鶏太」で…ほらIMEでも名前登録されてないや…。この前親戚の物置整理を手伝ってたら、これの文庫がどっさり出てきて、なるほど昔は人気だったんだなあと。

ん?こんな本が出ているんだ??

文学史に名を刻む、森鴎外夏目漱石志賀直哉芥川龍之介川端康成、……
しかし、そんな「文豪」よりも遙かに「愛されていた作家」たちがいる!

菊池幽芳『己が罪』、『乳姉妹』 / 矢野龍渓経国美談』、『浮城物語』 / 菊亭香水『惨風悲話 世路日記』 / 東海散士佳人之奇遇』 / 村上浪六『当世五人男』 / 村井弦斎「道楽」シリーズ / 徳冨蘆花『不如帰』 / 桜井忠温『肉弾 旅順実戦記』 / 半井桃水『胡沙吹く風』 / 渡辺霞亭『渦巻』 / 柳川春葉『生さぬ仲』 / 木下尚江『良人の自白』 / 田口掬汀『伯爵夫人』 / 小杉天外『魔風恋風』 / 小栗風葉『青春』 / 島田清次郎『地上』 / 江馬修『受難者』、『山の民』 / 倉田百三出家とその弟子』 / 奥野他見男『学士様なら娘をやろうか』 / 白井喬二『富士に立つ影』 / 直木三十五『南国太平記』 / 尾崎士郎『人生劇場』 / 小島政二郎『人妻椿』 / 島木健作『生活の探求』 / 豊田正子『綴方教室』 / 火野葦平「兵隊」三部作 / 小川正子『小島の春』 / 大迫倫子『娘時代』 / 岩田豊雄『海軍』 / 石坂洋次郎青い山脈』 / 田村泰次郎肉体の門』 / 富島健夫『おさな妻』 / 原田康子『挽歌』 / 源氏鶏太『三等重役』 / 柴田翔『されどわれらが日々――』 / 森村桂天国にいちばん近い島』 
……など

彼らはどうやって人気作家となり、なぜ「忘れられて」しまったのか?
明治から昭和までの人気作家たちの悲哀に迫る、もう一つの文学史

もともと「読者は虱に似て、死んだものからは離れていく」(山本夏彦というように、作家の8,9割は、自らが死んだらその人気は保てないのがふつうであるようだ。作者の死亡後もなお読まれている作品は、本当に全体の1、2割であろう…それが名作ということなんだろうな。


いま隆盛のジャンルも、いずれ……

あと何年かあとには「2010年代、20年代にはなぜか『異世界もの』が流行し…中でも「悪役令嬢」「パーティ追放もの」という特異なジャンルが…今ではまったく見ませんが…」となっているかもしれない。逆にゆるぎない一ジャンルとして、新聞に「ことしの悪役令嬢文学賞/ヤンキーと陰キャラ友情文学賞に●●さん」という記事が載っているかもしれない。未来のジャンルのはやりすたりは、誰にもわからないし、案外こういうのの”復権”を目指す旅の中で、金鉱を掘り当てるかもしれない。