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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

"寝技王女”浜田尚里には「会ったことなき恩師」がいる~その名は柏崎克彦、世界に轟く『センセイ・カシワザキ』

寝技のオール一本で東京五輪の金メダルを獲った、浜田尚里。
彼女の活躍と、これまでの歩みを伝える記事の中でも、気の利いたものの中にはかなりの頻度で出てくる名前がある。
それが、柏崎克彦。


 鹿児島南高入学時は目立つ選手ではなかった。当時指導した吉村智之さんは「正直弱かった。でも、一つのことを始めたら『大丈夫か』というくらいやり続けていた」と回想する。それが寝技だった。
 部室にあった元世界選手権覇者、柏崎克彦さんの技術書「寝技で勝つ柔道」を読み込んだ。何度も練習で繰り返す。乾いたスポンジのようにどんどん吸収していく。吉村さんは言った。「センスは生まれながらのものだと思っていたが、浜田を見るとそうではない。努力でセンスは磨けると分かった」
 柏崎さんは浜田の試合を見るたびに思う。「これ、俺の寝技だわ。最初から最後まで、ものすごく似ている」。本人からそう思われるほど、反復練習をやり込み、独特のスタイルを築き上げた。
www.tokyo-np.co.jp

研究熱心でもあった。吉村さんが「寝技の神様」と呼ばれた元世界王者・柏崎克彦さん(69)のビデオを用意すると、誰もいない早朝の道場で見入っていた。うつぶせの相手の帯を取ってひっくり返し、抑え込む。浜田の勝ちパターンの原形は、高校時代に自己流で練り上げたものだ。
news.yahoo.co.jp


というか浜田の高校時代の直接の恩師である吉村智之氏、本人は現役時代「寝技嫌い」で、だけども指導者として地方の高校が勝利するために、と寝技重視を考えたという。

現役時代の吉村氏は「寝技は大嫌い」な選手だったという。「寝技の練習になったら、どんなふうにして流そうかなっていう感じで……。練習はしてこなかったですね」と力を抜くことばかり考えていた。生徒を鍛えるために、自身も勉強した。他校の指導者にアドバイスを求め、「寝技師」の名を轟かせた元世界選手権王者の柏崎克彦さんの映像素材を見て極意を吸収した。

 浜田に寝技の適性があると感じたのは、高校1年の秋だった。「あれ、この子、寝技いけるんじゃないの?」。浜田自身も手応えをつかむと、ますますのめりこんだ。浜田は吉村氏夫妻とともに、合宿所暮らしだった。他の部員より朝、早く出発する姿が決まった習慣だった。吉村氏はその理由を知らなかったが、浜田は誰もいない道場で柏崎さんの寝技の映像を見て研究を重ねていた。
the-ans.jp

なんと世間は狭いもので、はてブユーザーにも、センセイカシワザキの技を直接学んだ経験を持つ人がいる。この記事にいただいたブクマ。

"寝技王女”浜田尚里には「会ったことなき恩師」がいる~その名は柏崎克彦、世界に轟く『センセイ・カシワザキ』 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

大学時代、国際武道大学に2度合宿し、直接「柏崎返し」を教わりましたが、とてもわかりやすかったです。私たちと夕食も共にしてくれました。「試合に勝つ喜びは大会の規模じゃない情熱に比例する」と教わりました。

2021/08/02 04:47
b.hatena.ne.jp




こういった記事の中で、一番読み応えがあったのはこれだ。

……備え付けのテレビで、「寝技師」と呼ばれた柏崎克彦さん(69)監修の映像教材を見るためだった。
 タイトルはずばり「寝技で勝つ柔道」。当時、同高監督だった吉村智之さん(45)が、部員の参考になればと、道場に置いた教材の一つだった。
 浜田選手が繰り返し再生したのは、柏崎さんがルーマニアの選手を破って優勝した1981年の世界選手権の映像。ともえ投げで崩した後、逃げ回る相手に次々と技を繰り出し、最後は横四方固めで抑え込んだ。
 「こんな試合、見たことない」。苦手だった寝技の奥深さを知り、のめり込んだ。映像を思い出しながら、先輩と1時間ぶっ続けで組み合ったこともあった。
(略)
 国際武道大(千葉県勝浦市)の柔道部師範だった柏崎さんは約10年前、試合会場で一人の選手の動きに目を奪われた。「まるで自分を見ているようだ」

 山梨学院大甲府市)に進学した浜田選手だった。帯の持ち方や体の使い方、技をかけるタイミング――。「手取り足取り教えた選手の誰より、自分の柔道に似ていた」と振り返る。

www.yomiuri.co.jp

つまり、センセイ・ユーキ・ナカイもおどろくこの映像だな。




世の中、こういうことはままあるのだ。

柏崎さんは昨年10月から、中国の五輪代表チームを山東省で指導している。選手たちに寝技を教える時に使っているのが、「世界で一番上手だ」という浜田選手の試合映像だ。

 認め合う2人だが、直接話したことはない。浜田選手は「自分の柔道のスタイルは先生がいなければできなかった。会ってお礼を言いたい。あと、私の憧れの人なので、サインをもらいたいな」とはにかんだ。

 柏崎さんは、こうエールを送る。「私が秋に帰国したら、五輪の話をしに家に遊びに来てほしい。その時、金メダルを見せてもらえると最高だね」

闘う大学教授、かつては東大柔道部の監督でもあった松原隆一郎氏も語る。



「直接の弟子が、恩師の教えをそのまま受け継ぐわけではない」「あったこともないどこかの誰かが、自分の教えをそのまま受け継いでいる」両方を含めて、人類の文化と知の希望であるのだろう。

本居宣長平田篤胤の思想的系譜は、その負の部分も含めて日本思想史の重要な一場面だが、彼らの直接の対面機会もゼロで、「平田篤胤本居宣長の弟子である」というのは基本、平田篤胤の自称にしかすぎない(笑)



特に柔道のような肉体を使った技は、それをいちどは究めた当人の、体力の衰えと共にそのままでは消えてしまう。道場も秘伝の巻物も、講道館と言う組織も「What is Karate?」も、そして「寝技で勝つ柔道」も…「映像の世紀」になってからは、アスリートの無数の実戦の映像も、その「肉体の智の、衰えと消滅」にあらがう、小さな、そして不滅の抵抗なのだろう。一面識もなき柏崎-浜田の寝技技術のリレーはそれである。

次は「中国で教えている」という柏崎先生の寝技が、パリ五輪で井上康生監督なき後の日本柔道に、中国選手団を通じて襲い掛かることもあろう。

センセイ・カシワザキの名は、ゴン格で知りました。桜庭和志との名勝負や修斗での無双ぶり、そしてUFCのベルトも巻いたカーロス・ニュートンらが学んでいた。


なつかしいな、新日家で日本語も相当話せたC.ニュートン、いまも元気でやってるかな。
元気でやってるようです。2020年に、同選手の近況を乗せているnote記事がありました。
note.com



それはともかく…ニュートンはもともと柔道をベースに格闘技を本格的にやっていて、その師匠モニカ・アイザックを指導者に「サムライクラブ」という組織の所属だった。佐藤ルミナに一本勝ちしたジョエル・ギャルソンもそうで、そして師匠は雑誌企画にかこつけて、弟子たちに柏崎先生の技術を体現させたい、と学びに行ったことがあるのだな。

……カーロス・ニュートンの師が、このモニ・アイザックだった。

イスラエル出身、オランダ人師範から寝技中心の柔道を学び、国防軍に所属していた彼は徒手格闘術クラブマガも習得。退役後、トロントでマーシャルアーツ・スクール「サムライ・クラブ」を運営していた。

98年3月にカーロスと共に、ジョエル・ギャルソン、オマー・サルボサという弟子を引き連れ、プロ修斗公式戦に再来日した。ホイス・グレイシーUFCデビューから5年、柔術のイロハを習得しつつあった日本格闘技界の未来・佐藤ルミナと対戦したのが、同じユダヤ系でヘブライ語も話せる、愛弟子ジョエルだ。


ジョエルは大腰から二度、ルミナの足を払って豪快に投げを打つと、抑え込みを許さないよう頭に回そうとしたルミナの足を捌いて、腕十字を極めた。ブラジリアン柔術の背中を必死に追いかけてきた日本の格闘技界に突如現れた――抑え込みと関節技を磨き上げた裸の柔道=カナディアン柔術に、誰もが驚きを隠せなかった。

この来日時、モニに国際武道大に連れて行って欲しいと要請を受け、格闘技通信の取材という名目で房総半島にある同大学柔道部を訪れた。モニは弟子達に、寝技の鬼・柏崎克彦氏の指導を受けさせ、自らの知識を広めようとしていた。
mmaplanet.jp




詳しい技術関連は忘れてしまったが、いまだに覚えているのが、師匠も弟子もこの雑誌企画で学ぶとき、白帯をつけてきたことだ。
「センセイ・カシワザキの技術の前では、われわれ全員が白帯に等しいから」という理由だったそうで。


もっとも、師弟関係というのは海外でもそう簡単にはいかぬようで、ニュートンらものちにこの「サムライ・クラブ」から独立。新しい所属名が「チーム・ローニン」だったというのは、日本語に堪能なニュートンの、ちょっと含蓄ある一挿話である……。



話はそれたが、そんなわけでただの格闘技オタにも、センセイカシワザキの名は通っておりまして、時々はMMAグラップリングの寝技解説も求められたりするんです。

PRIDEマニアックスに柏崎先生登場! 削除/引用

No.23-25 - 2003/10/29 (水) 23:34:44 - 柔術白帯
サムライTVでON AIRされたPRIDEマニアックスに、知る人ゾ知る寝技の神様、柏崎克彦先生(国際武道大学柔道部部長)が登場されていました。
柏崎先生、番組の中でPRIDE武士道のVTRを観ながら、色々感想を述べていらっしゃいました。
ハウフvs三島戦のハウフ選手が三島選手の腕十時を惜しくも取り損ねたシーンを観ながら、ハウフ選手の動きに対して「柔道のアダムススタイルという基本的な入り方-でもね、下手くそだナ。足をこんなに開いちゃいかんなぁ-中略-もうちょっと勉強しなきゃいかんな」だって‥‥。(最後には{ダメだなぁ}という感じで首を捻っておられました)
柏崎先生の毒舌(?)解説を、隣で、中村和裕選手は『そこまで言っていいのぉ』という感じで聞いていました。
PRIDEの試合を柏崎先生がブッタ斬る、この企画はとっても面白かったです。


No.23-26 - 2003/10/30 (木) 01:20:24 - シュウサン

その企画にすごく興味がわきました。
他の選手にはどんなコメントしてたんですか?


柏崎先生のコメント抜粋 削除/引用

No.23-28 - 2003/10/31 (金) 01:16:34 - 柔術白帯
PRIDEマニアックスの中の柏崎先生のコメントを少しだけ載せてみます。「~」は中略です。
 
ヘンゾ・グレイシーvsカーロス・ニュートン
~(ニュートン選手の動きに対して)中々基本に忠実なしっかりした動きだよな、~(かつてニュートン選手が大学に出稽古に来た際、わざわざ白帯を付けてきたエピソードを紹介して)とっても礼儀正しい人だよ~

 
ダニエル・グレイシーvs中村和裕
~(ダニエル選手の動きを観て)基本的な十字の獲り方だな、だから次の動きが読めちゃうんだよな~お前(中村選手)このとき、左足、立ててるだろ、これ本当は危ないんだよ、手を廻されるから(足に手を入れる動作をする)、でも相手は一回もやってこないんだよな~


・ハウフ・グレイシーvs三島☆ド根性の助
~(グレイシーの技は)立ち技そのものの技術は、そんなに高くないな、三島選手のこのレベルでも、投げ技だけだったら、三島選手の方が上だもんな~(ハウフ選手が三島選手をアームロックに獲りかけたシーンを見て)これは、三島選手が良くないんだよ、基本的なことやっていないんだもん~


・ミルコvsドスJR
~映像だけ見ると、(ドスJR選手)ビビッテルもんなぁ。さがっちゃダメだよ~


多少言葉使いは違うと思いますが、こんなニュアンスなことをおっしゃっておられました。以上、柏崎先生のコメントの一部でした。
BoutReview Readers Opinion [スカパー! 生活向上委員会]


こんなことも言ってたそうな



氏が出場するはずだった1980年のモスクワ・オリンピックを日本がボイコットし(谷津嘉章と同じ世代なんですな…)、五輪でこの寝技を証明する機会がなかったこともあって、一般世間的な知名度は残念ながら五輪メダリストほど高くは無かろう。
だが、この機会に、その名が”世間”にも再度広まってくれればちょっと嬉しい。4年後、8年後の五輪で中国勢の寝技に驚く準備にもなるだろうし(笑)

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