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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ドラえもん的な「小学男子と女子が一緒に遊ぶ」、皆の実感ではリアリティある?【日曜民俗学】

まず最初に、余談から入ります(※なおこういう書き方は非常に良くありません)。
m-dojo.hatenadiary.com
という記事を毎月定期掲載し「ネット連載漫画はついつい読み飛ばしてしまうので気をつけましょう」と言ってる自分ですが、年末年始を挟んだらついつい…ごっそり、読み逃し取り置きのネット漫画が多数となってしまった。どこへ遠出したわけでもないのに、ちょっとしたきっかけですぐに読み逃してしまう。皆さんも年末年始、今まで読んでいたネット連載漫画を読むのを中断してませんか?ご注意をば。


余談終了。
そうやって今回回って未読分を読んだ作品の中に くらげバンチの連載作品
ゆずチリ先生の「姫野ちゃんに恋はまだ早い」

があります。どうもジャンル的には自分の興味分野ではないが、傑作「ふたり生徒会」と作者が同じ(「ふたり」は原作、この作品は絵も)なので読んでおります。

ふたり生徒会(1)

ふたり生徒会(1)

ふたり生徒会(3)

ふたり生徒会(3)

ふたり生徒会(5)

ふたり生徒会(5)

ふたり生徒会(7)

ふたり生徒会(7)

※主人公コンビが1人ずつ毎年卒業し、徐々に入れ替わるのです

相川姫乃、小学4年生。同級生の逢司くんに、恋心を抱いているもののなぜか気持ちがうまく伝わらず――。この恋心、全然伝わらない!? おマセな女子小学生とマセ度0%な男子小学生の、すれ違い初恋ラブコメディ♪

ま、こんな話で、子供の発達段階の性差を考えると「あるかも」なお話ですかね。その一方で、この「おませ」な子も、精一杯の、さらに限界を超えての背伸び―――ジャック・ハンマー並みの無理ある背伸びをし過ぎてて、時々盛大にすっころぶ(自分の子供っぽさがむしろ全開になる)というところがコメディとしての読ませどころなわけです。


ところで。
その読み逃しの…55話か。
kuragebunch.com

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ゆずチリ「姫野ちゃんに恋はまだ早い」55話


一応、この場面を解説すると 登場する「翼ちゃん」は「姫野ちゃん」と正反対に、未だに性差やジェンダー、ましてや「恋愛」は全く意識しておらず、そして好きな遊びや趣味が全部少年っぽい、という少女。結果的に、一番少年グループに積極的に混じって壁を作らない。そういう意味での「親しさ」が「姫野ちゃん」に取っては、自分が好きな少年との関係でやきもきさせられる、というような設定です。


この回を読んでふと、いままで疑問に思わなかったことを思いついたんですがね。

ドラえもん、オバ Q の時代から小学生が男女入り混じって放課後遊んでたけど、あれはどれぐらいリアリティがあるの??」と。

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ドラえもんと原っぱ

これは「都会と地方、田舎」「戦前戦後の風景と、高度経済成長の風景」なども関わってくる話だと思うんだけど…

ここで実例と言うか実感なんですが、高度経済成長も特に経験した後の地方都市(いや、「都市」つけていいのかどうか)だと、小学生の男子と女子が、学校の昼休みとか、下校前の放課後とかはまだ分かりますよ。
一旦下校して解散した後、民間で男女が混じって遊ぶようなことはなかった……ような……気がしないでもないでもないんだよな。


令和の連載漫画「姫野ちゃん」でも、女子が男子の家に遊びに来るのが非常に珍しいケースであるがゆえに、上のような場面が出てくるわけだ。


しかし 、自分たちの経験談としてはそのまんま「少年時代」に描かれたような日常だったはずの藤子不二雄コンビはじめトキワ荘世代が、なぜか漫画では普通に少年少女が入り混じって遊ぶ風景を書いているんだよ。

これは別に、作劇の面から考えると当たり前のように納得できる。
物語としては少年漫画に、やはりヒロインを入れたい。あの短いページで話を完結させるためには、最初から同じグループに属して登場していかないととても無理。故にのび太ジャイアンスネ夫は、しずかちゃんと普通に原っぱで遊んでいるのである。

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ドラえもんと原っぱ

あるいは漫画はやはり「こんなこといいなできたらいいな」が描かれる世界。どこにもないけれども読者の理想として 、少年と少女が一緒に遊ぶ、という光景が描かれたのかもしれない

・・・・・・・でも、どうなのかねえ。
もう一つの仮説としては、『男女が別れて遊ぶのはむしろ戦後も高度成長以降の風景で、 それまで子供たちが遊ぶのは「子守り替わり」なところもあったから、兄妹姉妹を引き連れて面倒を見る子供たちが集まれば、年代と性別が入り混じったグループになるのはむしろ普通だった』ということもあるかな。

ただ、自分的に、この辺の描き方でリアリティーを一番感じるのは石黒正数の「それでも町は廻っている」だったんだよね。

こういうエピソードが、最初期の1巻にあるんだよ。

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それでも町は廻っている」小学生が男女で遊ぶプレッシャー
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それでも町は廻っている」小学生が男女で遊ぶプレッシャー

それ町」は、時系列をシャッフルさせて敢えて描いているんだけど、3巻にこの「女と遊ぶかよバーカ」の場面の直後であるだろう、辛辣なシーンがある

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それでも町は廻っている 小学生が男女で遊ぶプレッシャー

ある時期に「女なんかと遊ぶかよバーカ」とか言ってて、遊ばなくなり、その女の子には近所のお姉さんが「あと数年であっちが頭が上がらなくなるから、今言われたことを覚えときな」とアドバイスする…なんてのは、別にこういう場面自体に「実体験」としてのリアリティがあるわけじゃないけど(笑)、言わんとすることはよーーくわかる。

主人公の高校生女子・歩鳥の弟さん(とても優秀)にも、こんな場面が…

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それでも町は廻っている 小学生が男女で遊ぶプレシャー


弟さんの「クラスメートの女の子と遊んでいることがバレたら、男の子仲間に『人民裁判』にかけられる!!」
とオロオロする場面も、これも実例・実体験としてのリアリティはともかく(笑)、雰囲気としてはよくわかる。


そういえば石黒氏は、藤子 F 不二雄の影響にあるどころか「藤子・F・不二雄が漫画の「父親」である」というぐらいに藤子Fに影響された作風なんだけど
natalie.mu

この扱いに関しては踏襲されてない。


・・・・・・・・・・・・だが。

「いやそれは地方、ド田舎の話じゃね?花の都大東京ではリベラルな空気が醸成され、小学校では男の子も女の子も混じって普通に放課後遊んでいたよ」

という証言も出てくるかもしれない。

はてなブログを読んでる人』という非常に大きなバイアスがあることは承知の上で、皆さんに尋ねてみたい。
ドラえもんオバQ のような、小学男子と女子が入り混じって遊ぶような光景はあなたにとってリアルでしたか?それともファンタジー、別世界でしたか?」と。

・・・・・・あ、そこの君、見栄を張るなよ(笑)



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