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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

給付金で存在感ゼロの岸田文雄氏、「選挙区も大切だが外交にも力を!」と外相時代、森喜朗に説教されるレベル(森は森で、そこからあとが…)

給付金が、台を叩いたら玉がジャラジャラと出てくる安手のパチンコ屋のように、「叩いたら出てくる」ような塩梅になりそうです。

で、この話題の時に、その前、4月4日。

首相から先月17日、経済対策の取りまとめを指示された岸田氏は早い段階から「支援が直接、国民の手に届く施策が求められている」と訴え、全ての国民一律の現金給付が妥当との考えを示してきた。しかし、政府・与党内からは消費税の減税措置や商品券の配布などを求める声が相次ぎ、“商品券派”の二階俊博幹事長と岸田氏との綱引きもあった。

 さらに岸田氏の前に立ちはだかったのが麻生太郎副総理兼財務相だった。リーマン・ショック後の平成21年、当時、首相だった麻生氏は全国民に1万2千円(若年者と高齢者は2万円)を配る「定額給付金」を実施したが、効果は「限定的」とされた。岸田氏は麻生氏の意向をくみ、所得が大きく減った世帯に限り現金を給付する案にかじを切り、配慮を示した。

 ただ、リーマン・ショック時を上回る財政措置20兆円、事業規模60兆円の対策を求めた自民党提言に対し党内には「まだ不十分」との意見もくすぶる。「ポスト安倍」として存在感を示したかった岸田氏は苦しい立場に追い込まれていた。
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 永田町では「総理が有力ブレーンに止められたらしい」という “怪情報” も流れたが、ある自民党若手議員は、「ひとえに、岸田(文雄・政調会長)さんが悪い」と怒りをにじませ、こう続けた。
「当初、安倍首相から与党側の経済対策の取りまとめを一任された岸田さんは、『全国民一律の給付しかない』と訴え、公明党執行部も『それなら金額は10万円だ』と乗ってきていたんです」
 しかし、岸田氏の前に二階俊博自民党)幹事長、麻生太郎副総理兼財務相が立ちはだかった。
「商品券形式での支給を主張する二階さんや、首相時代に定額給付金を配って失敗した麻生さんに、『現金支給は貯蓄にまわされ効果が薄い』とけん制され、折れちゃった。次期首相候補が、この体たらくでは、先が思いやられます」(同前)
 ジャーナリストの鈴木哲夫氏も、こう嘆いた。
「昔の自民党なら、こんなときには官邸に乗り込んで、緊急対策予算を強引に組ませる政治家が多かった。しかし今では、“官高党低” で、首相の顔色をうかがう政治家ばかりです」

smart-flash.jp


で、その持たされた「花」を、公明党がなんだこんなもの!と取り上げて放り投げて、自分でもっと大きな花をかっさらっていきました。

浄土と云ふも、地獄と云ふも外には候はず。ただ我等がむねの間にあり。これをさとるを仏と云う。

 10日には別の3回生らが新型コロナを受けて歳費の削減を求める提言への賛同者を募り二階氏に提出。世論を気にする選挙基盤の弱い若手が浮足立ち始めていた。党内の不満を抑えた上で了承した補正予算案が覆る事態は、「ポスト安倍」を目指す岸田氏にとって厳しい事態となる。
 もっとも、「1人10万円」をぶち上げた二階氏も、所得制限を設けた上で追加の経済対策での実施を求めていたが、最終的に公明の主張が通った。自民が得意としてきた党内ガバナンス(統治)が危うくなっている事態に、岸田氏周辺はこうつぶやいた。
 「党で一度決まったものが覆るなんて滅茶苦茶(めちゃくちゃ)だ。自民が崩れ始めている」
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さて、面目が丸つぶれになった、あるいはそんな面目なんかそもそもあったのかの岸田文雄政調会長だけど、
この前読んだ、こんな本がある。

これはどんな本かというと、
実は田原総一朗森喜朗、三歳ほど森の方が年下での同世代。
本当は2人、大変に仲が良かった。
その大ジャーナリスト・田原総一朗氏が聞き手となり、森喜朗の大所高所からの御見識と、世界の首脳や海千山千の国内政治家とわたりあった、波乱万丈の半世紀をうかがう…という本なんですよ。
しかも発売されたのが2013年12月、2012年に政界を引退して、悠々自適勝しがらみから解き放たれた一方で、招致委員会として東京オリンピックの誘致にみごと成功して、得意絶頂のときに書かれた本なのであった(当然、神ならぬ身で2020年にこうなるとは思ってもいない)。

この本、というか森喜朗にはいろいろ言いたいことはあるけど、ただ、彼の回顧録や著書は結構面白い。
というのは、彼の「書いてもいいこと、言っていいこと」の判断ラインが、ちょっと常識的なものとはかけ離れてて、読んでいる限りでは「これ言っちゃうの?」「それが暴露するの?」みたいな話がぞろぞろ並ぶのだ。
ただ、確かにそんな大問題にもなってなくて…。
「永田町の町内会長」の名をほしいままにした、完全に思考が昭和(本格的に活躍したのは平成だけど)のオヤジ政治家の感覚…というか、ひところ流行った「内在的論理」はまるで別物らしく、その内在的論理を知ることが楽しく役に立つ。
……なんて大層なものでなく「異世界もの」、永田町という異世界の変わった風習や宗教を知る感覚が味わえるんだよ(笑)

そんな本の中で、森喜朗氏は、当時外相だった「宏池会の新プリンス」岸田文雄氏について語った。
『鮫』というカッコイイ異名で知られた森喜朗が「自民党リベラル派(らしいんです、世間の評価では。実は加藤勝信現厚相もリベラル認定されることも)の代表」として扱われることも多い…だが基本的に目立たない岸田氏に、叱りつつ贈ったアドバイスとは。

日本外交が弱体化した理由


―――元総理の森さんがいまだに世界を駆けまわっているということは、逆に言えば、現役の政治家たちがだらしないということでしょう。今の自民党には、韓国、中国だけじゃなくて、ロシア、アメリカにもパイプがない。唯一、森さんがロシアにパイプを持っている。だから、安倍さんはロシアに行ってプーチンと会えたんです。なぜ、パイプがなくなったんですか。


森  ひとつの要因は小選挙区制ですよ。選挙制度が変わって、政治家に余裕がなくなった。自分の選挙区のことをやるので精一杯なんだ。外交を議員連盟でがんばるのは、余力がなければできない。


―外交では票につながらないからね。


森   票にはつながらないけれど、政治家の生きがいとしてやるわけだから。相手の国と仲よくしていくために、自分は何ができるか。そういう意識を持って活動している人はそうはいないわけですよ。そもそも外国人とつきあわないんだね。


――つきあわないというのは、どういうことですか?


森  日本には各国の大使がいますね。大使たちの重要な仕事のひとつは、自国の大臣や将来の大統領候補らが来日した時に、日本の要人と会わせることです。だから、各国の大使が持っている要人リストに入るようにならないとダメなんですね。そのリストに名前が入るようにするために、日頃どういう活動をするかということですよ。


―どういうことをするんですか。


森  食事をしたり、ゴルフをしたりといったおつきあいをする。ぼくのところには引退後も、だいたい週に三〜四人の外国人が来ますよ。いろいろな相談に乗ってあげるんです。


―日本の政治家がつきあいをしなくなって、外国とのパイプもなくなった。ロシアの場合は、たまたま森さんがいたから、2プラス2、つまり両国の外務大臣防衛大臣の協議にまで行っていますね。2プラス2をやっているのは、他にはアメリカとオーストラリアくらいでしょう。中国や韓国ともできていない。どうするんですか。


森だから、そういう人材を育てないといけないでしょう。


――今はいないですよ。


森  アフリカ五十一ヵ国の首脳が来日して、TICAD(アフリカ開発会議)が二〇一三年六月に横浜市で開催されましたね。ぼくは安倍さんとふたりで共同議長をやったんだけど、その会議が始まる前に、アフリカデーというのがあってアフリカの全大使が集まってパーティーをやるんです。
二〇一三年はとくに五十四ヵ国が加盟するAU(アフリカ連合)が結成五十周年を迎え、そのお祝いの会になりました。ぼくも招待状をもらったけれど、TICADがあるので遠慮しようかと考えていたら、外務省の担当者がすっ飛んで来てね、「森先生、出てくれませんか」と言うんだな。「なぜオレが出なきゃいかんの」と聞くと「うちの大臣が出ないので、その代わりに」というから、ぼくは「それはまずいよ」と怒ったわけですよ。冗談じゃない。なんでオレが外務大臣の代理をしなきゃいかんのか」


―それはそうだよ。


森  『安倍総理に頼まれたら、これはお国のためだと思ってやるけれど、岸田文雄外務大臣がやるべきことをなぜオレ代わりにしなきゃいけない。そんな理由なら、意地でも行かない」と言ってやった。
でも僕は「おかしいな」と思って、岸田くんを呼んで話したんですよ。
「いよいよTICDだから、こういうところに注意してくれ。ところで、きみはどうしてアフリカデーのパーティーに行かないんだ」
「ええ。広島にちょっと帰るんです」
「広島というのはきみ、選挙区だねえ」
『選挙区の行事ではないんですが、大事な仲間が選挙で当選したのでお祝いに行くんです」
「岸田君な。いや、厳しいことを言うようだけど、それだったら外務大臣なんか辞めちまいなさい。だって、外務大臣になったら三百六十五日、国のために働かなきゃならん。それなのに、大事な行事を欠席して自分の選挙区に帰るとはどういうことか。大事な仲間のお祝いというのなら『外務大臣になったら、こんな大事なことでも田舎には帰れないんだ』と県民に知らせる絶好のチャンスじないか』
「はあ、そう言えばそうですが」
「だから、パーティーに出てあげなさい。君が欠席するというので、外務省の担当者がオレのところにすっとんできたよ。オレが出ることはやぶさかじゃないが、きみの面目がつぶれるだろう。だから、大臣、あなたが行きなさい、大使たちが喜ぶから」こうアドバイスしました。
アフリカデーの当日、横浜に用事があったので、玄関先からちょっと会場をみてみたんです。そうしたら、大使たちがみんなでドンチャン騒ぎをしてい した。岸田君は大モテだった。


―― それじゃあ、よかったですね。


森   そうしたら、大臣が翌日、ぼくのところへ飛んで来たよ。 「仰る通り、行ってよかったです」
「そうだろう。岸田という男がどんな人間か、大使たちは知らないよ。しかし、日本国の外務大臣がきてくれた。『さあ、来週のTICADはみんなで協力しよう』ということになるんだよ」
「いやあ、しみじみとわかりました。」
そこまでとことん丁寧に教えないとわからない人が多いんだ。


――ふーーん、困ったもんですねえ。 岸田さんなんて割にわかってそうな男なのに、彼ですらその程度だとはねえ。
(36-37P)

森喜朗に外交でダメだしされる岸田文雄(日本政治のウラのウラ)


これはなんだかんだと森喜朗氏が正論、グッジョブ。
外交とは、たしかにこういうところで顔をつなぐところから始まるのであろう。
それは会議は踊るのウィーン以来、そうだろう。


にしても、それとは別に
外務大臣になったら三百六十五日、国のために働かなきゃならん。それなのに、大事な行事を欠席して自分の選挙区に帰るとはどういうことか。>
は正論なんだけど
<大事な仲間のお祝いというのなら『外務大臣になったら、こんな大事なことでも田舎には帰れないんだ』と県民に知らせる絶好のチャンスじないか』>
って何よ(笑)。いや、事実かもしれないけど、ぶちこわしだよ!!!!

…さらに…ここから、さすがのザ・森喜朗。38p

森   それでね、岸田君は稲門なのでアドバイスしたんです。 きみが早稲田の出身であることを言わない心についてオレはわからないけれど、一年に一度の国会稲門会ぐらいは来たらどうだい。きみがこれから古賀誠さんの期待を背負って大宏池会を切り盛りしていく以上、稲門の代議士たちから「岸田さんは校友だ。頑張ってください」と言われるようになるのも大事なことだ…(後略)


外交のため、アフリカの新興諸国、発展途上国の大使と胸襟を開くのも、早稲田大の議員会に顔を出すのもまったく同じ扱いだった(爆笑)。いや、それが正しいのかもしれんけどね!!!!


この本から、あとでもう少し紹介するかも。