前日は家族でラグビーW杯観戦 長男「懸命に戦った」
金田正一さんの長男で俳優の賢一さんが東京都内の自宅前で6日夜、報道各社の取材に応じました。
(略)野球をはじめスポーツ全般が好きだった金田さんのため、病室のテレビをスポーツ中継にしていて、前日は家族でラグビーワールドカップの日本代表の試合を見たということです。
金田さんとの思い出を聞かれて「野球を一緒に見ていると隣でずっと解説をしてくれました。野球一筋の人生でしたから、天国に行っても野球をやっているかもしれませんね」と話しました。
www3.nhk.or.jp
自分は金田正一を、「ほとんど吉田豪の語る逸話経由」で知っている(笑)
座頭市と化した金田正一に叩き斬られる勝新太郎。 pic.twitter.com/mGJJkeLoZ7
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) March 27, 2014
かねやんと言えば今は無きTVチョップという雑誌で、吉田豪からのロングインタビューを「わしは二時間も喋りとうない!」と幻想高まる非常に男らしい理由(吉田豪談)で断った話が好きだな。
— 充電中 (@8OlJA8DvccoEyUo) October 6, 2019
そう、その後接触に成功したのかもしれないけど、吉田豪が畑正憲などに取材した…本人にとってもごく初期の作品、出世街道を歩みはじめた時の記念碑的インタビュー集「男気万字固め」にて
- 作者: 吉田豪
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「後書き」に、「吉田豪からのロングインタビューを「わしは二時間も喋りとうない!」と幻想高まる非常に男らしい理由(吉田豪談)で断った」という話が載っていた。だが、吉田氏が話を聞く野球関係の人物人物が、みな「ワシよりあの人の方がヒドイ(スゴイ)」という感じでカネやんの話を出してくるのであった。
ちなみに今、ウィキペディアも見たんだけど、これがヒドイ。
1951年は全107試合中44試合に先発登板し、9月5日の対大阪戦(大阪)タイガースでノーヒットノーランを達成。18歳35日での達成は史上最年少記録であり、昭和生まれ初の達成となった。同年は22勝を挙げ、以後14年連続20勝を記録。タイトルでは無かったが、自身初の最多奪三振を達成する。
1952年、2年連続で最多奪三振を達成。
1953年、3年連続で最多奪三振を達成。
1954年8月8日の試合で球審の国友正一に対して暴言を吐き自身初の退場処分となった[8]。
そして
吉田豪・プチ鹿島語る カネやん 金田正一デタラメ伝説 https://t.co/9VVrNRTr3e
— みやーんZZ (@miyearnzz) October 6, 2019
(吉田豪)日本屈指の記録を作った人として有名で。で、『ワシが400勝だから、200勝のヤツらを名球会に入れてやる』っていうシステムで。名球会っていうのを作って、それを私物化して最近追い出された人ですよ(笑)。
吉田豪と愛甲猛 江夏豊・金田正一・落合博満を語る https://t.co/Pw4DPgjerC
— みやーんZZ (@miyearnzz) October 6, 2019
(スピードワゴン小沢)すごい……金田さんは「天皇」と呼ばれた人ですからね。
(愛甲猛)言っておきますね。「天皇と呼ばれた」んじゃなくて、「自分で言っていた」んですよ。
ほほう、10年前に、或るコネを使って、インタビューできたのね。
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(吉田豪)衝撃を受けて。で、著書を片っ端から読んだんですよ。まあ全てがセクハラとデタラメなギャグの連発で。非常に面白いっていう。で、なんとか取材できないか?と思って、取材もしたんですよ。TVブロスで10年ぐらい前ですかね?取材できたのは、実はTVブロスの編集部に、日本の名球会にも入っているぐらいの大物野球選手の娘さんがいらっしゃって。そのコネでできたっていう感じだったんですけどね。(プチ鹿島)ほー!
(長野美郷)お会いして、いかがでした?
本物のデタラメぶり
(吉田豪)デタラメぶりが、『本物だ!』っていう感じですよ。会うなり、まず怒られましたから。『お前、なんや?その髪!?』って言われて。まず金髪であることをすごい怒られて。『お前、それでも日本人か!?』ってまず怒られて。『髪なんか金にしたら、チ◯ポ勃たんぞ!』って言われて。『ええーっ!?関係あるんですか、それ!?』っていう(笑)。(プチ鹿島)それが基本なんですよ。
(吉田豪)『色素が良くないんや!』っていうね。まず怒られて。で、もう即ですよ。その場だけで『すぐ黒くします!』みたいな嘘ついて。『わかりました!それは重要です!』みたいな感じで。ひたすら謝って。
(略)
(吉田豪)『僕ね、子供の頃は金田さんよくテレビに出てて大好きだったんですけど。最近なんでテレビにそんな出れないんですか?』って聞いたら、一言ですよ。『ああ、テレビで言っちゃいけねーことを言うらしいんで』って(笑)。(鹿島・長野)(笑)
(吉田豪)そうなんですよ。インタビュー始まって3分くらいで放送禁止用語出てたんで。『この人は向いてないわ』と思って。『生とか絶対出しちゃいけない人』っていう。
(プチ鹿島)俺もナイター中継とかよく・・・あの頃、カネやんが全盛で。巨人◯◯戦とかね。よーく考えると言っちゃいけない言葉、バンバン言ってたもんね。ここでは言えないけど。そういうね、暴れん坊なんです。でもしょうがないんです。400勝投手で。自分がルールブックだから。で、人はそれを敬うしかないから。
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(吉田豪)…あとは(江夏豊に)カネやん(金田正一)さんの話をしたら、「金田さんと屋上で決闘をしたことがある」みたいな話も……。(スピードワゴン小沢)誰が?
(吉田豪)江夏さんと金田さんが、屋上で殴り合いをしたとか。
(スピードワゴン小沢)日本の最多勝の記録と最多奪三振の記録を持つ、ピッチャーのトップ同士が?
(吉田豪)たぶんお互いがいい歳の頃に(笑)。
(スピードワゴン小沢)理由はなんでですか?
(吉田豪)詳しくは聞いてないですけども。「殴り合いをしてさ」みたいな。
(スピードワゴン小沢)すごい……金田さんは「天皇」と呼ばれた人ですからね。
(愛甲猛)言っておきますね。「天皇と呼ばれた」んじゃなくて、「自分で言っていた」んですよ。
(吉田豪)周りから呼ばれたわけじゃなくて(笑)。
(スピードワゴン小沢)「金田さんは天皇と呼ばれていた」っていう風に我々野球ファンは認識していたんですけども。
(愛甲猛)僕、間近で見たんですけども。ゴルフに一緒に行ったんですよ。監督に時に「お前、行くぞ!」って言われて、千葉のゴルフ場に行って。で、メニューにないものをいきなりたのんだんですよ。レストランで。で、「いや、それはメニューにございません」って言われたら、「『天皇が言っているんだ。もってこい!』って料理長に言え!」って言って。「ええっ? 自分で言うんだ……」って思って(笑)。
モンスタークレーマーとか、そういう類の話であるが、一人であいちトリエンナーレを上回る男、としかいいようがない。
安らかなれ