きのうの「はてなブックマーク」を席捲した、あいちトリエンナーレのある事件(※脅迫で企画展が中心になって容疑者が逮捕された、許しがたい事件とは別物です)についての2記事。
note.mu
b.hatena.ne.jp
この記事に、2つコメントをブクマでつけた。
「なごやトリエンナーレ」事件について|外山恒一|noteb.hatena.ne.jp「アーチストの真似とて大路を走らば、即ち…」なんだろうな?/それはそれとして、こういう一件にこそ津田大介芸術監督による事実関係の説明と意見表明が必要かと。
2019/08/12 15:02
あいちトリエンナーレ「ガソリン事件」の笑うに笑えないハナシb.hatena.ne.jpほんとに前衛芸術は「一見(或いはどう見ても客観的には)それを妨害するような行為を『これもアートだろ?』と言われたらどうするの」という矛盾を構造的に抱えてて、それへの理論武装が鍵。今回は……?
2019/08/12 17:47
このコメントに付け加えることはない…んだけど付け加えるね(笑)。
もうひとつの記事へのリンクとブクマ。
「天皇の肖像焼くけど、二代前だから大丈夫だよねwww」津田大介の発言が発掘される - Togetterb.hatena.ne.jpギャラリーフェイクで自称前衛芸術家が、職人が精根込めた額縁を目茶苦茶に壊して「これはナンたらという意味があり」と講釈したが、それは通用するか?って話がありました。※同作が法的規制されるべきでない話は別
2019/08/06 09:12
実はちょっと、全巻が置いてある筈の実家に戻って「ギャラリーフェイク」探したのだけど、蔵書樹海に紛れこういう時に限って発見できない…
該当エピソードはわかってるの、9巻「されど額縁」。
発売中のMFB版『ギャラリーフェイク』イタリアの美総集編。イタリア・ルネサンス三大巨匠の題材の話がほとんどですが、編集担当者が好きな絵画の額縁を題材にした話も収録されています。額縁をコツコツ作る職人にスポットを当てる、素敵ですよね。 pic.twitter.com/sE9sVVKzIf
— スピリッツ編集部 (@spiritsofficial) May 2, 2013
額縁もまた美術品である。ギャラリー・フェイクに「されど額縁」って話があってね… http://t.co/Chol408g7v ゴージャスで目立ちまくる「黄金の額縁」はどのように作られたのか?額縁から分かる美術の流れ
— Hisap (@amiskwia) October 12, 2015
なんというか、『ギャラリーフェイク』で職人が丹精込めて作った額縁を破壊して斬新アート気取りの作品作って悦に浸る美大生の話があったが(その後フジタにやりこめられる)、それに触法要素添加した感じ。 / “「現代アート展示会場…” https://t.co/8d4X6KaiGb #社会
— 中杜カズサ@1日目(金)西え-24a (@nakakzs) January 31, 2016
カオスラウンジ問題で「ギャラリーフェイク」」の村上隆をモデルにしたと思われる話が引き合いに出されてるのを見たけど、自分の中には「先鋭的アーティスト気取りの学生が、冴えない額縁職人が作った額縁をアートと言ってバッキバキに壊した作品を作る」話が先に出てきた
— ゐで (@ide_mrna) July 28, 2011
http://j.mp/g8UEWy 何かギャラリーフェイクのあれ思い出した。額縁職人が丹誠込めて作った額縁を「現代アートの為だ」と言って壊して取り込み、フジタから「職人の思いも知ろうとしないで破壊し、アートとのたまうコレに、果たしてその価値があるかね?」と言われた学生の作品に。
— かくぞう (@kakuzou) December 16, 2010
んで、フジタはこう批判するわけさ。
【この囲み部分の記述は、ギャラリーフェイク内の上記「されど額縁」と22巻収録の「カリスマ真贋」の混同でした!! 詳しくは https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2020/11/12/015409 にて
】
ただ、この前段階が、今回の一件と似ていて……だから紹介したかったんだが、ちょっと記憶あいまいな部分も含めて書くけど、フジタはこの前衛アーティストを気取った美大生の批判をするために、なんかの手段で、彼の作った作品を粗末に、あるいは侮辱的ともとれるかたちで扱うのだよね。それに、美大生は当然怒るのだが、それに対してフジタは
「これは‥‥という現代社会の……を批判するという意味合いで……を…したアートだ!!」(※再現は適当です)みたいな、いかにもな講釈を、即興でまとめるのさ。そして、「・・・・・・というようなゴタクを適当に並べて、これはアートだと言い張ることは、いくらでも可能なんだよ!!」と突き付ける。そんな場面が(当方の記憶では)あるのだ。
まあ、興味ある人は読んでみて下さい。
漫画家本vol.9 細野不二彦本 (少年サンデーコミックススペシャル)
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ギャラリーフェイク名品集 伝統美 (My First Big SPECIAL)
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そう、何かを滅茶苦茶にするようなことで何かを訴える(つもりの)前衛作品。その前衛作品を(物理的に、かどうかはともかく。物理的にやると、多くは犯罪だ)滅茶苦茶にして、何かを訴える”前衛作品”だと称されたら……。
まあ、この「ギャラリーフェイク」では結果的に、その美大生が内心の中で負けを認めて_| ̄|○……だったからそれで決着がつくんだけど「いや、俺のはアートだがお前のは違う!」と言い張ることも可能だし、あるいは「どっちもアートではない」、「どっちもアートである」と主張し続けることもできる……
ある種の解決不能性がある、のもまた事実。だったら即物的に不法侵入や公務執行妨害やら、そういう芸術とは程遠い散文的な何かで「なごやトリエンナーレ」も判断するしかない、のかな。いやまてそれだってアートにすることはできるかもしれない。
これは「宗教における『見なしの自由』」に近いともいえるな。