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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

戦場で飢えているのに、仔馬を殺すのに躊躇した話(「戦争は女の顔をしていない」)/本日11:00で1〜3話配信終了(らしい)

「戦争は女の顔をしていない」配信について(コミックウォーカー版は一部終了?)

comic-walker.com

第1話
第2話
第3話
【配信期限】〜2019/07/27 11:00

ってかいてあるから、配信終了だと思うんだけど…
実はよくわかんなくて
twitter.com

こうやってtwitter上でUPされている画像は、どうなるのか…
【追記】twitter上のものは公開を続ける由


で、3話後編もこうやってUPされている

戦場で飢えているのに、小さな馬を殺すのをみな躊躇した話


配信終了を前提に、過去のこの場面を語ります。

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戦場で飢えているのに、野生の馬は誰も殺したくない(戦争は女の顔をしていない)
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戦場で飢えているのに、野生の馬は誰も殺したくない(戦争は女の顔をしていない)
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戦場で飢えているのに、馬を誰も殺したくない(戦争は女の顔をしていない)


該当部分のツイートも埋め込んでおく。こちらはコミックウォーカーの配信終わっても残るのかな?


まったく、不思議な挿話である。
戦争である。相手を殺すために、両軍が塹壕を挟んで対峙しているのである。
そこで糧秣が不足している。動物を銃で撃って仕留めて、その肉を食べれば、とても戦力維持に役立つ。というか、実感としてみんな腹が減っている。

なのに 撃たない。撃った狙撃兵の隣の同僚が涙を流す。
狙撃兵以外は「銃の性能的に撃てなかった」と言い訳できるかもしれないが、現に打った狙撃兵をフォローもせず、目をそらして自分の仕事をするふりをする。馬の肉が、料理になって出てきたら、極めて空気が重くなる。

しかし、いたたまれずに馬を撃った娘が走り出すと、彼女を追って口々に慰め、おいしく馬肉入りスープをいただく。


……一から十まで、人間のエゴ丸出しである。
敵の人間は、あるいは家畜として育った牛や豚と、「かわいい子馬」は完全に別扱いなのである。

非論理的な、エゴである。かわいいは正義


だからこそ……この躊躇は一番に「人間的」なもので、戦場が「非人間的」な場所であるなら、矛盾と無責任と感情過多に見えるこの「仔馬さんがかわいそう」という感情こそが「人間性」なのだろうと思う。

寄生獣」や「それでも町は廻っている」から

寄生獣(1) (アフタヌーンコミックス)

寄生獣(1) (アフタヌーンコミックス)

名作「寄生獣」で、パラサイトと融合して意識、精神までその影響を受けつつあった主人公が、交通事故の子犬を助けたものの、死んだと分かるとごみ箱に入れて女友達の咎めを受ける。
それに対して
「もう死んだんだよ 死んだら犬の形をしたゴミだ」と言って、ますます激怒される…という一場面がある。

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寄生獣 「死んだら犬の形をしたゴミ」

そのことを、あとで主人公とパラサイトが議論?し、「それは人間がヒマだからさ」「心にヒマがある人間はなんてすばらしい!」と言われる…

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寄生獣 心にヒマがある人間はすばらしい


この挿話は、わたしがくだくだ書く以上に、完璧に「戦争は女の顔をしていない」の仔馬の挿話を説明していて、それで終わりになっちゃうんだけど(笑)、そういうことなんですよ。
動物愛護…犬猫の殺処分反対も、捕鯨反対も、犬肉食反対も、ヴィ―ガンも……基本「エゴ」であり「矛盾」している。
だけれども、それはかなりの意味で人間性の大きな部分を占めるのだろう。
また、あまり言いたくないが、それが「職業的な肉・魚の採取者・処理者への偏見差別」とも地続きであることも間違いない話。


儒教も、仏教も、このエゴを、こういうふうに語っている。

dictionary.sanseido-publ.co.jp

、傷むこと無(なか)れ。これ及(すなわ)ち仁術なり。牛を見るも未(いま)だ羊を見ざればなり。君子の禽獣(きんじゅう)に於(お)けるや、その生を見てはその死を見るに忍びず。その声を聞きては、その肉を食らうに忍びず。是(ここ)を以(もっ)て君子は庖厨(ほうちゅう)を遠ざくるなり、と。


ja.wikipedia.org

三種の浄肉(さんしゅのじょうにく)とは、初期仏教の僧が托鉢の際、自らが戒律中五戒の不殺生戒を犯さない布施の場合は肉食してよいというもの。

四分律より[1]その条件は、次のとおり。

有三種淨肉應食。若不故見不故聞不故疑應食。若不見爲我故殺。不聞爲我故殺。若不見家中有頭脚皮毛血。又彼人非是殺者。乃至持十善。彼終不爲我故斷衆生命。如是三種淨肉應食。
訳して、

殺されるところを見ていない
自分に供するために殺したと聞いていない
自分に供するために殺したと知らない 


実はこの議論「それでも町は廻っている」にも登場していて、主人公嵐山歩鳥の弟タケル(めちゃくちゃ聡明)は、贈られてきた、生きたイセエビを食べたくない、逃がしたいと懇願する。得たりとばかり主人公は「牛や豚は食べているのに…」と説得しようとするが、聡明な弟さんは「これがエゴだってのは分かってるよ!エゴだと分かったうえで食べたくないって言ってるの!!」

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それでも町は廻っている エビの恩返し イセエビを逃がす回
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それでも町は廻っている エビの恩返し イセエビを逃がす回
14巻。

深い話だが、エビとなるとそれだけで滑稽味が漂うのもまた一面の事実だ(笑)。そこから、また話は展開されるが、それが独ソ戦の一場面とも共通のテーマを浮かび上がらせる。
それがまた、「人間性」というものなのだろう。


ま、とにかく、twitterのほうの画像も消えるのかとかはわからないけど、配信が本日午前で終わるかもしれないという前提で漫画版「戦争は女の顔をしていない」について語りました。
原作本はこちら

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)