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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

桜庭のシュートボクセ修業は「ここ(高田道場)にはいたくないから」だったらしい(「2000年の桜庭和志」より)

「Number」次号はあす木曜日発売。「プロレス総選挙FINAL」らしいですね。楽しみですね…


…で、ついつい次号発売ぎりぎりまで引っ張ってしまい、慌てて語るんだが!!
その前の、本日まで店頭に並んでいるであろう980号掲載の「2000年の桜庭和志」(柳澤健)。

連載23回目のこの号では、桜庭の快進撃とともにPRIDEが売れるコンテンツとなり、経営状態が一気に好転した時代を語っている。しかし、PRIDEが経営状態が一気に好転し、勢いに乗った時代からすぐ…2001年3月、PRIDE.13で桜庭和志ヴァンダレイ・シウバにKO負けを喫する。自分は会場で、これを見たんだなあ…。
ここで、もしPRIDEで、桜庭和志が本当に適正体重の相手と闘い続けていたら?という歴史のIFへの想像も、その場合、あと2年か3年ほどは無敵状態が続いただろうか。適正体重もちょうど釣り合ったダン・ヘンダーソンとの一騎打ちが実現したのだろうか(そこで、言い訳の余地なく負ける可能性も、もちろんあったろう)
これについてはデイナ・ホワイトが端的に言っている。

・「私は桜庭和志の大ファンだ。サクラバ・ストーリーについての問題はこうだ。彼は本来ウェルター級で闘うべきだったが、その代わりに2階級重い相手にジャパニーズ・フリークショー・ファイトを強いられたことで潰されてしまった。結局彼が日本で最も偉大なファイターなのかどうかは分からずじまいになってしまった。日本人が彼のことを潰してしまったんだ」

・「それはどのスポーツでもあることだが、違う時代の偉大な選手を比較しようとするものだ。今言ったように私は桜庭の大ファンだが、真っ当なキャリアを歩んでいれば彼が日本の歴史上最高のファイターだったかどうかを我々は知ることができたし、今現在日本に限らずその他の国でもスーパースターと認識されることに異論はなかっただろう。それだけに残念だ」
sadironman.seesaa.net

そういえばおまけ。
当時、「にわかち」が『桜庭が勝った相手の多くは、本当は少し軽い階級(ホイスやヘンゾのこととだったよな、たしか)。適正体重のダンヘンとやれ!』な論者だった。上に自分が書いたのは、それが潜在意識で残ってたからか…(笑)


ああ、当時の桜庭のウエイト・階級区分論についつい回り道してしまった。この回では、運営側から見た「そんな体重差マッチを組んでしまった理由」についても語られているから、読むよろし。


そして本題である。

桜庭と高田延彦の間に、さまざまに隙間風が吹くことになる。
2005年ごろの、金銭面の問題での証言もあるが、そこはあまり問題ではないという。

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桜庭和志高田延彦の不和の原因(Number980号)柳澤健

「僕は練習はしっかりとやっていた。でも、ある時、サクが練習をサボっていると高田さんが言っている、という話が伝わってきた。これ以上は言いません。本当のことは、言うのであれば直接本人に言います」

これが、桜庭の今の証言である。


それより、「あーそうか」だったのは、シュートボクセに桜庭が修行に行く、という話である。そりゃ、一番の敵に学ぶんだ、とかはわかるが、ファイトスタイルあまりに違くない?とかの違和感を感じたもんだった。結果的に役にも立ったのだろうけど…実は

2005年8月、桜庭は「ここにはいたくないから」と言い残して日本を離れ、ブラジル・クリチーバシュートボクセに向かった

そうだったのか……歴史の「答え合わせ」は、時にみもふたもないものである。

この回では、当時のPRIDEの収益計算にも興味深い記述があるけど、それは別の機会に譲ろう。


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