第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
日本国民の総意に基く
日本国民の総意に基く
日本国民の総意に基く
日本国民の総意に基く………。
ここでひとつ、思い出話なんだけど、1989年、平成に改元されたあの年。
民俗学者…というより、戦後民主主義者としての活動が目立っていた色川大吉氏が、朝日新聞社に投稿した、と記憶している。実際に寄稿ではなく、投稿欄という扱いだったはず。
要約するとシンプル
・憲法には、天皇の地位が、「主権の存する日本国民の総意に基く」と書いてある。
・即位した天皇(現在の上皇陛下)は、「日本国民の総意に基づく」という根拠がない。
・だから、国民投票を実施せよ
・・・・・・・・・と。
朝日新聞も投稿扱いにしてるぐらいだったわけで、結局これは珍説奇説だったのか、別に国会で与野党の審議テーマにもならず「天皇の即位にかんして国民投票を行っていないのは違憲だ」という訴訟も起きず、それで終わった、という記憶がある。
だが「日本国民の総意に基づく」なる記述の意味はなんぞや、というのはなかなかに面白い話で、珍説奇説であっても、妙に印象にのこり、30年後の今も覚えている、と。
逆に西部邁はだ、この「総意」とは、何も今現在生きていて投票権のある人だけではあるまい、と主張。憲法の英文では総意とは「WILL」とだけ書いてある、という…英語文のほうから日本国憲法を解釈する、というやっちゃならんことをやり、…結論としてWILLとは「伝統」のことであり、「死者には墓石を以て投票してもらおうではないないか」というチェスタトンの箴言を引用、ま、最大公約数的、教科書的な「保守主義」を論じていました。
専門の憲法学者が『この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』をどう解釈しているか、そこまで調べればまた面白そうではある。
そういえば、ナポレオンは。
いま、軽ーく検索したら、小谷野敦氏のブログが上位に出てきた(笑)
d.hatena.ne.jp