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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「ハートマン軍曹」逝く…リー・アーメイ氏逝去


自分は子供のころ、子供たちで行った、この映画に。
「けったいな」ものに見えた訓練中に歌う下品極まりないソングだが、やはりインパクトは強かった。
「ゆず」の新曲で話題だが、私はどんな形でも政治性や時事性のある歌が(普通の意味ではなく、収集の対象という意味で)<大好き>だ。その影響のひとつはこれかと思っている。

映画も思えば、戦争映画であると同時に「洗脳もの」であり、広く言うと自分が「情報操作もの」と呼んでいるジャンルに隣接している。そういう点でも好みだった。


この人、実はまんがやドラマにありがちな「映画の現場に裏方、手伝いでかかわっていたら『あなた、俳優としてデビューしてみない?』と言われる」というパターンの人なんよ。
ウィキペにたぶんあるだろ。
wikipedia:R・リー・アーメイ
ほらあった

……10代の頃は札付きの不良で、判事から「軍隊に行くか刑務所に入るか選べ」と迫られたという。1961年海兵隊入隊。後に、彼は「(海兵隊が)俺のやくざな生き方を止めた」("put a screeching halt to my unconventional manner")と述懐している。1965年から1967年までの2年間、カリフォルニア州サンディエゴの海兵隊サンディエゴ新兵訓練所 (MCRD San Diego) で、DI(ドリル・インストラクター、教練指導官)として勤務。
1968年、第17海兵航空支援群の一員としてヴェトナムで戦う。沖縄でも2度ほど勤務する。この間何度も負傷し、1972年に二等軍曹(Staff Sergeant)で名誉除隊。
(略)
1987年、スタンリー・キューブリック監督の映画『フルメタル・ジャケット』で教練指導官のハートマン軍曹役で出演。当初、彼はテクニカルアドバイザーとして参加していたが、演技指導で彼の罵詈雑言の迫力を見たキューブリック監督により、ハートマン軍曹役そのものが与えられた。軍曹の台詞の一部は彼が手がけ、また一部の演技は彼のアドリブである。キューブリック監督は彼を「これまで仕事をしてきた中で最高の俳優の一人で、1シーン撮るのにたった2、3回のテイクで十分[6]だった」と評している。ちなみに、彼のセリフを翻訳する際は忠実に訳すことが条件であった(フルメタルジャケットの日本語への翻訳は当初戸田奈津子であったが、翻訳が上品過ぎ、監督の意に沿わず降板させられている)。この映画出演がきっかけになり、キューブリック監督とは友人となった。キューブリック監督は死の直前に彼との会話で自身の遺作『アイズ ワイド シャット』を駄作と告白していたと彼は語っている[7]。フルメタル・ジャケットにおける彼の演技は批評家たちの激賞を受け、ゴールデングローブ賞の最優秀助演男優賞にノミネートされた。

あー、でも引用前の前段を見ると、俳優としての経験はそれなりにはあったし、演劇も勉強はしてたんだね。
あくまでもフルメタルジャケットにはテクニカルアドバイザーだったけど、そこで役としても抜擢された、と。



どちらにしても、あの一役だけで日本人の観客のこころをわしづかみにした。

やすらかなれ。