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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

辞書の記述で「任那」の項目って、たぶん神経を使ってるんだろうな(笑)読み比べてみたい。

小ネタ。
辞書関係で、何を書いても角が立つような論争的記述がないかなー、と考えたところ、「任那」に思いが至った(笑)
ちょっと前の版の広辞苑


「定説がない」・・・・・・・、これは守りの姿勢ですわー。だが、正解でもあろうね。


https://kotobank.jp/word/%E4%BB%BB%E9%82%A3-139438
任那みまな
「にんな」ともいう。4〜6世紀頃,朝鮮半島南部に日本 (倭) が領有していた属領的諸国の総称。日本が楽浪・帯方郡時代 (前 108〜後 313) に朝鮮半島と交渉があったことは文献的に確認されている。4世紀に入ると,半島は高句麗が南下して楽浪郡を陥れ,同じ頃韓・濊 (わい) 諸族によって帯方郡が滅び,同世紀中頃には半島の西部に百済,東部に新羅が建国した。『日本書紀』によれば,このような半島の情勢に対して,日本は半島に有利な立場を築くため,370年前後に大軍を送って半島南部の諸小国群をその支配に繰入れ,いわゆる「任那」を成立させた。なお「任那日本府」という『日本書紀』の表現は後世の総督府的存在と解釈すべきではない。5世紀以後,大和政権の動揺と百済新羅の進出によって任那は分割され,やがて欽明 23 (562) 年に滅亡した。

https://kotobank.jp/word/%E4%BB%BB%E9%82%A3%28%E3%81%BF%E3%81%BE%E3%81%AA%29-1598230
朝鮮古代の国名。「にんな」とも読む。別名は伽耶(かや)、加良(から)、駕洛(からく)など多数あるが、国際的には加羅(から)と書く。任那の国名は日本でしばしば使用されるが、朝鮮ではほとんど使用されない。日本では「みまな」と訓読するが、これは狭義の任那の始祖王后来臨の聖地主浦(しゅほ)(ニムナ)の地名による。広義の任那は時代により変動し、洛東江(らくとうこう)下流域を中心に、ときに中流域にまで及んだ。
 任那地方の基層文化は海洋文化を含む南方系文化が主であり、北方系の騎馬文化などは貴族文化に多い。任那諸国は山地、丘陵、沼沢の多い地形的条件と、大国に隣接していなかった国際環境などから、基本的には小国分立の状態であった。[井上秀雄]

うーむ、この前いろいろとニュースネタになった広辞苑の新版では、どんな記述なんでしょうかね。