話題のtogetterまとめより。
「警察呼びますよ」 生後4ヶ月の子供の夜泣きにマンションの別フロアの住人から苦情ポストが来た… - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1159717
この世界とつながるか、つながらないか・・・・・物語は始まる。
◆ ◆ ◆
人々のほとんどが寝静まった深夜、マンションの一室のドアががちゃりと開いた。
「ただいまー。ふう、たった一階上の室でも、緊張するわね」「メモ入れるとき、だれかに気付かれなかったか?」
「たぶん大丈夫よ。これで、あれだけ何度も聞いた、赤ちゃんの大きな泣き声が減ればいいんだけど…」
「怪しいなら、やっぱりメモでの忠告なんてしないで、直接児童相談所や警察に密告したほうがいいんじゃないか?」
「そのご意見は非常にもっとも、ひとつの手段であることもわかるわ。だけど、公権力や国家権力、しかも強制力をいきなり発動させるのが100%正義だとは思わないの。そこまでいかなくても、周囲、周りが見ていますよ、注目してますよ、ということが伝わって、そこで虐待が収まるかもしれない。決して通報がダメとはいわないけど、私みたいな手もあるんじゃないかしら」
「それに・・・・・・そもそも、単純な、『夜泣き』に過ぎないんじゃないか?その親御さんが、一生懸命育児をしているとしたら、気を悪くするんじゃないか?」
すると、彼女はにっこり微笑んで、そしてきっぱりした声で語った
「その時は、『私が粗忽でおっちょこちょいの悪者だった』ってことでいいじゃない。子どもたちの虐待が一件でも見過ごされるより、虐待でないことを虐待だと疑う悪いやつがひとりいた、ってほうがいいんじゃないかしら」「うーーーーーーーーん……正直、惚れ直したよ、お前に」
「あらやだ」(完)
病気の具合はいかほどであろうか、今は療養しつつ小説を書いているだろう石原慎太郎氏は、かつてこう語った。
石原慎太郎「孤独死の疑いがあれば合鍵で入れ。生きてたら『失礼しました』でいい」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120318/lcl12031800240000-n1.htm2012.3.18 00:22 (1/2ページ)
今年に入って孤立死が相次いだことを受け、東京都は、これまで管理していなかった都営住宅の合鍵を保有することを決めた。異変を感じても、鍵を壊して立ち入ることに慎重にならざるを得なかった面があり、「より円滑な安否確認のため」として、入室の基準の見直しも行う。公営住宅には孤立死に陥る可能性がある高齢者や低所得者が多い実態もあり、各自治体の対策にも影響を与えそうだ。
◆65歳以上世帯43%
「怪しいと思えば合鍵で入ればいい。生きていれば『失礼しました。心配なので入りました』と言って帰ればいい」
もともとのtogetterに、自分がつけたブクマはこうだ。
子供の虐待を見逃さない社会は、誤解による誤爆の通報を恐れない社会でもある。全てのことに言える話だけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/346072024/comment/gryphon
上の小説は、もちろん問題点の描写のために、メモの書き手がとっても善人になっている(敢えてした)。俺ERAIIII小説なんだけど、もちろん、まとめにあった現実は、エゴイスティックな「うるさい!」「静かにしろ!」という「私憤?」を「その泣き声は虐待を疑わせるものです」という”公憤”の建前でコーティングしたものかもしれない。そうでないかもしれない。
ただ、「児童虐待を見過ごさない」社会は、本当は虐待でもなんでもない程度の泣き声、放置放任、叱ったりしつけたり、元気に遊んだ末のけがや服の汚れ・・・・・・・・・などなどすべてに疑いの目が向けられ、尋問質問を受けることの多い社会でもあり、その方向性になっていくんじゃないかと思うのです。
それは神ならぬ人間社会で仕方ない話ではある。
「見逃し三振より、空振り三振」ともいう。
上のまとめ、たとえばその後、子供の泣き声がツイートした方の言う通りで完全に普通の「夜泣き」であり、メモをした、児童虐待を見過ごさないつもりで勇気を奮って行動を起こした方も、ひょんなことで誤解がとけ、「その説は大変失礼しました」「いえいえ、それは勇気ある行動です」と和解、その後は肝胆相照らす仲になった・・・・・・なんて結末ならいいんでしょうけど、まあ、ないでしょうね。おわり。