西嶋定生先生に『古代東アジア世界と日本』(岩波現代文庫)という素晴らしい論文がある。これは唐滅亡とともに中国周辺の諸国が独自の歩みを始めたことを論証したもので、とても素晴らしいものである。大唐帝国が消滅した後、満洲・朝鮮・ベトナムは独自の歩みを始めるのだが(続く
— すんすけ (@tyuusyo) 2017年9月20日
実は満洲の渤海国が滅亡し、遼国が成立したのを平将門公が知っており、新皇を称する時にそれを引き合いに出している(!)ことを西嶋定生先生が論じておられるのは非常に重要で、結局東国が西国の天皇家を尊崇しつつも独自路線を歩む端緒になったのがこの遼国成立の故事、というのが非常に興味深い https://t.co/0O1Phssihv
— すんすけ (@tyuusyo) 2017年9月20日
そして鎌倉幕府の頼朝が立った時、「将門のごとし」と京都のお公家さんは日記に書いている。そう、未完成だった東国国家が高らかに産声を上げた瞬間だった。そして、この東国国家は鎌倉府(室町幕府)を経て徳川将軍家を以て再興される。 https://t.co/WaUYVWZ5Bp
— すんすけ (@tyuusyo) 2017年9月20日
京都朝廷で「新田殿」と言われた徳川家康は、まさに東国国家の後継を称したことになる。ただ、この新田義貞という人、実は西国に伝わった太平記では評判が良くない。『太平記評判秘伝理尽鈔』では「新田義貞は忠臣ではない」「足利尊氏を潰しても新田が復活すれば同じこと」と。
— すんすけ (@tyuusyo) 2017年9月20日
『太平記評判秘伝理尽鈔』は京都の坊さんが書いた本で、加賀藩・岡山藩・唐津藩などの西国諸藩で用いられたが、水戸藩では「論じるに足りない」と全否定している。東国で新田と言えば大英雄ですから。平賀源内作の歌舞伎「神霊矢口渡」は、「新田大明神」を賛美するものだしね。
— すんすけ (@tyuusyo) 2017年9月20日
自分がしたツイートの中で、一番リツイートされたのが将門公の逸話というのはすごい。神田明神にお礼参りに行かねば
— すんすけ (@tyuusyo) 2017年9月21日
ツイート数がコンパクトに収まっているのでtogetterまとめではなく、こうやってブログに借用したが、
昔の日本の古典でも、とつぜん前提条件なしに「いにしえの・・・でも」と、中国の歴史の事例が出てくること多い。 将門が自分の勢力圏を半ば独立した状態にしようというときに、中国辺境での渤海―遼の王朝交代が影響を与え、頼朝や家康がその後も将門のイメージから「関東割拠」になにがしかの重みが生まれたのなら、その歴史の系譜に、何ともロマンチックな思いを抱かせるものがある。