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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

バブル期、全盛期のフジテレビ、若手社員には全盛期ゆえの「闇」「苦い思い出」がある…『コンプライアンスって言葉がなかった』

バブルといえばフジテレビ。フジテレビといえばバブル…って、けっこう厳密に時期を区分すると違うのかも(テレビ全盛期、フジ全盛期は少しずれたというか、もう少し長く続いた)と思うけど、イメージキャラクターとしてね。

少し前に発表された、てれびのスキマさんのインタビュールポ。

八木亜希子が語る「壊れた大人がいっぱいいた」バブルとフジテレビ http://bunshun.jp/articles/-/2694 #八木亜希子 #フジテレビ #アナウンサー @bunshun_onlineさんから

まあ、いただろうねい(笑)

http://bunshun.jp/articles/-/2694?page=3


―― 実際入られたフジテレビというのはどんな雰囲気でした?

八木 賑やかでしたね。当時、『ひょうきん族』の収録が確か水曜の夜だったんですよ。で、生放送の『夜のヒットスタジオ』もその日にあって、メイク室がすごい賑やかになるんです。その時にうっかりメイク室に行くと大変なことになって。当時、同期の(有賀)さつきが「『ここには壊れた大人がいっぱいいるんだよ』って上の人が言ってた」って話してくれたのを覚えてますね。「ホントだね」「常識が崩壊しそうだよね」って2人で盛り上がって。私、意外と普通の環境で育ってたんで「ここにいられるんだろうか……」って。



―― フジテレビという環境に不安みたいなものを持ってたんですか?

八木 常に不安を感じてましたね。「私、大丈夫かな?」って。当時って、コンプライアンスっていう言葉がなかったですから。今思うといろんな衝撃的なことがありました。フジテレビの勢いが一番すごい時に入社してるから、たぶん上の人も調子に乗ってるんですよね(笑)。だから、下の人間からすると無謀なことをいっぱい要求されることが多くて。

――ちょうどバブルの時代ですよね、その頃は。

八木 そうなんです。だから、私含めて当時ぺーぺーだった同世代の人たちって、バブルにいい思い出ないんですよ(笑)。下働きでひどいことをいっぱいさせられたし、特にADさんとか本当に大変だったと思う。私たちも無謀な要求とかに葛藤してましたね。

―― 最初の仕事からヒドかったって聞きましたけど。

八木 4月に入社して、5月30日まで研修やって、5月31日にフジサンケイグループのゴルフ大会のプレゼンターをやるっていうのが最初の仕事だったんですよ。その時に「バニーガールの格好でやってくれ」って言われたんです。アナウンス部長もその場で自分で断ってくれればいいのに「どうする?」って。「『どうする?』じゃなくて!」って思いましたけど(笑)。それで同期の3人で相談したんですけど、新入社員だから断っていいのかも分からなくて…(後略)

その結果の「妥協案」もたいがいヒドイが・・・・・・・・・・。




だからフジテレビの体質は……というも易いが、30年前はすでに「歴史」となり、今の価値観とはまるで違ってたんだなあ、という感慨を持つこともできる。
と同時に、もっとさかのぼった昭和芸人がさらに破天荒でコンプライアンスなにそれで、それゆえに今では「伝説」の魅力を持つように、バブルでむちゃくちゃに「調子に乗ってた」ころのフジテレビが、文化的にそれゆえの成果を生み出したこともまた認めざるを得ない。


なんか、ネットフリックスのさんまインタビューに寂寥感があるのは、「テレビ時代の終わり」的なことを語る部分を選んでCMにしているからだろうけど、全体としてやはりこの時代、そして「全盛期を迎えて調子に乗りまくったフジテレビ」とぴったり伴走し続けていた明石家さんまだからこそ、「大戦争に敗戦し、廃墟の中でたたずむ老元帥(戦犯訴追は免れた)」的なイメージがあるからだろう。