INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

ついに「あの本」が書籍化か…驚異のエムカク「明石家さんまヒストリー」

少年時代から落語界入門、大阪での活躍、「ひょうきん族」スタートまで、若き日の明石家さんまの“歴史”を、本人の発言や膨大な資料をもとに克明に記録。師匠のもとで芸を磨き、芸人仲間と切磋琢磨しながら順調にスターの階段をのぼる一方で、芸を捨てる覚悟をした大恋愛、ブレイク前夜の挫折など、苦くも充実した“青春時代”の姿を浮かび上がらせる。人生を「明石家さんま研究」に捧げた男による、渾身のデビュー作!



ついにか……


水道橋博士の「メルマ旬報」掲載時から異彩を放ちまくりの怪物。
というか、載っている時から書籍化のオファーが多数あったと聞いているが、「いやー、ちょっと難しくないか」と思ってましたよ。
それはそもそも、内容の、文章の、熱量が違う。

たとえばすっごくランダムに、任意の回を選んでみようか?

1995年(40歳)、『笑っていいとも!』降板

1995年9月29日、さんまが11年半もの間、レギュラー出演を続けてきた『笑っていいとも!』を降板することになった。
その大きなきっかけとなったのは、『笑っていいとも!』の名物企画「爆笑!オールスター・タモリンピック」だった。
「~タモリンピック」は、月曜日から金曜日まで、各曜日のレギュラー出演者が様々なゲームに挑戦し、曜日対抗でタイムや回数を競い合うミニコーナー。
皆、真剣にゲームに参加する中、さんまだけは常に笑いを求め、氷水を入れた水槽に腕を入れてタイムを競うゲームでは、水槽には手を入れず、水槽の外に手を入れる仕草をして苦しみの表情を浮かべるなど、毎回、ふざけながら参加していた。
事件が起きたのは1993年。さんまは、「~タモリンピック」のコーナーで行われたミニ障害物レースで、床に敷かれた障害物の網をくぐる際、「さんまが捕れた!」と、わざと網に引っ掛かり、笑いをとった。この行動により、金曜日チームは他の曜日に負けてしまう。すると、それを見ていた視聴者から「マジメにやれ!」と苦情が殺到。
笑いで番組を盛り上げるのが自分の仕事だと思いながらも、さんまは視聴者からの意見を……

地の文章もすごいが、その文章を裏付ける、「番組の会話の文字起こし」がすごい

1995年9月29日、さんまがレギュラー出演する最後の『笑っていいとも!』が放送された。
オープニングではさんまの卒業には触れず、「テレフォンショッキングのコーナー」、「なんでも日本語講座のコーナー」を挟み、約11年間続いた雑談コーナー「タモリ・さんまの日本一の最低男」(当時のタイトルは「タモリ・さんまのもっともっとしゃべらせてよ!」)が始まった。

タモリ「えぇ~、長い間一緒にやってきました、さんちゃんも、今日で最後」
さんま「どうも、長い間」
タモリ「残念なんですけども、この2年半、ほんとに……」
さんま「12年や!! 2年かい! こんだけ頑張って。しゃべり続けて12年。このトークのコーナーは初めの頃はなかったんですよ」
タモリ「初めの頃はなかったんですよ、これ」
さんま「最初は、珍発明とか、そういうコーナーをやってて。あまりにも応募者がなくって、しゃべって繋がなしゃあなかったんですよ」
タモリ「しょうがなかったんです。それでずーっとしゃべってたら、“ずっとしゃべらしゃあいい”っていうことで」
さんま「そうそう。元々、テレビでツーショットで雑談をするなんて、テレビの歴史でなかったんですよ。今でこそ当たり前ですけども」
タモリ「ただ出てきて、何の準備もネタもなく、世間話をするという、いわゆる雑談ということがなかったからね」
さんま「なかった。そんなものをテレビでお送りするなんて」
タモリ「失礼だと」
さんま「失礼だということを、繰り広げてやってると評判が良かったんですよ」
タモリ「“これはおもしろいじゃないか”ということで。いろんなコーナーやって、すべて変わったけど、このコーナーだけは変わってない」
さんま「ちょっと老けたり、声が低くなったり、ヘアスタイルは変わりましたけども、あとは変わりなし。そら、人生は変わりましたよ」
タモリ「いろいろあったねー。激動の12年ですからね。登りつめ、女優と結婚し、離婚し、転落と」
さんま「誰が転落やねん! 這い上がってるやないかい、今。ものすご頑張ってるで。なに言うてんねんな、ほんまに」

さんま「どうも、ほんとに色々とお世話になりまして」
タモリ「いえいえ、とんでもない」
さんま「来週から、(裏番組の)『山田邦子のしあわせにしてよ』に、レギュラーで出していただきますので。あそこに出たらビックリするでしょ?」
タモリ「(笑)」

これ、字に起こす手間暇もそうだけど、そもそも、その映像資料、音声資料を「保存して、整理して、確認引用できる」ようにするために費やすリソースはどれぐらいなんだ……しかも相手が「明石家さんま」ということは、最盛期にはふつうに週10時間ぐらいは映像記録が増えていく…それじゃおさまらないぐらいだ。

明石家さんまの伝記や研究書を作る、それはいいだろう。
今後も、そういう試みはたくさんの人がやるだろう。

しかし、どんな職業意識やプロ意識をもってしても、エムカク氏以上のことは、もはやできない、できるわけがない。ともかく、費やすリソースが違うのである。
もはや追いつけないのだ、誰もが。

ただ、一番の懸念が、それをどう本の形に収録するか、である。今回は「ヒストリー1」で、なんとか「明石家さんまの誕生」まで収録したそうだが、本来的には「誕生までかよ!!」とツッコむところである。
これが売れて、続刊にこぎつけることを願わずにはいられない。