もう一か月半ぐらい前の話だけれども。
http://www.afpbb.com/articles/-/3133329
タンクローリー炎上事故、死者190人に パキスタン 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News https://t.co/1mCT9inOu8
— mentos (@tati9koma) 2017年7月4日【6月25日 AFP】(更新、写真追加)パキスタン中部で25日、石油を運搬するタンクローリーが横転して炎上し、少なくとも139人が死亡した。負傷者も100人以上に上っている。
(略)
…犠牲者は漏れ出した燃料目当てでタンクローリーに駆け寄った人々だと語っている。
(略)
リファット氏がAFPの取材に語ったところによると、タンクローリーが横転するとバケツなどの容器を手にした近隣住民やオートバイに乗った人々が多数、現場に駆け寄ってきて漏れ出した石油をすくい始めた。しかし10分ほど経ったころで、タンクローリーが爆発し炎上。石油をすくっていた人々は炎にのみこまれた。爆発の原因は不明だという。……犠牲になった人々が石油を持ち帰るために手にしていた台所用品や鍋、灯油タンク、バケツなどが散乱していた。
以前、読んだ話を思い出した。
呉智英氏が、20年ほど前だったろうか、アフリカのどの国だったか、そこ出身のインテリと意気投合し、その国に招かれて見分を広げたことがあった。
その思い出話として、・・・・彼らがバスに乗った時、かなり細い崖上の道をバスが通った。思わず呉智英が
「こわいなあ」
と感想を漏らすと、そのアフリカ某国の知識人は
「こわいね、略奪があるからね」と。
何でも、やはりこういうバスの転落事故があると、救出だ消火だレスキューだ、とかそういう話の前に、まっさきに地元住民が群がってきて、人命を救助するかしないかはともかく、金目のものをごっそり持ち去ろうとするのだ、という…
それを聞いた呉智英氏は、ふいに「恐怖とともに感動を覚えた」のだという。
ここには、かつての日本にもあった「残酷という文化」がまだ息づいている――――――と。
もちろん「火事場泥棒」という言葉は今も生きているし(ただ、実際にはほぼ無くなったかも)ヨーロッパでも「レ・ミゼラブル」の一挿話として、火事場泥棒から始まる悪党と名士の縁があり、「ジョジョ」第一部にもそのまま適用されましたねえ。

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話を戻して、上の呉智英の話はダ・ヴィンチで連載していた、マンガと古典名著をあわせて紹介するエッセイで彼が「日本残酷物語」を紹介したときに紹介してたんだと記憶している。

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そこで紹介してた古典が「日本残酷物語」だった。

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彼は何度もこの本については語っていて、東京新聞で連載していた「名著の衝撃」でも
http://ameblo.jp/nyudow/entry-11781548336.html
かなり初期の本でもある「読書家の新技術」ときも紹介してた。
http://blog.livedoor.jp/bananahiroshi/archives/2014-07-28.html
「日本残酷物語」シリーズをすすめる呉智英の紹介分をここに書きとめておこう。
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くりかえしいうが「読書家の新技術」は80年代の著者の仕事である。「・・・・・・このシリーズは、20年以上前にで出版され現在も軽装版になっているものだが、当時より、むしろ現在読まれるべきシリーズである。なぜならば、現在のほうが20年以上前よりも、生きるということの残酷さが見えにくくなっているからだ。60年代以後、社会が急速に近代化するにつれて、個々の人が実際に残酷に生きるということは少なくなってきた。しかし、残酷に生きるということへの無知が、無知ゆえのもっと冷たい残酷を生んだり、残酷も選択する人間の可能性を狭めたりするからである。いま、あえて推薦しておく。」
この「日本残酷物語」にも、「略奪という文化」が詳しく紹介されている。難破船が地形、海流的によく流れつく先もあるわけだけど、その土地には土も窯も職人もないのに、なぜか「〇〇焼」という陶芸品が名物だったりしてね(笑)
一度、ここで紹介したこともあったのだけど、それを再収録しよう。もとはhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140111/p6
流されてきた漂流民の遺体や漂流物が豊穣の神として祭られるって結構普遍的なお話でしょ。難破船の積荷を略奪できれば、実際に豊穣になるから(笑)
「日本残酷物語」だっけ?
そうだった。http://hino.anime.coocan.jp/mienakirisoudou/nakirimuranannpasennimotuosiryou-3.htm
「日本残酷物語第1部 貧しき人々のむれ」(平凡社)より
海の略奪者
波切沖の怪事
伊良湖から伊勢湾口を横切って西へわたると志摩半島がある。半島の南東角の大王崎も古くから船人におそれられた難所であった。そしてここにも又漂到物を拾う習慣が古くから見られていたが、天保元年(1830)大きな問題を起こしたことがあった。その年の10月、中国の御城米300石を1300石積の船に積み込み江戸へ下る途中、波切の村人達が、その米を奪い取り、船には石を積んで沈め、難破船の如く見せかけたのである。この島は公領で、近江信楽の多羅尾氏が代官として支配していたが、その居所と支配地の間が遠く隔たっていたので、鳥羽の預かりということになっていたが、事件が起こると鳥羽から信楽へ使者が立った。そこで多羅尾氏は手代の村上という者を検分に差し向けた。
村上は事情を聞いてただの難船と思い、鳥羽の郡奉行も印形をおして書類を大阪の奉行へ回し、船頭はさらに大阪で取調べをうけたのだが、はしなくも船頭の口から偽装難船であることが暴露された。それまで波切では毎年5、60艘の難破船があるのだが、本当の難破船というのはほんの5、6艘に過ぎず、後は船頭と馴れ合いの上の擬装難船であった。もしこれを船頭が承知しないときは残らず殺してしまったということである。
(略)…村の中がよく結束していてこそ悪事も外へもれないが、村が二つに割れては、秘蜜がいつまで秘密のままでおれるはずは無い。伊勢の悪党どもがこれを聞いて10人ほどで党を作り、武士に化けて波切へ乗り込み吟味を始めた。島中の者はいろいろ陳弁したが許さず、江戸表へ召し捕ってゆこうとおどした。それをやっと100両ほど出して内密に許してもらったが、この役人は偽役人であり、事件は納まったわけではない。悪党どもはこれに味を占めて、今度は顔ぶれを変えて乗り込み…(略)さすがに村中も困り、骨折りも空しくなって何の益も無い事になるから、この後はたとえ公儀の役人でも、ことごとく打ち殺して海へ投げ込もうではないか、と申し合わせた。
あっ、自分は「通り一遍の難破船の積荷で村が潤う」というイメージしかなかったけど、もっとすげえはなしだ。
・難破船の9割が偽装難破で、その積荷を奪ってしまう。
・船頭は了承すれば分け前、不承知なら殺す。
・しまいには幕府御用の船まで狙おうとする。
・その情報を知った詐欺集団が武士の吟味役に化けて乗り込み、口止め料として何度も大金を騙し取る。
・それに困った村人が「今度来たら、役人であろうとも、かまわず殺すか」と決意・・・映画化しろ。
北野武監督当たりにやって欲しいな。
一方で世界をまたにかける「死の商人」を描いた映画「ロード・オブ・ウォー」では、禁制の密輸品を運んでいた飛行機が不時着し、ここに官憲が踏み込んだらその商売人がタイーホ必至…という時、機転のきくその商売人は近くの住民に「なんでもここから盗っていっていいぞ!」と呼びかけ、もーあっというまに禁制品も含めて煙のごとく消えてしまい、見事証拠隠滅に成功した、という挿話が描かれました(笑)
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パキスタンの事故はなにしろ100人以上が亡くなり、怪我をした人も多数の事故なのだから、何ともいたましい話だし、一方でそもそも「やはり事故車両からものを盗んでいく、という行為が道徳的にいけないのではないですか」と言われるとそれはそれで全くのご正論で、そんな習慣などが無くなるのが一番いいことなのだとは思うのだけれども、
ただパキスタンのこの事故と、その民衆が、たとえば途上国ゆえに、民度が低いということではなく、人間の営みの中での普遍的な慣習や伝統だった何か、と繋がっているのではないかなあ…と過去のこんな事例を知ることで感じるのも重要なことではないか、と思うのです。
(了)