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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

男性保育士を巡る議論で…そも「異性の性的視線を避けるため、この仕事は同性が担当」が”感覚と論理(PC)”の合間で微妙な問題なのでは…

熊谷千葉市長による男性保育士に関する議論。保護者の男性保育士を自分の娘に担当させるなと言う要求は正当なのか? - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1073168


すごくブクマとか多い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1073168
そしてなんといっても、法哲学的におもしろい。
以前、これは当方がまとめさせてもらったが

千葉市長・熊谷俊人氏「そもそも夫婦に『特権』のある制度とは何か」「パートナーを造らぬ選択への配慮も必要では」 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1048695

も、実に法哲学的に議論できるテーマだと思うが、それに劣らぬ議題だ。
熊谷氏は、法哲学的なテーマを日々の行政から抽出する感覚にすぐれているのだろう。


さて…だもんだから、上のまとめはコメント欄やブクマなどにもお邪魔させてもらったが、そこでは自分の過去にかいた拙なき記事を紹介させてもらった。

LGBTの人には、更衣室や銭湯でどう配慮すればいいのか(「弟の夫」より) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160327/p2

そこから多少、編集抜粋。

……「同性愛の性的対象といっても特定のパートナーのことであり、他の人が全て対象なわけではないから、たとえば銭湯やロッカールームでの区分は全く不要。普通と同じでいい」という話はそれまでも聞いたことがあるし、それが正解なのだろうと思ってきた…のだが、実は逆の意見も耳にした。

それは「見られる」という意識の話で、「同性愛者にとっては、同性が性的な対象なのだから、男同士/女同士 だからという前提で決め付けられて、裸体を相互に見られたり接触する環境に置かれる(見られる)のが嫌だ。そこに配慮してほしい」と…(たとえば銭湯や着替え室以外にも身体検査など)
この場合、実際に周囲がやるべき措置は正反対になってしまう。(略)
<仮説>「貴方は同性が性的な対象だということを尊重し、男女を分けるように旅館では別室のほうがいいですよね/入浴も別々の方がいいですよね」
というような配慮の方向もあるのだろうか?

たとえば空港や警察の身体検査は今、当たり前のように
「女性の体に接触したり、服を脱いだ状態での検査を行うのは女性」というふうに決められているよね。
これは
http://www.dentsu.co.jp/news/release/2015/0423-004032.html
の調査(LGBT層に該当する人は7.6%)を信じるなら、93.4%の確率で正しい措置なのだろう。しかし7.6%の確率でただしくない。
「身体検査は、基本的に同性によって行っていますが、それでは性自認的に困るということはありますか?」と当局はやらねばならないだろうし、もうやっているのかもしれないな。空港の身体検査は世界的に行われているが、これも国ごとに差があるのだろうか。


まとめます。

1・世の中には、誰かの裸体、脱衣状態を見たり、肌に触れたりする業務を行う各種の仕事がある
2・そういう業務を「受ける側」には、仕事をしている人から性的な視線を向けられている、性的行為をされているように感じ、嫌がる人がいる
3・そういう仕事は一部は「仕事でやっていることに性的なも何もないですよ」「そんなふうにみられるのは心外だ」といって、「そういう問題はないものと扱う」業務も多い(産婦人科医師など)
4・その一方で、そういう声に配慮しているものもある(警察の身体検査や「助産師は男性は成れない」など)
5・ただ、そういう「配慮」は、要は個々人の評価でなく集団の属性として「男性(という集団)は、女性(という集団)の裸体や肉体への接触に、性的興味を覚えるものだ」という”一般化”が前提となっている。
6・また、逆に、今まで保育園などで放置されていた理由の一つが「幼児、子どもには誰も性的関心は抱かないはずで、そういう幼児の裸体や接触は異性だろうと問題ない」という、”古い感覚での一般化”もあったであろう。
7・さらにいうと「『男性が男性に、女性が女性に』なら、同性への裸体や接触に際し、性的興味はまったく発生しないだろう」という前提と置くのは。LGBTの存在と権利を認めた社会とは不整合になる。


たぶん、こういう問題が根本をたどればあるのではないかと思うのです。
そしてこれは「理屈を突き詰めたときの結論」と「実感、経験則」にまったく大きな、かい離がある。それは統計的に、LGBT層は5−7%しかいないし、小児を対象とすれば統計的にはもっと小さくなるだろうから統計的な議論では実感のほうが正しい。



今回の問題を抽象化して考えると、そういうことになるんじゃないかなあ・・・と考える次第です
(了)

追記 こりゃひどい(ほめ言葉)