きのうのテレビのメモ。
2016年 12/15のTBS「ひるおび!」にて、
発言されたのは、立川志らく師匠だ。
http://p.jcc.jp/
テレビプレス
テレビ放送全番組をリアルタイムで抄録
というサイトがあるのだけど、そこから。(こんご活用しよう)
↓
2/15 11:26 TBSテレビ 【ひるおび!】
餅つきも除夜の鐘も…ピンチに?
日本農業新聞は「年末年始恒例なのに…餅つき禁止“食中毒懸念”ד行き過ぎ”」との見出し。
埼玉県川口市の芝富士公民館では餅つき大会を来年中止。
東京都町田市小川自治会では今月の餅つき大会で内容を変更。
小川自治会・長谷川会長によると、今年は保健所の指導に従い、再加熱するなどして振る舞った。
餅つきの出張サービスを手がけるイベント会社「サキガケサービス」では、臼と杵でついた餅は食べず、食べるのは車内で調理した餅にしている。
浅草寺・塩入住職によると、除夜の鐘は嫌なことを忘れ切り替えるための行事。
静岡県牧之原市・大澤寺では2003年ごろに除夜の鐘を中止。
サキガケサービス・浅野成人社長のコメント文。
立川志らく、元アナウンサー・精神保健福祉士・小松美智子、三雲孝江のスタジオコメント。
東京都内の映像。
この、「立川志らくのスタジオコメント」が、表題に引用したのと…さらに詳しくいうと(※と言いつつ、記憶による大意です)
除夜の鐘がうるさい、
なんて人は日本から出てけばいいんだよ
耳が、さかさについてんだね
この番組後も含めた、志らくのツイート集
https://twitter.com/shiraku666
ひるおび。除夜の鐘がうるさいと苦情が入り除夜の鐘を中止にした寺も情けないなあ。除夜の鐘の大切さをそのクレーマーに教えてあげるのが仕事のひとつではないのか。そんな事で中止にする寺ではもう鐘をつかなくてもいいともいえる。クレーマーに対し耳が逆さまと言ったが鼓膜があべこべの方が良かった
— 志らく (@shiraku666) 2016年12月15日
志らくは感情論でしかコメントをしないと言うが当たり前だ。庶民は感情で生きている。私は学者じゃない。世情の粗て飯を食っている。除夜の鐘へのクレーマーと同じレベルのいちゃもん^_^
— 志らく (@shiraku666) 2016年12月15日
さあ、ひるおび!志らくのコメントに腹をたてる人がいるが、余程の聖人クラスの常識人だと思う。あまりに言っていることがズレている?そう、よくわかったね。ズレているからレギュラーに起用された。世間と同じだったら面白くないもの。こういう馬鹿もいるんだと退屈しのぎになるでしよ。感謝したまえ
— 志らく (@shiraku666) 2016年12月15日
私はカジノ法案反対派だが、出来たら遊びに行きます。人間なんてそんなもんだよ。
— 志らく (@shiraku666) 2016年12月15日
世俗と宗教、一般的慣習と少数の批判派、「音」による相互回避の不可能性・・・・・・・・・
まず、これって
世俗的価値と宗教的価値(除夜の鐘を108回衝くと、煩悩を浄化できるという教義)が対立している、とみなすこともできる。現在仏教信者は少数派なのかどうか。
あるいはその価値感は、一般的慣習としての定着を見ており、その価値を認めないほうがごく「少数派」なのかもしれない。
ふつうだったら教義を信じる側と信じない側、慣習としての価値を認める側と認めない側は相互にその意見をたもちつつ「相互不干渉」とすればいいし、それが正義なのだが、あいにく「音」はその性質上、区切ることができずに入ってくる。
だからどちらかが我慢するしかないのだが…宗教の場合、普遍的な基準より「既得権」を基にしたほうがいいのではないか。
刑務所や学校でも認められる食物規定、おそらくはイスラムがその歴史性や絶対数によって認められるが、新興宗教では多分認められないように。
【参考】 年号、食物禁忌…宗教と世俗国家の関わりについて - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140922/p2
そういう点では、「除夜の鐘」の既得権は十分にあって、有利に裁定は進むだろう。おそらく司法判断でもそうなるんじゃないかな?
ちなみに宗教に基づく、一般にまで拡大された音、ということなら、こののちイスラムコミュニティができた時「アザーン」が問題になるかもしれない。
2)アザーン禁止法案で大騒ぎ
http://mtolive.blog.fc2.com/blog-entry-1497.html
アザーンとは、イスラム教モスクから放送される祈りへの呼びかけである。ムアジーンと呼ばれる担当者が、1日5回、独特のしらべに乗せて、ろうろうと歌い上げ、それがモスクのミナレット(塔)の先に備えられた複数の拡声器から、一斉放送される。日本でも、地方に行くと、葬式案内が、地域で一斉放送されたりするが、その感じである。そのため、アラブ人地区の付近に住んでいると、イスラム教徒でなくても、アザーンは聞こえてしまう。問題はこれが1日5回で、早朝は4時ごろが第一回目であるということ。
11月、エルサレム北部でアラブ人地区に隣接するピスガット・ゼエブ住民が、最近、アザーンの音量が耐え難いレベルにまであがっているとして、バルカット・エルサレム市長の住むベイト・ハケレム地区に向かって早朝6時、大音響でアザーンを再現するというデモを行った。
イスラエルには、騒音に関する法律があるが、ここから端を発して、拡声器で無差別に一斉放送するアザーンを禁止する法案が出された。
http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4877762,00.html
これを受けて、イスラエル国内のアラブ統一政党はもちろん、パレスチナ自治政府のアッバス議長、アラブ諸国やトルコのエルドアン大統領までが、「イスラエルが、イスラムの祈りを禁止しようとしている。」と大騒ぎに…(後略)
「日本から出ていけばいい」
対象は「除夜の鐘をうるさいという人」ということは生来のものでなく「思想」に属する。これに対しての「出ていけ」だからいいのか、といえば…そうとはいえまい。
少なくとも、聞いていて、自然に違和感を感じた言葉であった。
そして、その場合、対象が何かを考えなくてもいいとは思う
「ヘイトスピーチ法規制」が仮に必要なら…【死ね/殺せ的表現は、対象を問わず規制】がまだ明確では?「少数派か、生来の属性か」的【「対象」の限定】の議論よりは。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140914/p3
これに似た論法だ。対象は問わずにだ。
もちろん政策の範疇に入るものはあるだろうし、またこれを法的な意味での規制をするべきとはまったく思わない。
緩やかな倫理というか、美学としてである。
そんな感じ。