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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

ラマダン、女性の髪、スポーツ参加、同性婚…宗教間、或いは同一宗教間の違いについて

http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120806/jdo12080614230002-n1.htm

■サウジ初の女性五輪選手を中傷 ツイッターで「イスラム教徒の女性らしくない」2012.8.6 14:21
 
 イスラム教の戒律を厳格に守るサウジアラビアから女性として初めて五輪に参加した柔道のウォジダン・シャハルハニ選手(16)について、短文投稿サイト「ツイッター」で、イスラム教徒の女性らしくないなどと中傷する声が・・・(略)…インターネット上には、シャハルハニ選手の勇気をたたえる書き込みが多い一方、「貞淑イスラム教徒女性のお手本とはいえない」といったコメントもあった。

 シャハルハニ選手は、女性が髪をスカーフなどで隠すイスラム教の慣習に従い、黒っぽい水泳帽のようなものをかぶり女子78キロ超級に出場。初戦でプエルトリコの選手に1分22秒で敗れた。(共同)

サウジアラビアが公式に、世界が注目する場に五輪選手を送り込んだ以上、「アラブのえらいお坊さん」(「コーヒールンバ」調)の宗教的なお墨付きはそれなりにもらっているとは思われる。。あの髪を隠す帽子も、本来、国際柔道連盟(IJF)は認めなかったものを強引に認めさせたそうだし。

しかしそれでも「貞淑イスラム教徒女性のお手本とはいえない」という見方が、なおも出てくるのです。
厄介なのは上の記事では単に「中傷」としているが、「貞淑イスラム教徒女性はあんなスポーツには出場しない」というのが、ひとつの宗教的信念に基づく世界観からの評価でもあるかもしれない、ということなのだ。(むしろ中傷かどうかは、表現自体が荒く乱暴なものかにもよる。共同通信の訳で登場している批判は、原文はどんな表現なのだろう?)
 
つまり例の
「宗教における『見なしの自由』」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120726/p5
はここにも適用される。むしろここで適用されてこそ意味がある。

今回の五輪はすべての競技に女子選手が参加した画期的大会で、サウジもそういうことで女子選手を送り込んだわけだが、同時にラマダン中のオリンピックでもある。
CNNは報じる。

イスラム教指導者の中には、たとえ成績に影響が出ようとも、イスラム教徒の選手は断食を守らなければならないと説く見解もある。
 
一方でエジプトのように、大会に出場する選手は断食を免除されるとの宗教見解を出した国もあるという。
 
ロンドン五輪組織委員会は、今年の大会とラマダンが重なったのは自分たちのせいではなく、日程を決めたのは国際オリンピック委員会(IOC)だと強調する。IOCでは「(大会には)あらゆる宗教や信条を持つ選手が集まる。宗教行事にどう対応するかは個々の選手次第だ」と説明している。

ほかにも

【7月24日 AFP】マレーシア五輪委員会(Olympic Council of Malaysia、OCM)と同国のイスラム教団体関係者は、ロンドン五輪に参加するイスラム教徒の選手の大会期間中の「ラマダン(Ramadan)」を免除すると発表した。
(略)
・・・同国のイスラム最高機関、全国ファトワ評議会(National Fatwa Council)の高位聖職者はAFPの取材に対し、「選手は国に栄誉をもたらすため五輪に向かう。彼らはマレーシアに戻れば断食できる。コーランは、遂行すべき目的があれば断食を延期できるとしている。しかしながら、断食しなかった日数を振り替えなければならない」と応えた。

 Q:ロンドン五輪出場(しゅつじょう)のイスラム教徒の選手はどうするの?
 A イスラム教では旅行者や健康に問題がある人などは断食しなくてよいとされていて、五輪選手も「旅行者として、日中飲食できる」とイスラム教の高い立場にある人が表明している。でも最終的には、選手自身が判断(はんだん)するようだね

ラマダンに対する対応ですら、さまざまな学者が見解をだし、最終的にはそれぞれの判断によって委ねられ、その結論が千差万別であった、という部分がおもしろいのである。
さっき流行歌の文句から「アラブのえらいお坊さん」と書いたが、そもそも坊さんはいない、すべてが在家の宗教ですからね。
宮崎市定氏はひとつの可能性として「イスラム教が、浄土真宗など(戒律を重んじない)鎌倉新仏教に影響しているのでは、とまで言っている。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090806/p4

「回教の在家宗教は新教僧侶の妻帯を理由付ける根拠ではなかったか。」

「鎌倉期新仏教の一特色は浄土教の発展である。浄土思想の本地はペルシャと考えられ、その雰囲気の中に発生したイスラム教は最も強烈なる浄土欣求の教であった。」

「東洋の浄土教が、順縁にもあれ逆縁にもあれ、それがイスラム教によって鼓舞せられたものでないと誰が断言しえようか。浄土真宗の肉食妻帯公認は偶然としても、あまりにイスラム教の主張と一致しすぎているのである。」

中国文明論集 (岩波文庫)

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しかし、というか、だから、というべきか。
「聖なる二都メッカ・メディナの守護者」たるサウジ王家のしろしめす、サウジアラビアの公式政府が検討を経て送り出した女性選手ですら、上のような批判を浴びるのだ。
それは宗教の是非・真偽が本質的に「証明不可能」である以上、そうなるというね。


以前、「神社とイスラーム」で、ウイグル人の反体制活動家ラビア・カーディル女史などが、日本に招かれたとき神社を参拝したことに端を発した「一神教ムスリムの神社参拝」についての議論について書きました。調べていくうちにモロッコの駐日大使がかつて「神社参拝に抵抗は無い」といって自分もお参りしていたことなんかもわかって面白かったのですが、その時「そもそも厳格なイスラム解釈者から見れば、カーディルさんは、神社に行く行かない以前に、あんな小さい帽子で後ろ髪を露出して、公の場で活動しているだけで批判の対象だよね」といったことを書きました。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120517/p4

ムスリムの女性は、髪を露出させてはならない」という立場に立つ人たちが、これは確実に一定数存在しています。
あらためてラビア・カーディルさんの写真を見ると、公の場で帽子は被っているものの、後ろの長い髪は露出しているようです。
「カーディルさん、ヘジャブでもチャドルでもなんでもいいですから着用してください。『地雷原を踏まない』ために。」「えっ?」・・・・こうですか。

今回のサウジの柔道選手は、変わった帽子で髪を隠して・・・それでもなお、スポーツ選手として出場したことなど自体を「貞淑イスラム女性のお手本ではない」と批判する人もいた。地雷原に進んじゃったんだな。
ただ、それはある意味、宗教的見解・価値観というものが、巨大宗教が強大な力で統合を希求する一方で、長い年月や地理を隔てるとそれぞれいかにバラバラになっていくか、ということの裏返しでもあります。世界の祭典・オリンピックとそれへの反応が、それを証明したという。

しばしばのパラドックス

http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2012/07/post_1428.html

■明らかな言論弾圧、反同性婚の意見を持つ社長のレストラン系列を閉め出したボストン市長
 
ボストン市長のトーマス・メニノ氏は今月中旬、同性結婚に反対する意見を述べたChick-fil-A (チックフィルエー)というファーストフードチェーン店の社長の言葉に激怒し、ボストン市内において反同性愛者を社長に持つ同チェーン店の開店は禁止すると発表した。
これに便乗して、オバマ王の元側近で現シカゴ市長のラマー・エマニュエルもシカゴ市にチックフィルエーを開店させないと発表・・・(略)これに関してハーバード大学のアラン・ドーシュイッツ法学教授は、ボストン・シカゴ両市長のやり方は明らかな言論弾圧であり憲法違反であると語っている。

ドーシュイッツ教授はかなり左翼なリベラルなのだが、リベラルには珍しく信念があり、常にまっとうなことを言う人である。

教授は個人的にお客さんが社長の考え方が気に入らないとしてチックフィルエーに行かないというのは個人の自由で全く問題はないが、市のような政府が社長の思想に同意できないからといって営業許可を出さないというのは憲法違反だと主張する

http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2012/08/chick_fil_a_appreciation_day.html

言論の自由を守ろう!全国チックフィルエーに集まった市民
 
水曜日は「チックフィルエーに感謝する日」ということで、全国各地のチックフィルエー店において普段の三倍以上のお客さんが集まった。

チックフィルエーの社長の一夫一婦制結婚制度に関する発言が元で、シカゴ市やボストン市の市長らが政治権力を使って、同市においてチィックフィルエー店の開店を許可しないとした発言は、これらの市長や同性結婚支持の過激派同性愛グループが意図したのとは全く違う方向へと進んで・・・

新聞記事
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120806/amr12080609450003-n1.htm


これは
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110304/p2
で紹介した記事のほうがわかりやすいかもしれない。

アメリカで「神は同性愛者の戦死を喜ぶ」という”侮辱的”プラカードが表現の自由として保護された

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2788566/6898204
イラク戦没兵葬儀で「死んで良かった」とプラカード、米最高裁判断は「表現の自由
 【3 月3日 AFP】イラクで戦死した米兵の葬儀が営まれている近くで、「兵士の死を神に感謝する」「神は同性愛者を憎む」などと書いたプラカードを掲げてデモを行い、遺族から訴えられた米キリスト教会に対し、米連邦最高裁判所は2日、教会側の行動は米憲法で保障された表現の自由にあたるとの判断を下した。    

(略)
ちょっと念押ししておくけど、この教会は「同性愛憎悪」という点ではマジョリティ側からマイノリティへの攻撃であるかもしれないけど「同性愛に寛容なアメリカ社会よ、罰されよ」という主張がさらに先鋭化し、プラカードや記事のように「アメリカは滅びの運命だ(America is Doomed)」とか「911を神に感謝する」と主張する時点で、アメリカのマジョリティ、常識人、体制派らに堂々と叛旗を翻している「反体制マイノリティ集団の、少数意見」であることも否めない(苦笑)

だからそもそも、宗教と世俗の対立はこういう構図がしばしば生まれる。
「私のイスラム信仰の立場から言えば、柔道大会に参戦する女性は貞淑な信徒のお手本とはいえない」
「私のキリスト教信仰の立場からいえば、同性婚制度は認められない」
「そういう心情を持つ社長がいる企業の出店を、市長としては認めない」


何が抑圧で何が被抑圧なのか。どちらがマジョリティでどちらがマイノリティなのか。そもそも宗教の問題をマジョリティとマイノリティで分けるものなのか。

■『寛容は「普遍」を経て不寛容となる』〜欧州の反イスラム運動を解説した大必読論文(吉田徹)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120427/p2
で紹介した
■普遍的価値の擁護者としての「極右」―― リベラリズムアイロニー 吉田徹
http://synodos.livedoor.biz/archives/1915429.html
も再読を。

んで、
前も書いたが、「信仰上の理由で、私は格闘技を学校の授業でできません」、という教義の一派がいる。(日本の裁判でも、その権利を認める判決が出ている。)
しかしこれも、もし上のような、宗教に基づく同性婚の否定論を「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」というなら、同様に不寛容と憎悪と偏見に満ちた「マーシャルアーツフォビア」なのだなあ、と「見なし」ていいのではないか・・・ということも以前書きました。(マーシャルアーツフォビアは、その一派だけでなく非宗教的、世俗的な人にもさまざまな理由で広く存在することも、ホモフォビアと似ている)

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110918/p2

こういう長々とした話を、たった3Pで上回る漫画家・いしいひさいち



不滅の名作
「信教の自由に関する一考察」
いしいひさいち「がんばれ!!タブチくん!!」アクションコミックス版1巻より)
 
「借金かえしちゃいけない教」は何度も紹介したけど、図版を紹介できるのは初めてだ。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070627/p2
金貸し「うちも道楽でサラ金やってるわけじゃないんだよ」
借りた人「はあ、それがどーしても返せないワケがあるのでございます」
金貸し「なんだそりゃ」
借りた人「信仰上の理由なのでございます」
金貸し「ふーん・・・で、なんだそりゃ。アーメンか?ナンマイダか?」
借りた人「『借金かえしちゃいけない教』と申しまして」
この教会に連れて行かれた金貸し、異端だ邪教だとぼこられて逃げ帰る(笑)。


まあこれは天才の想像力の産物だが、借金返しちゃいけない教はともかく「利子をとっちゃいけない教」は実在し、世界三大宗教のひとつであるからして。