※今回は法的、”機関”的なものとして考え、敢て『陛下』は省略します
天皇陛下がお気持ちを表明(全文) | NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626811000.html
異例なことに、10分間以上の動画もついている。
聞いてみて、読んでみてつくづく思うのは、確かに憲法の規定をよく意識し、それを踏まえたものであった、ということ、
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
そして、それだけ意識し、規定を踏まえても、どうしても越えざるを得ないものだった…ということだ、と思っている。
その点で、タイトルに記したように「これは『超』憲法だ!」…と思ったのが、率直な感想だった。
(もちろん「憲法神学」的には、あれは憲法の枠内デアル、というふうに粛々と神学がまとまっていくのだろうけど)
そういう点で、
その時、ド・ゴールは憲法を跳び越えた〜「国民の声」で憲法に対峙したフランスの例(井上武史氏の論考を中心に) - Togetterまとめ http://togetter.com/li/898818
という話を想起したり、また父君が二二六事件に際し
「朕自ラ近衛師団ヲ率イテ、此レガ鎮定ニ当タラン」
と語ったことをも思い出す。当時の”大元帥”は、あの時も、自らが「憲法をとび越えた」ことに自覚的であった。
吉田松陰のこの言葉が、予言となった。いや、予言を自己成就させた。
それも、独裁国家や軍国主義ではない。誠実で聡明なひとりの老紳士、これまで満点に近い理想の立憲君主だった存在が
憲法を「跳び越え」、 そして150年前に、自ら望んで”狂った”詩人的思想家の言葉を体現した。
そのことに戦慄する。
漢土には蒼生ありて、しかる後に天子あり。皇国には神聖ありて、しかる後に蒼生あり。国体固より異なり、君臣なんぞ同じからん。
吉田松陰『講孟余話』
- 作者: 吉田松陰,松本三之介,松永昌三,田中彰
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/02/01
- メディア: 新書
- クリック: 10回
- この商品を含むブログ (13件) を見る
以前、大英帝国女王陛下のこんなお言葉を記録した。
英国女王陛下、スコットランド独立投票で「慎重に」と発言。立憲君主の「ほのめかし」はどこまで可能? - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140919/p3
こうかいたっけ。
結局「象徴」を生身の人間にしょわせるというムリをさせている立憲君主制(この言葉を日本に適用するのも議論があるとこだが、そこは流して)。
だいたい、馬上天下を取った武人王や、天の言葉を伝える神聖王をば、近代国家の制度に無理やり合わせたのが立憲君主制なのですから、ある程度のグレーゾーンが出てくるのはしょうがないところ。
そう、今回もその「裂け目」が見られた…大怪獣を前にして「学問上の貴重な発見だ!例のない古代生物だ!」と興奮する生物学者の滑稽さは怪獣映画に出てくるが、実は自分も、危険性は承知しつつ目の前にできた「立憲君主と憲法の裂け目」への興奮を抑えられないところもある(笑)。