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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

狂信テロリスト(教えの曲解者)から脱するために「ムスリムのふり」の知識は覚えておこう

痛ましいテロ犯罪がまたも発生した。ダーイシュという豚の群れが、またも血をむさぼろうとしている。
それへの怒りは当然として、こんな報道がある。

ダッカ人質事件】「コーラン暗唱できぬ人に拷問」現地メディア報道 - 産経ニュース http://www.sankei.com/world/news/160702/wor1607020070-n1.html


現地の英字紙デーリー・スター(電子版)は2日、救出された人質の父親の話として、犯人グループが人質に対してイスラム教の聖典コーランの一節を暗唱するよう求め、言えなかった人は「拷問された」と伝えた。

 人質の父親によると、犯人グループは、人質が信仰する宗教をチェックするためにコーランを暗唱させていた。

これは今回思いついた話ではなく、以前からかこうと思っていた話だが…
イスラムの教えを曲解したテロリストの豚、とくに豚の親玉バグダーティの一派は、以前から「ムスリムは助ける、異教徒は殺したり奴隷化するなど、一段も二段も下の、厳しく残酷な振る舞いをする」という報道をされていたからだ。


それは聖なるクルアーン預言者とされるムハンマド(彼の魂に平安あれ!)の教えの曲解もいいところだと思うが、どれぐらい経典の解釈から逸脱しているからはちょっと分からない。


まあ、さまざまな議論があるのだろう。

しかし、とにかくにも、「ムスリムなら命は助けてやる、異教徒なら殺す」というテロリストの豚たちがいま現在、存在する。


そこから逃げる、危険から身を守るために、われら非ムスリムは、そういう場合はムスリムのふりをしよう、ということである。
ただ、今回の様に「コーランを暗唱しろ」と言われても、そこまではさすがに偽装しづらい。
だから最低限、これだけは覚えろ、というものがある。


それはいうまでもない…かな?私の理解の範囲では、やはり最終的に一番重要で、ムスリムと非ムスリムをわけるのは、シャハーダ(信仰告白)だとものの本に書いてある。
ラディカル?な人は、「とにかく何でもいいからこの文句を唱えて」と異教徒の異性に口真似させて「はいムスリムになったのでこれで結婚できるね」とやる。
(ムスリムと異教徒は、世俗の法はともかく、聖なる律法シャリーアの規定では結婚禁止だとか)


バングラデシュで玉の輿1 (中公文庫)

バングラデシュで玉の輿1 (中公文庫)

バングラデシュで玉の輿〈2〉 (中公文庫)

バングラデシュで玉の輿〈2〉 (中公文庫)

バングラデシュで玉の輿〈3〉 (中公文庫)

バングラデシュで玉の輿〈3〉 (中公文庫)

上の場面は1,2巻のどっちかだったが、どっちかは忘れたすまん(笑)
上のpエピソードは「うーん」と考えさせられたことがあり、下の記事に詳しく書いた。

宗教的戒律の「いい加減さ」と「寛容」についての、断片的考察〜イスラム教を中心に -http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20151014/p2

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%80
ラー・イラーハ イッラッラー ムハンマド ラスールッラー
アラーのほかに神なく、ムハンマドはその使徒である


「アラーのほかに神なく、ムハンマドはその使徒である」という言葉は聞いたことあるかもね。



で、まあ細かい語釈はどうでもいい。上のシャハーダの文句を、とりあえず覚えて、言えるようにしておくといい。
別に、「アラーのほかに神なく、ムハンマドはその使徒である」なんてのは全く信じていなくてもかまわないのだ、偽装なんだから。


般若心経や讃美歌を、ひとつの教養として覚えるのと同様にシャハーダを覚えるというのも十分ありだろうけど、とりあえず狂信テロリストから逃げる手段としてです。


本来なら、よそさまの信仰の対象をこんなに軽々しく扱うのは
問題かもしれないが、そういう状況を生んだのは一部のテロリストだ、
としか言いようがない。文句はそっちに言ってくれ、だ。

では、どう覚えるか…
語呂合わせが一番いいのだが、ちとむつかしい。
僕はこんな感じで、仮の語呂合わせをつくった

「 来々(ライライ) はぁ? イライラ 無飯(はん)まだ? ラッセル車

イメージとしては中華料理店の前で店主が「来々ライライ!」とよびかけているが、
お金のない呼びかけられたお客は入れずイライラ。
無飯=飯抜きで、「食事はまだ?」と思っているところにラッセル車が突っ込んでくる、と…(意味不明)


いいんだよ、意味不明な語呂合わせなんていろいろあるんだから。 いやでござる(1853)ペリーどの。

もちろん、こんなブロークンなシャハーダ、なめとんのか…と言われるかもしれぬが、逆に異教徒の国で一生懸命、無知な元異教徒がアッラーの教えを知ろうと頑張っている、かわいいやつよ…ぐらいに思われるかもしれない。
とりあえず、シャハーダをいえば、「ムスリム」の側にすべりこみセーフなのだ。


そこから少しづつ、礼拝のやり方やなにやかやを覚えていけばいい。


昨日今日の思い付きではない。よく考えたら常岡浩介氏の本にあったんだよ!!!

常岡さん、人質になる。 (ホビー書籍部)

常岡さん、人質になる。 (ホビー書籍部)

この本で、武装勢力にとらわれた常岡氏が
「異教徒かムスリムかで生きるか死ぬかの分かれ目になる。」
ということをかいているのがこのくだり。



そうそう、自分はこの本を読んで
いざというときには、世俗主義者であることを隠し、敬虔なムスリムのふりをする必要があるのかもしれない
と、こころに刻まれたのだった。
最初に書いたが、信仰ゼロでもマイナスでもいい。あくまでもテロリスト集団にとらわれたときに媚び、目くらましをし、ごまかす手立てだ。


それが失礼というなら、コーランを暗唱させて死刑と生を区別した阿呆のテロリストの豚どもが失礼なのだ。