痛ましいテロ犯罪がまたも発生した。ダーイシュという豚の群れが、またも血をむさぼろうとしている。
それへの怒りは当然として、こんな報道がある。
【ダッカ人質事件】「コーラン暗唱できぬ人に拷問」現地メディア報道 - 産経ニュース http://www.sankei.com/world/news/160702/wor1607020070-n1.html
現地の英字紙デーリー・スター(電子版)は2日、救出された人質の父親の話として、犯人グループが人質に対してイスラム教の聖典コーランの一節を暗唱するよう求め、言えなかった人は「拷問された」と伝えた。
人質の父親によると、犯人グループは、人質が信仰する宗教をチェックするためにコーランを暗唱させていた。
これは今回思いついた話ではなく、以前からかこうと思っていた話だが…
イスラムの教えを曲解したテロリストの豚、とくに豚の親玉バグダーティの一派は、以前から「ムスリムは助ける、異教徒は殺したり奴隷化するなど、一段も二段も下の、厳しく残酷な振る舞いをする」という報道をされていたからだ。
それは聖なるクルアーンと預言者とされるムハンマド(彼の魂に平安あれ!)の教えの曲解もいいところだと思うが、どれぐらい経典の解釈から逸脱しているからはちょっと分からない。
ISカリフ国に対して「罪もない市民を殺す残虐行為」などと平気で書ける者は、人間にとって最も重い罪とは創造主を信じずその命令に背くことであり、人は誰でも罪人であり、中でも異教徒は創造主を信じない時点で最悪の罪人、哀れみにより生かされているだけの存在であることに思いが及ばないのか。
— 中田考 三日目・東ヘ31b (@HASSANKONAKATA) 2014年8月21日
(承前) すくなくとも自分がそう思わないにしても、それを前提にする者をムスリムと呼ぶのだ、ということぐらいは意識した上で発言すべきだろう。その程度の意識、配慮もなく、自分たちが客観的で、ISカリフ国が独善的だなどと思える独善性は救いがたいとしか思えない。
— 中田考 三日目・東ヘ31b (@HASSANKONAKATA) 2014年8月21日
まあ、さまざまな議論があるのだろう。
しかし、とにかくにも、「ムスリムなら命は助けてやる、異教徒なら殺す」というテロリストの豚たちがいま現在、存在する。
そこから逃げる、危険から身を守るために、われら非ムスリムは、そういう場合はムスリムのふりをしよう、ということである。
ただ、今回の様に「コーランを暗唱しろ」と言われても、そこまではさすがに偽装しづらい。
だから最低限、これだけは覚えろ、というものがある。
それはいうまでもない…かな?私の理解の範囲では、やはり最終的に一番重要で、ムスリムと非ムスリムをわけるのは、シャハーダ(信仰告白)だとものの本に書いてある。
ラディカル?な人は、「とにかく何でもいいからこの文句を唱えて」と異教徒の異性に口真似させて「はいムスリムになったのでこれで結婚できるね」とやる。
(ムスリムと異教徒は、世俗の法はともかく、聖なる律法シャリーアの規定では結婚禁止だとか)

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上のpエピソードは「うーん」と考えさせられたことがあり、下の記事に詳しく書いた。
宗教的戒律の「いい加減さ」と「寛容」についての、断片的考察〜イスラム教を中心に -http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20151014/p2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%80
ラー・イラーハ イッラッラー ムハンマド ラスールッラー
アラーのほかに神なく、ムハンマドはその使徒である
「アラーのほかに神なく、ムハンマドはその使徒である」という言葉は聞いたことあるかもね。
で、まあ細かい語釈はどうでもいい。上のシャハーダの文句を、とりあえず覚えて、言えるようにしておくといい。
別に、「アラーのほかに神なく、ムハンマドはその使徒である」なんてのは全く信じていなくてもかまわないのだ、偽装なんだから。
般若心経や讃美歌を、ひとつの教養として覚えるのと同様にシャハーダを覚えるというのも十分ありだろうけど、とりあえず狂信テロリストから逃げる手段としてです。
本来なら、よそさまの信仰の対象をこんなに軽々しく扱うのは
問題かもしれないが、そういう状況を生んだのは一部のテロリストだ、
としか言いようがない。文句はそっちに言ってくれ、だ。
では、どう覚えるか…
語呂合わせが一番いいのだが、ちとむつかしい。
僕はこんな感じで、仮の語呂合わせをつくった
「 来々(ライライ) はぁ? イライラ 無飯(はん)まだ? ラッセル車」
イメージとしては中華料理店の前で店主が「来々ライライ!」とよびかけているが、
お金のない呼びかけられたお客は入れずイライラ。
無飯=飯抜きで、「食事はまだ?」と思っているところにラッセル車が突っ込んでくる、と…(意味不明)
いいんだよ、意味不明な語呂合わせなんていろいろあるんだから。 いやでござる(1853)ペリーどの。
もちろん、こんなブロークンなシャハーダ、なめとんのか…と言われるかもしれぬが、逆に異教徒の国で一生懸命、無知な元異教徒がアッラーの教えを知ろうと頑張っている、かわいいやつよ…ぐらいに思われるかもしれない。
とりあえず、シャハーダをいえば、「ムスリム」の側にすべりこみセーフなのだ。
そこから少しづつ、礼拝のやり方やなにやかやを覚えていけばいい。
昨日今日の思い付きではない。よく考えたら常岡浩介氏の本にあったんだよ!!!

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「異教徒かムスリムかで生きるか死ぬかの分かれ目になる。」
ということをかいているのがこのくだり。
そうそう、自分はこの本を読んで
「いざというときには、世俗主義者であることを隠し、敬虔なムスリムのふりをする必要があるのかもしれない」
と、こころに刻まれたのだった。
最初に書いたが、信仰ゼロでもマイナスでもいい。あくまでもテロリスト集団にとらわれたときに媚び、目くらましをし、ごまかす手立てだ。
それが失礼というなら、コーランを暗唱させて死刑と生を区別した阿呆のテロリストの豚どもが失礼なのだ。