ごめんなさい、
これちょっと、ほぼ丸々孫引きさせてください
織部の点前、利休の点前
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1430.html針屋宗真という、高名な茶人がいた。
彼は若い頃、千利休や古田織部の茶に実際に接した人だった。宗真が老齢となった頃、ある人が「利休や織部の茶頭ぶりはいかがでしたか?」と尋ねた。
宗真は言う
「織部の点前というのは、本当に立派なものだった。今でも目に焼きついて離れない。
茶と言うものはあんなにも立派に点てられるのかと、感動したものだったよ。それに対して利休の点前だが、
私は良く見取っておこうと、目を凝らして観察していたのだが、
一体、いつ点て出し、いつの間に仕舞いにしたのか、私には見留める事ができなかった
(後略)
引用先では感想として「不射の射みたいだ」というのがある。
これな、中島敦「名人伝」。ルビがコピペすると、かえって読みづらいがご容赦。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html
一通り出来るようじゃな、と老人が穏おだやかな微笑を含ふくんで言う。だが、それは所詮しょせん射之射しゃのしゃというもの、好漢いまだ不射之射ふしゃのしゃを知らぬと見える。
ムッとした紀昌を導いて、老隠者ろういんじゃは、そこから二百歩ばかり離はなれた絶壁ぜっぺきの上まで連れて来る。脚下きゃっかは文字通りの屏風びょうぶのごとき壁立千仭へきりつせんじん、遥か真下に糸のような細さに見える渓流けいりゅうをちょっと覗いただけでたちまち眩暈めまいを感ずるほどの高さである。その断崖だんがいから半なかば宙に乗出した危石の上につかつかと老人は…
もともと「技術的名人」に対比させて「禅的名人」(仮称)が出てきて、技術的名人をやりこめる…思想的な意味でも、というおはなしは古今東西たくさんありまする。
今のエンターテインメントも、たぶんこれを結構受け継いでいる。
そして日本では、特にこれが受け入れられやすい…ような気もするのですね。
武器でも「村正と正宗、ここが違う」といって、正宗をageる話なんかがあるし。
だから、この織部と利休の違い、という挿話も、いろいろ今の創作に応用できそうだし、上の記事の「ザ・シークとカール・ゴッチ」も、そんなところと根っこでのつながりがありそう、な気がしました。
「強さ」に関する、ひとつの「裏の解」…。ザ・シークがカール・ゴッチと渡り合った話が裏付けられた。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150704/p1