田中芳樹から陳舜臣と、今日は歴史がらみでうまく話がつながるな。
この前陳舜臣氏が亡くなった時
陳舜臣さんの思い出。〜「中国の歴史」や「葵丘の盟」など - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150204/p1
司馬氏が亡くなったとき、陳氏はみごとな追悼の漢詩を詠んでおり、それは自分の蔵書資料の中にあるはずなのだが見つからない
と書いたが、それが見つかったのでした。検索してもなかなか出てこない詩なので、ここに記録しておきたい。
春泥未晒菜花辺 春泥 未だ晒さず菜花の辺(ほとり)
学業同途五十年 学業 途(みち)を同じくす五十年
一夢人琴今已矣 一夢 人 琴 今は已みぬ
傷心只見旧山川 傷心 只見る 旧山川
http://www.sankei.com/west/news/150122/wst1501220045-n1.html
(略)…一節に「学業同途五十年」とある。大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)の1年後輩が司馬さんである。一緒に中国、台湾を旅行するなど親交は半世紀以上に及んだ。▼「一夢人琴今已矣」と続く。春秋の時代、伯牙という琴の名人がいた。友人の鍾子期は琴の調べを聴いて、伯牙の曲想をぴたりと言い当てた。それほど気の合った弾き手であり、聴き手であった。鍾子期が亡くなると、伯牙は絃を絶ち切って死ぬまで琴を手にすることはなかった。「伯牙絶絃」の故事である。
▼陳さんと司馬さんも、互いの文学のよき理解者だった。弔詩は「傷心只見旧山川」で結ばれる。「あなたは自分の夢をとじて、私たちの前から去りました。(略)二人で見た昔の山や川を心をいためて眺めるだけです」。今ごろはきっと旧交を温めているはずだ。
いちどモンゴルの「あとは、羊で受け取ってくれ」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140718/p4
を紹介した