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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

血液型性格判断が「”予言の自己成就”の可能性もあった」というのは、けっこう重大な危機?だったのではないか

kousyouブログに久々に乗っかる。というか、乗っかる予定でまだ乗っかってないのがけっこう多いので消化せねば(笑)。

血液型と性格が関連する予言の自己成就は起きていなかった? http://kousyou.cc/archives/6822

このタイトル通りなんだが、
要は最近、ニュースでもけっこう騒がれた「血液型と性格、統計調査をしてみたらやっぱり無関係でした」という話…の、元論文では非常にあれれ?な話があったのだという話。

孫引きします

……Sakamoto & Yamazaki(2004)は 1980 年代のデータを用いて,社会に血液型性格判断の知識が広まることにより,結果として血液型と性格が関連する予言の自己成就が生じる可能性を示唆した。これが正しければ,1980 年代から 20 年経過した 2000 年代では実際に血液型と性格が関連してしまうという予測も成り立つ。しかし,本研究は……,

ふむむむ。
いやー、結構「あぶなかったな」的な焦りを感じませんか?
血液型性格判断といえば、ひとつのトンデモ、疑似科学として長年啓蒙的論者が、口をすっぱくしてその無根拠ぶりや非科学性、さらには差別性を論じてきた。
例えば有名医学ブロガーで、最近著書も出した id:NATROM氏も
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/searchdiary?word=%B7%EC%B1%D5%B7%BF

「ニセ医学」に騙されないために   危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

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で長年啓蒙に当たっていた……
だが、なんだかんだと根強い「血液型信仰」が、「おれ、○型だからXXXなんだよな」と、その信仰者に”ふるまわせる”ことで、結果的に統計結果からも分かるほど、行動様式に差がつくという”可能性もある”と、少なくとも専門的な研究者が予想していた…というのは、ちょっともう少し話題になってもいい。
実際、もしそういう結果が出たら「これは予言の自己成就だ!」と主張してもある意味それも仮説で「やっぱり血液型による性格の差は本当にあったんだ!」と、ラピュタを発見したパズーなみに、自分や父親のこれまでの苦闘が報われたと喜ぶはずだ(笑)。それに反論するのも、ある意味むずかしい。


今回、結局はそれを免れました、という研究結果だった。ただ一方でまじめな啓蒙家には悪いが、「そうか…一妄想や、擬似科学の情報であっても『XXXは○○だ』という概念を教え、それが広まれば、行動様式自体を変えられる可能性もあるんだな」というところに、ちょっとぞくぞくしたものを感じたことも事実だ。
千年王国の妄想や、天から降ってくるカーゴへの信仰が、実際に一国を転覆したり内乱を発生させたりするような……ちょっと違うか。
いや、でも血液型性格診断は、一種の「宗教運動」と考えれば、それが社会の行動様式を、統計的にも分かるぐらいに変えることはなんらおかしくないのかもしれない。

http://yamakamu.com/archives/2878118.html
しえちゃんはサボる男子に対して「ちょっとは手伝いなさいよ。」と注意をすれば、サボっていた男子は「あー、そういう作業ムリ。O型なんで。」と、血液型を言い訳にして装飾を手伝うのを拒否!

改蔵「そんな大義があるかぁ!!」
改蔵「だったらB型は、人の気持ちを踏みにじってもいいというのか」
すず「いるね。血液型を理由にする人…」
 
 
また、家庭科の時間にサボる男子に対してキュウリくらい切ってよと注意する女子に対して、サボる男子は「あー、オレ、そーゆうのダメなんだ。」と、大義名分を主張し出すのです。

九州男児だから。」


そういやあれだってそうだよ、
「日本人はマナーを守る」だの「礼儀正しく親切」だのへちまだの、そういう話がさらに広まっていけば、何年かあとに、本当に皆がそうふるまうようになってくる可能性も……なくもなくもなくもない(笑)。

イタリア軍だって「敵からも味方からもイタリア軍は弱い弱いというイメージをもたれていたので、本当にじきに弱くなってしまった」かもしれないではないか。
つまりこれですよ

形  菊池寛
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/4306_19830.html
 摂津半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士であった。
 そのころ、畿内を分領していた筒井、松永、荒木、和田、別所など大名小名の手の者で、『鎗中村』を知らぬ者は、おそらく一人もなかっただろう。それほど、新兵衛はその扱き出す三間柄の大身の鎗の鋒先で、さきがけ殿の功名を重ねていた。そのうえ、彼の武者姿は戦場において、水ぎわ立ったはなやかさを示していた。火のような…

つまり今後は「ヘタリアの自己成就」があるか、ないかについての統計的研究をお願いしたい(笑)