【トンガ噴火お見舞】INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「わし死にたくないんや…禁固でも懲役でも、命こそ宝や」と逃げる船長は、何で阻止できるのか

「沈みつつある船から乗客を見捨てて逃げると、船長は殺人罪になる」という法律論は正しいのだろうか? - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140611/p5

という記事をきのう書いて、ブクマでご教示いただいた。
「不真正不作為犯」という概念があるそうで。


ただ、昨日は時間なくて書けなかったんだが、
そも そも で……
「船長」にやはり根底のところで、なにがしかの同情をしてしまう自分がいる。
自分だったら絶対に逃げなかった、と自信を持って言えればいいのだが、果たしてその時どうなるか。
しかし船長という仕事は、その業務と報酬の中に「有事の際には命がけで危険に身をさらす」というところは厳然としてある。だから今回の船長のようなことはあるまじき、という話になる。

だが。
そもそも「命を失う」以上に最悪のことってあるか?

プロレス団体というブラック企業で生き残ったつわものも、アンドレを前にしてはこの通り。
 


「人は死ぬ(殺される)のが怖いからこそ、戦士という職業が成り立つ」
 

敗北して壮絶に自爆した松永久秀を引き合いに出されても「わしの方が業が上なんや」といって、逃げのびた荒木村重。その後、さまざまな浮き沈みを経て出家。仮にも一国の城主が「道糞(道端のクソ)」と名乗り、その不名誉を抱えつつ…52歳まで生きた。



関が原で敗れた宇喜田秀家は八丈島に流され「米の飯が食べたい」などのささやかな望みを持ちながら82歳まで生きた。主要な関が原武将ではもっとも長命を保ったことになる。ここでは「だから自分が最後の勝者なのだ」と。



ならば船長も「ああよかった。この後一生牢獄だろうとなんだろうと、俺はあの暗い冷たい海で溺死することなく、ここでこうやって三食を食べて朝起き、夜は眠り春夏秋冬をまっとうできる。あの時逃げてよかった!!」と(内心で)思ったとき…何でそれを止めるのか。

これはすべての軍隊、まさに死と直面する組織も同様に持っている課題だ。
だからこの歌がある。

ただ、何度も似たジョークは話してるが、セウォル号の船長だって、この歌を歌って自分を正当化できるんだよね(苦笑)。


さて
とめるとしたら……

来世、天国と地獄

世界の人類がすべて宗教を持つ理由が分かるよ。「死後の世界、天国と地獄」をぽんと設定するだけで「死ぬよりいやなこと、ひどいこと。生き延びるよりうれしいこと、気持ちいいこと」ができる。
その効用たるや、世界の殉教史、自爆テロの発生数がその何よりの説明書だ。
あの船は実質的な宗教団体の所有だったそうだが、船長はその信者だったのか、信仰篤かったのかは知らない。

名誉

「ナポレオン 獅子の時代」に描かれた一挿話。
ナポレオン「この砲をなぜ誰も撃たない」
部下「要塞側からも攻撃される危険な場所なので、皆逃げ出しまして…」
ナポレオン「ん…『革命砲台?』こんなんじゃダメだ、看板を書き換えろ!!」

翌日からその砲台は
「命知らずの男の砲台」に。
その看板を見た兵士 「じゃあ、俺がいくしかねえか」「俺だろ」と続々とその砲台へ。

義務と律儀さ。

要は「任務だから、やる」。これ以上でも以下でもなく、淡々とそれをこなすこと。これで案外、死の危険も気にしなくなったりしないでもない。 民族論にするのも変かもしれないが、ステロタイプなイメージではドイツ人、イギリス人、そして日本人がそういうふうに振る舞いやすい、というふうに言われるが…よくも悪くも、さ。
ルールは神であり、我らはそれに仕える忠実な司祭である。

イメージキャラクターに、綾瀬えなを採用。
彼女が客船の船長なら、海難事故では絶対に最後のひとりまで乗客を救うために船内に留まり、海で命を落としたであろうし、捕虜の列車輸送担当者なら、その捕虜が収容所でどんな運命をたどろうとも、自分に与えられたスムーズな輸送計画の実施に全力を挙げたと思う(どんな妄想だよ)。

世間の「後ろ指」

さて、ここなんだよ…なんどか紹介したが、司馬遼太郎ソ連軍や日本軍を評した言葉で「強い軍隊というのは、大抵は前面の敵より後ろ(の監視)が怖い軍隊、ということだ」というのがある。司馬の地元大阪の軍隊が「またも負けたか八連隊、これじゃ勲章くれんたい(九連隊)」と言われたのも、「武士が少ない町人の町で”権力”というものの重さを感じることが少なかった伝統」と説明した。

上の「名誉」と表裏一体だが、セウォル号の船長は日本に入ってくる報道を見る限りでは、この上ない罵声と嘲笑を浴びているようだ。いわゆるリンチ。
そして…なんともいやーな話だが、「死の危険に人を向かわせるためには、生きて逃げ帰った人を徹底的に罵倒罵声を浴びせることが”効果的”」なのかもしれないということだ。
別に沈没船を引き合いにだすこともない、死の危険がそれより高い、というかほぼ100%な特攻隊というものを成り立たせた要素の大きな部分はこれだったのではないか?


そしてさらに、
いやな考えにいたる。
以前

日本では犯罪加害者の家に抗議や脅迫が殺到。一方アメリカの大量殺人犯の母「私に届いた手紙の大半が励ましでした」 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101222/p3

という記事を書いたことがあります。もちろん例外などもいろいろあるが、アメリカでは、銃乱射事件の犯人の、母親のもとに・・・

母親のもとにはアメリカ全土から手紙や電話が殺到した。手紙は段ボール2箱に及ぶ数だった。
 だが、その中身は、本書でこれまで見てきたような日本社会の反応とはまったく異なっていた。加害少年の家族を激励するものばかりだったのだ。
(略)
受け取った手紙の内容は何かと聞くと、母親は「全部励ましです」と答えたのだ。
 下村は自身のブログでその手紙の内容をいくつか紹介している。
「いまあなたの息子さんは一番大切なときなのだから、頻繁に面会に行ってあげてね」「その子のケアに気を取られすぎて、つらい思いをしている兄弟への目配りが手薄にならないように」「日曜の教会に集まって、村中であなたたち家族の為に祈っています」等々。


いい話である。
だが、当方がセウォル号事件の報道を見て、また今も頻発しているアメリカの銃乱射事件に際して…思ったこと。

「あー、生きてても俺にゃいいことないや。銃乱射して最後は自殺してやっかな」
「でも俺には年老いたママがいるんだよな。もしそんな大それたことを俺が起こしたら…」

(A)社会、世間は俺の母親を犯罪者の息子として理不尽な後ろ指、リンチを行い、不幸せな人生を送らせるだろう。
 
(B)社会、世間は、俺の犯罪は犯罪、母親は母親として理不尽なリンチなんかしない。むしろ温かくケアしてくれるだろう 

この時…(A)の社会のほうが犯罪抑止力が強く、(B)な社会のほうが、犯罪の発生を後押しするのではないか???
と、考えたのだ。
今でも日本の凶悪犯罪のすくなさについて、「犯罪をすると、家族親族に迷惑が及ぶから」という理由が挙がることは多い。


こういうプレッシャーがあれば、それは持ち場を守るだろう。
「死」を振り切る何かは、だれがどう保証し、育てるのか。