シュウ・ヒラタコラム。
http://ameblo.jp/shu1968/entry-11754970786.html
テーマ:米MMA
今だから書きますが
最近一番悲しかったことは、これです↓
http://ameblo.jp/shu1968/image-11754970786-12821038381.html
(略)
プロモ用のバナーなんですが....
この中に「TOKYO」がないんですよぉガクリ涙涙
90年代…(略)ビジネスとか経済とか政治学部で国際関係論とか専攻していた人たちにとって「ジャパン」は常にプライム・トピックでしたからね
補足しておくと、この団体はネットPPVによって、世界中の人に見てもらうことを目指す経営戦略だ。だから、リンクを見て分かるように、世界中の主要大都市の標準時間での放送日時を記したバナーを作っていると。
ほんで「モスクワ」「リオデジャネイロ」とかはあるけど「東京」はなくなった。代わりに「シンガポール」の時間が表示されていると(笑)
かなり前の時代、「日本は大国じゃなくてもいい」という論調があった。90年代、日本が「国際貢献」というものを求められたとき、軍事面での負担を求められることを警戒したことによる。そのとき、テレビで高坂正堯氏が「大国になろうとしない、発言力を求めようとしない国はない。それを目指してちょうど良くなるので、求めないという選択肢はない」と語っていた。
自分も感情や美学の一環としてなら、「わが国が大国である必要はない」といいたくなる部分はある。バナーに名前が載る載らないだけで一喜一憂してもしょうがない。
だが、大国でないことは別に軍事貢献をしなくていい、とかじゃなくて、どんどんこういう形で日本向けの「商品」が無くなっていくということだ。市場的メリットがないと、日本語という一国だけの特殊な手間が必要な日本はスルーするに越したことはない(シンガポールなら、英語は英語のままでいい)。たとえばもっと砕けた話で言えば、ハリウッドスターのキャンペーンツアーやアーチストの海外公演がそうなるだろう。
日本が経済力を中心に「大国」である必要は、ただのプライドや見栄ではなく、実際上のメリットがあるのだ。
それを考えさせられた、インヴィクタのバナー表示でした。
まあ、大国を維持できるかどうかは一に自動車、二に電気製品の会社の皆さんの奮闘を待つしかない。