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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

大朗報!!読売新聞連載「古今をちこち」(磯田道史〜「武士の家計簿」著者)が中公新書に

twitterでこんなリプライをいただきました。

https://twitter.com/chukoshinsho/status/255557680373039105

中公新書
‏@chukoshinsho
@gryphonjapan 突然失礼します。以前、「実に面白い」と書かれていた磯田道史さんの連載「古今をちこち」を収録した作品が10月25日に中公新書『歴史の愉しみ方』として刊行されます。中公新書50周年記念の1冊です。

やったー!!


磯田道史、という名前より、歴史解説書が映画になったという珍しい例でもしられる「武士の家計簿」著者といったほうが、まだ通りがいいかもしれませんね。映画化した森田芳光監督は、昨年亡くなられた・・・。

この本は、その本の内容自体がウィキペディアの項目になっている。

加賀藩の下級藩士で御算用者(会計処理の役人)を務めた猪山家に残された、約37年間の入払帳や書簡をもとに…家庭の日常生活や武士階層の風習を分析している。磯田は2001年(平成13年)に神田神保町古書店でこれらの文書を入手したが、その経緯が「はしがき」に記されている。(略)…。仔細に書き残された収入、支出の項目から武士の暮らし、習俗、とくに武士身分であることによって生じる祝儀交際費などの「身分費用」に関する項目や、江戸末期の藩の統治システムが実証的、具体的に描かれ・・・


ただ、こういうのは好きかきらいかといえばまあ好きなほうだが、ちょっと面白い切り口の一般向け歴史書、というだけで、自分は発売当時もそれほど興味を持ったわけではなかった。

やはり、今度本になる「古今あちこち」がそれ自体、単独で面白いのです、間違いなく。


http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120105/p2 にて
『ノンフィクションの一技法として、調べている「僕」が、あっちへいって人に聞いたり、こっちへ行って古い資料をあさったりする経過をそのまま書くというスタイルがあります。その一方で、そうやって必死に調べた結果を「Aは、Bであった。」と、ぽんと一行に集約させるスタイルもある。』と書き、まあ学者さんの本というのは圧倒的に後者が多いのだが、磯田氏は珍しくもけっこう「資料発掘にいたるまでのドラマ」を書くのが好きなのである。
普通の本でも書きたがるのだから、こういう肩のこらない歴史エッセイならさらに書く(笑)。で、またこの人が「持ってる」というかね・・・鉄板のいろんな”資料との出会いのドラマ”を持っているんだわ。

最初に感動したのが、この2009年の記事だった。
斎藤隆夫の詠んだ詩を紹介したい。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090830/p6

正確に言えば、
「読んで涙が出てきた。斎藤は『百年後の歴史の上』をみて国を誤らぬよう命がけで自説を述べたのだ。自分は歴史家の卵だ。自分がきちんと歴史を書かねば正しいことをして不遇に終わった人物は犬死にになる、と思った。」と感動した若き日の磯田氏、それ自体に感動した、というべきなのかな。



そして、ときどきは読み忘れつつ(新聞の月1連載ってそうなるのよ)読んでいたのだが、今年2012年5月30日のもおもしろいのだわ。


天皇の土葬 魚屋が奮闘」として、ちょうどそのころ報道された、今上天皇の「自分と皇后は土葬ではなく火葬に」という発言(があったらしいという報道)を受けて、逆に「天皇が火葬から土葬になった時」のことを紹介する。
まだ仏教の影響が強いころは当然天皇ですら「三宝の奴」として仏教的な火葬だった。それが土葬に戻ったのは後光明天皇以来だそうだ。
そして、そうさせたのが当時「天皇に魚を献じていた魚屋の八兵衛」だったという。

「玉体を火葬するのは勿体ない」と本道。火葬を阻止して土葬とした・・・天皇土葬化の経緯をもっと知りたい。それには『後光明天皇外記』を読まねばならぬ。戦前に活字化された天皇資料は公表がはばかられる内容はしばしば削除されている・・・真実に迫るには写本の現物にあたるしかない。しかしあるのは東京・・・・なぜか慶応の図書館の幸田露伴の弟の旧蔵書の中に・・・

この調べる過程で「自分のいる浜松から東京に調べにいくと(新幹線代が)16000円かかる」と書いているところが泣かせるが(笑)、そこで調べていくと、「天皇を中心とした神道と、仏教の緊張関係」が在野の国学思想や水戸学だけではなく、まさに天皇自身もその緊張関係の中にいることが分かってくるのである。何しろ後光明天皇は仏教を「XXXXXX」として、なんと「XXXXXX」を開けて見たのだという。するとなんたることよ、中にはXXXXもあり、それを驚くべきことにXXXたというのである!!!
この紹介じゃ正直わからん(笑)
このへんのことは単行本をお楽しみに。

資料自体の存在は知られていて、どこにいけば読めるかも分かる。
しかし時事問題からそのことを思い起こし、しかも好奇心の赴くまま16000円と数時間をかけて(笑)上京してその資料を読み、だれもが忘れているか、少なくとも結びつけて考えなかったことを公にする。

こんな面白いこと、というか貴重な人材がいるだろうか。

もひとつ。井伊直政狙撃のなぞ

世界戦史において島津をもって空前とし、また島津をもって絶後となす−−−−「敵軍正面への退却戦」。
この退却戦では徳川家の重臣・・・銀英伝でたとえるならミュラー級の大物、井伊直政が島津の捨てがまり戦法で狙撃され、数年後に亡くなる傷を負っている。

ドリフターズの「首おいてけ!」「捨てがまり」をはじめ、「風雲児たち」では彦根藩井伊家と薩摩藩島津家の幕末の因縁にもからめた話になったり、またイブニングでは今号から、この退却を同じルートの実際の旅も絡めて描く「敗走記」がはじまったりという有名なエピソードですが、磯田氏は今年7月、8月の連載でこの話を書き、8月の回では、「圧倒的に有利な追撃軍の高級指揮官が、むざむざ敗走する敵になぜ撃たれたのか?」という問いを発している。

これが実は、戦国武士の功名手柄争いの実像に大きく関係していて・・・いわゆる後付けの「武士道」「忠義」とはまた別の一面を、感じさせてくれます。

これを発掘するのに「東京、竹橋の国立公文書館へ通いつめた」「私は古文書は楽に読めるが、関が原合戦については資料が多すぎて困った。目がチカチカするほど読んだ末に、ようやく決定的な一冊、『井伊慶長記』を見つけた」のだという。

うむ、ごくろうである。
ではその成果をおれたちは労せず享受する。はやくよこせ(笑)



ほぼ同時期に、文芸春秋からも。

磯田、くるな。

・・・・てなわけで、今月下旬に2冊発売。
42歳の新進気鋭の研究者、縦横の歴史エッセイをわくわくして待て。



さらにおまけ 中公新書twitterの中の人は、格闘技ファンでもあるらしい?

 

https://twitter.com/chukoshinsho/status/255859714452254720

中公新書
‏@chukoshinsho
(略)ブログ『見えない道場本舗』は、PRIDE全盛期から長らく拝見しております。


しごく光栄のいたり。