その記者会見会場は、それほど熱気にあふれている、とは言いがたかった。
事前のリリースである
「出生前診断と人口妊娠中絶の政策に関する、現場からの意見表明と実例報告」といった、いかにも素人くさい要約の仕方は、あまり場慣れしていない人々の一方的なスローガンの連呼になるのでは、と予想させるものだったからだ。
時間が来て、会見は淡々と始まった。
来場したのは、都内ではそれなりに大きな産婦人科で、臨床医としては啓蒙書なども多数出し、それなりに名前を知られた医師。
彼は、隣に20代後半〜30代前半の、若い女性を伴っていた。しかし、記者会見は、予想を超える内容だった。
「えー、発表いたします・・・。私どもは、血液検査で染色体の異常を99%以上の精度で診断できる母体血検査によって、こちらの女性・・・名前は・・・よろしいですね」
「はい、実名で、顔も映していただいて結構です。木村花子と申します」
「木村さんの、母体血検査をしたところ、残念なことに、胎児に障害があることを確認いたしました。そして、木村さんは、ひとつの選択として、この子を産まず・・・中絶手術を行うとの選択をなされました。今後、不肖わたくしがその処置を行うのですが、木村さんは『母体保護』や『経済的理由』といった、現行法とのつじつまを合わせる理由付けでなく『はっきり自分の意思で、出生前診断の結果を参考として、女性の選択権の発動として中絶を行いたい』とつよく希望されました。・・・わたくしもその希望をお伺いして、今までやってきた脱法的な理由付けでなく、『産む、産まないは女性に選択の権利がある。他の理由がないとダメという、現在の法律のほうが間違っている』という信念のもと、女性の自由な選択に基づいての中絶措置を取ることを決めました。これが罪か、犯罪かは、その後行政や警察などから何かのリアクションがあるなら、法廷で議論し、明らかにしたいと思います」
質疑が始まった。
―ーこういう決心に至った理由を、あらためお聞きしたい。
木村「やはり女性の権利ということです。原理原則に立ち返れば、産む、産まないの女性の権利は、どこからも制限されてはいけないものだと思うのです。そして実際のところ、日本の女性がこの権利を行使するためには、、「母体保護」や「経済的困難」という理由付け〜言い換えれば『嘘』『違法行為』を行わなければいけないというハードルを持たせています。これは偽善だし、いつ権力がこの項目を使って抑圧に転じるかも分かりません。かつて黒人女性が、違法であっても堂々とバスの白人専用座席に座り公民権を勝ち取ったように、私もそうすべきと思いました」
医師「私もずっと産婦人科医をやってまいりましたが、その偽善と、脱法じゃないかという思いはずっと胸の奥に存在していました。日々の仕事に追われ麻痺していたその疑問が、木村さんのお考えに触れて再び大きくなったのです。自分も十分この仕事をしてきて、ある程度の蓄えもあるし、ある程度の社会的影響力もあります。最後に、こういう問題提起をすることが、産科医としての義務ではないか、と、こう考えたのであります。」
――でも、さきほど「出生前診断の結果を参考とした」とおっしゃいましたね?要はその結果を見て、障害がこどもにありそうだから中絶する、ってことでしょ?それはエゴじゃありませんか?
木村「そこがこの記者会見の重要な点と思いますので、はっきり申し上げます。私は確かに出生前診断の結果、障害の存在がほぼ確実、ということも参考にした上でさまざまなことを考え、悩み、今回は出産を見合わせるという決断をいたしました。これがエゴだというなら、エゴでございます。でも、逆に現在法律で認められている『経済的に立ち行かない』『強姦の結果の妊娠』だから産まない、というのも同様にエゴだと思います。・・・いえ、それ以上に 診断結果が健康だから産む・・いいえ、『障害があっても産む』という決断もエゴだと申し上げたいのです。どれも平等に女性の、当事者のエゴでしょうし、そしてそのエゴはどれも非難されるべきでないと思うのです。しかし『こどもに障害があると診断して分かった、だから産まない』というエゴだけ、不当に差別され、不平等な扱いを受けているのが今の日本社会です。だからあえて、違法状態なこと―ーそれを実質、政府は放置していること―それを承知で『私はこういう判断をした、恥じることはない』というために、今日、ここに来たのです」
よどみなく答えた。
――血液による出生前診断は乱用しないよう、厳しく監督、規制されているはずですが。
医師 「私は、それもおかしいと思っているんです。これだけ精度の高い検査方法ができたら、ひろく普及させることが最大の使命だと思っています。それで安易な中絶が増える、という懸念があるといいますが、最終的には女性の自己決定権です。カウンセリングなどの普及ももちろん賛成ですが、少なくとも価値中立的でなければいけません。どちらにしても『知る』ことを妨害し『知らない』人を増やすことでいい結果をもたらそうというのはおかしいことです。人間は、無知ではなく、知った上でよき判断を下せるものだと信じています。」
――でも、いま障害のある子の出産を母親が躊躇するのは、今の現代社会がそういう子にやさしくない、厳しい社会だからでしょ?福祉を充実させ、人々の偏見を打破すれば、中絶の必要もなくなるのでは?
木村 「・・・それはたいへんいいことだと思います。ぜひ進めていただきたいし、それで統計的には、出産数も変化するかもしれません。でも、それでも『産まない』と決めるお母さんも、ゼロになることはないと思います。私も含め。問題は『福祉は充実させた、さあこれで産まないやつは悪だ』という見方ではなく、それでもなお、それぞれの決断があることを認める社会・・・そういう社会にこそ、なってほしいと思います」
医師 「アメリカでは、宗教団体が中心になって、それこそボランティアで出産の受け入れシステムを作っていますよ。そして言うんです。『さあ、レイプの結果の妊娠でも中絶は悪なのよ。私たちがサポートするから』ってね。」
解題
自分はプロ・チョイスとプロ・ライフが激しく論争する米国政治を受けてこの問題を知ったのだが、選択の自由として「産む、産まないは女性の権利」という文脈で論理立てをするならば極端な話「中絶の決断を理由で選別してはならない」というところまで行き着くしかないのでは、と感じたのですね。
「経済的な問題や、妊娠が性犯罪の結果のものなら中絶はやむをえない。しかし障害があると分かったから中絶するのは禁止だ」というのは、なんらかの道徳的、宗教的な基準に下駄を預けているような気がしてね・・・
今回の血液診断についても「社会福祉の充実をすれば、障害におびえて出産をちょうちょしなくても済む」という議論を読んだが、それについて疑問も上の小説に盛り込みました。
文中に出てくる、アメリカ宗教保守派の「レイプの結果の妊娠でも、そのこどもを受け入れる体制づくり」についてはこちらを参考にしまた
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2012/08/post-468.php
もう1つは、仮にレイプ被害の結果として子供が生まれてきてしまった場合は、その母親も子供も一生苦しむのではないかという問題です。私はこうした宗教保守派を支持してはいませんが、彼等の名誉のために付け加えるなら、この点に関して言えば「受け皿のインフラ」を宗教保守派のコミュニティは持っています。被害女性に対するカウンセリング体制も、養子縁組のシステムも、十分な愛情で養子を育てる養父母候補の存在ということも一応揃っているのです。
ですから、「イデオロギーによる自己満足のために中絶を禁止し」レイプ被害の結果として生まれた子とその母親のその後の人生には「知らんぷり」ということでは「ない」ということは言えるのです。
そうではあるのですが、この「レイプ被害の妊娠でも産め」という主張自体が世界的な常識からすれば異常であるのは間違いありません・・・
「夜回り先生」(漫画版)より。「母ちゃんは、レイプで出来た俺を産んでくれた。すごい人なんだ」
このこと話すの 先生がはじめてだよ・・・
俺の母ちゃんは 生まれつき 目が見えないんだ
俺を産んだのは21歳のとき・・・・・俺は その・・・母ちゃんが 通勤の帰り道にレイプされて・・・ それで妊娠して・・・
周りからは中絶しろって 強く言われたらしいんだけど・・・実家を出て産んだんだって。
うちの母ちゃん すごい人なんだ。 こんな・・・産まなくていい俺を産んで 育ててくれてさ・・・
- 作者: 土田世紀,水谷修
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故土田世紀の迫力ある筆致で描かれている。
この「産む」という選択も女性の選択だから、「周りから強く言われた」のも自己決定権の侵害の一つで、とくにプロ・チョイスとは矛盾しない。だけど・・・要はこういう決断が「すごい」「すばらしい」選択だというなら、もう片方の選択の評価、価値判断に影響を与えてしまうのではないか? という心配もなくはない。
まあ全財産を福祉のために寄付する人はすごいが、日々の生活に追われ寄付の余裕もない人が悪い、訳ではないのと同様に、性犯罪の結果として生まれた命を出産する、しないも「出産するのはすごい(偉い、善)ことだが、しないのが悪なのではない」という位置づけもできるのかもしれない。
でも本来的には、最終的には「どっちもいいも悪いも、偉いも偉くないも無い。赤いチューリップか白いチューリップかといった個人の選択の結果」にムリにでも位置づけなければいけないのではないか。
その時、逆に上の「夜回り先生」のような価値観はどう評価されるべきか・・・・
これは「妊娠中の胎児に障害があると出生前診断で分かった。そのとき、親は・・・」という話と、直接はつながらない。だがまったく無関係ともいえないはずだ
このテレビ番組放送の前座。(16日NHK)
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0916/index.html
出生前診断 そのとき夫婦は
2012年9月16日(日)午後9時00分〜9時49分
妊婦が必ず受ける超音波(エコー)検査。ここ数年その機械は飛躍的な進歩を遂げ、これまで‘生まれるまで分からない’とされてきた胎児の病気や障害が、詳細に分かるケースも増えてきた。更に、この秋には、妊婦の血液検査だけで染色体の異常が99%以上の精度で診断できる母体血検査が、日本で始まろうとしている。
実は日本では、胎児の異常(障害)を理由にした中絶は法的には認められていない。しかし、「母体保護」や「経済的困難」という名目で、中絶が広く行われているのが実情だ。
我々取材チームは、日本では珍しい出生前診断専門のクリニック「夫マタニティクリニック」(大阪市)で密着取材の許可を得、昨秋から継続してきた。胎児の異常を、早期に正確に把握し、母体と胎児の健康に繋げるための出生前診断だが、その一方で、障害の「宣告」、出産の「葛藤」、そして「命をめぐる決断」が日々繰り返されている。
いまという時代に障害のある子どもを授かることとは。 親とは、家族とは、命とは何なのか。科学技術の進歩で、妊娠・出産に関わる全ての家族が突きつけられることになった「命の選択」。大阪の出生前診断専門のクリニックを舞台に、命を巡る家族の葛藤と、その意味を見つめる。