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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

11日はピム・フォルタインの「フォルタイン党」結党から10周年。

この前も引用したが、節目の日に。
ウィキペディアの「ピム・フォルタイン」

1948年、北ホラント州のフェルセンにカトリックの家に生まれる。1971年に、そこで社会学の博士号を取得。1991年にはエラスムス大学の特命教授に就任、1995年まで務めた。同性愛者であることを公表していたロッテルダムで市議会議員を務めた。政党内で発言を問題視され、2002年2月11日には政党ピム・フォルタイン党(略称LPF。w:Lijst Pim Fortuyn)を設立し、国政に挑戦した。選挙直前の2002年5月6日、動物愛護団体に所属する青年に銃殺された。

2002年以降は、オランダ国内で論争を巻き起こす発言を連発した。

イスラム教は時代遅れの宗教だ。イスラム教はゲイやレズビアンを受け入れない」と発言。
(略)
オランダが寛容の精神を重視している事をゲイである彼は誇りに思っていたともされる。その為、彼は他の政党からはポピュリストや極右というレッテルを貼られたが、本人も親族もそれを否認している。習合思想の一種と呼ばれる事もある。

暗殺事件以後
葬儀は国葬級の扱いをうけ、再開された選挙でLPFは18%の得票率を得て、キリスト教民主同盟(CDA)の43議席についで、26議席を獲得した。のちLPFは内紛で分裂するが、ピム・フォルタイン人気は衰えることなく、2004年の世論調査ではオランダ史上もっとも偉大な人物第一位に選ばれた[1]。

犯人の犯行動機は不明である[2]。

ピム・フォルタイン暗殺事件は、さらに2004年11月2日に起こったテオ・ファン・ゴッホ暗殺事件[3]とあわせて、オランダ社会における“寛容性”の原理を揺さぶることとなった[4]。テオ・ファン・ゴッホは映画監督でもあり、ピム・フォルタインのドキュメンタリー映画制作をはじめていたという