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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

市川海老蔵の事件と関係あるのか、ないのか。団十郎家は「傲慢であれ」との家訓がある

おっと、先週これを紙面で読んだあと結局紹介しなかったか。でもそのおかげでネットに掲載された。

■「傲慢を義務づけられた家」

 「おれさへ出れば見物嬉(うれ)しがるといふ心がよし」
「皆々目の下に見くだし、蟲(むし)のやうに思ふがよし」

 五代目市川団十郎が残した芸談である。つまり団十郎家とは「傲慢(ごうまん)であることを義務づけられた家」だ、と中川さんは言う。だが現代においては、役者である前によき社会人であれ、という声の方が優勢だ。

 「本当にそうなのか。これはもう一度問い直した方がいい。これはレトリックではなく、彼らが役者の家に生まれたということは、一市民である前にすでに役者であるのです

 一方で、明治の世で歌舞伎役者の地位を向上させ、「劇聖」と呼ばれたのが九代目団十郎だ。役者も「市民」であることを選んだのも団十郎なのだ。団十郎家の歴史を文献によって初代から・・・(略)

悲劇の名門 團十郎十二代 (文春新書)

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「お客様は神様です」も一方の真実だが、いい役者、芸能人(あるいはスポーツ選手)は「俺さえ出ればみんな嬉しがる」と心底思いこむ力も必要で、それゆえにカリスマが生まれる、というのも確かに一方の真実なのだろう。山本KID徳郁なんか一時期、本当にそんな感じだった。

自分は歌舞伎にはほとんど興味ないし、現代俳優としてのえびぞーのこともよく知らないが、だからこそ上の五代目の芸談は、それ自体として印象に残った。のでここに紹介している。
 
ちょっと話は違うが、「マウンドに上がるピッチャー、それも先発エースは、”お山の大将俺一人”というような俺様タイプこそがふさわしいのだ」
「サッカーのフォワードは、おれがおれがというタイプじゃなきゃ駄目。日本代表はそこが皆弱くてね・・・」
 
なんて話もよく聞くですね。
そういう枠組みを生かしたり、あるいはだからこそ「じゃあエースが、自分に自信のないおどおどタイプだったら?」という逆張りで話を作る作品(ノンフィクション含め)もよくある。

コラソン サッカー魂(1) (ヤンマガKCスペシャル)

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バッテリー (角川文庫)

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牙―江夏豊とその時代 (講談社文庫)

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